一人角力[愛媛県・今治市]
毎年春の御田植祭と、秋の抜穂祭において、大山祇神社で行われる相撲神事です。目に見えない稲の精霊と相撲を取るため一人角力といわれます。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つことで春には豊作が約束され、秋には収穫を感謝するという意味があります。その歴史は650年以上に遡るといわれ、一時は途絶えるも、地元の奉仕者の尽力により平成11年に復活を果たしました。愛媛県指定無形民俗文化財。
田子神楽[青森県・田子町]
田子神楽は、400年以上前から伝わる山伏神楽の流れをくむ神楽です。江戸時代初期から南部藩御用神楽を務め、この功績から南部家の家紋である「向鶴」の使用を許されたといわれており、明治時代まで正月16日に盛岡城に登城して神楽祈祷を行っていたそうです。五拍手といわれる勢いのある囃子の音色に合わせて、舞手が見事な手さばき足さばきを演じます。現在も、田子神楽保存会が中心となり神楽の伝承と後継者の育成に力を入れています。
御諏訪太鼓[長野県・岡谷市]
©平松俊之
御諏訪太鼓は諏訪大社の太太神楽、鼓舞楽として伝承されてきました。また、武田信玄が諏訪太鼓21人衆を編成し、川中島の合戦で将兵の士気の鼓舞をはかったといわれています。御諏訪太鼓の特色は、本来リズム楽器である太鼓を複式複打法によるオーケストラ形式に仕上げてあることです。これは、昭和26年に御諏訪太鼓流家元七代目宗家小口大八が創案完成したものです。打楽器のみによる感情表現は、聞く人々に強い感動と深い感銘を与えています。
高田神社横野獅子舞[岡山県・津山市]
高田神社の獅子舞は、伝承によると、和銅6年(713)に美作国府が開設されて以来、毎年9月9日に美作11社の神々が総社に神幸したときからこれに加わっていたといわれています。文化・文政期から明治期にかけてはとくに盛んで、人々に悪魔払いとして信仰を受けて来ました。この獅子舞には、獅子頭と呼ばれる指揮者がいて、獅子を使う技術と人物を見込んで氏子たちが選出します。現在では、毎年7月の納涼祭と、10月の例大祭において奉納されています。
座喜味棒術[沖縄県・読谷村]
座喜味棒術は、約 500年の歴史を持ち、座喜味城主護佐丸公の時代に遡るといわれています。棒術は自分達の身を守るだけでなく、集団で村の防衛を果たすものでもありました。沖縄各地には様々な棒術が伝わっていますが、「座喜味棒」は実戦型であることが特徴です。座喜味棒保存会は1975年に設立され、県内はもとより、県外国外でも技を披露してきました。現在は、後継者育成を目的に子ども会へ指導者を送り、継承発展に努めています。
今寺面浮立[佐賀県・嬉野市]
面浮立は、佐賀県が誇る民俗芸能のひとつ。笛・鉦・太鼓の囃子に合わせ鬼面をつけて舞います。もともとは約450年前の戦(いくさ)における戦勝祝いの舞だったといわれていますが、現在は五穀豊穣への感謝をする神事芸能として受け継がれています。嬉野市に伝わる今寺面浮立は、男衆の躍動感のある動と静を組み合わせた舞と、女衆の鉦の舞が調和した独特の演舞となっています。
伊賀和志神楽[広島県・三次市]
伊賀和志神楽は、石見神楽のうち邑智33神楽の阿須那派に所属しています。江戸時代後期に当地方へ伝えられ、代々土地の有志により伝承されてきています。演目は豊富で多彩です。大きく2種類に分けられ、六調子は石見神楽の原型といえる比較的緩やかな囃子に合わせ、舞手も重心をぐっと落とした姿勢で舞います。八調子は囃子が速く、絢爛豪華な衣装で舞うものです。昭和35年には演目「鈴合わせ」が、広島県無形民俗文化財の指定を受けました。
エイサー[沖縄県・沖縄市]
エイサーは、本土の盆踊りにあたる沖縄の伝統芸能のひとつ。仏典を広めるために発生した念仏踊りが、しだいに姿を変えていったものであり、地域ごとに独自の衣装・踊り・掛け声など特色を持つ伝統が受け継がれています。中でも本島中部の沖縄市では特にエイサーが盛んに踊られています。演者同士が踊りながら交差し、様々なかたちへ大胆に変化する演舞体系、ダイナミックな男女混成の踊りなど見どころ満載です。
秋田竿燈まつり[秋田県・秋田市]
江戸時代中期、お盆を前に邪気や病魔を払い、身を清める「ねぶり流し」と、五穀豊穣の願いを込め、提灯を米俵に竿燈全体を稲穂に見立てて練り歩いたことが由来とされています。現在は、8月3日~6日の4日間開催されています。重さ約50kgの竿燈を手のひら、額、肩、腰などに乗せて、次々に差し手による妙技が披露されます。今日では、各種団体・企業から280本を超える竿燈が出竿されて、その風情はまるで風にそよぐ黄金の稲穂のようです。