講師 永田晶子(美術ジャーナリスト)
日本のアートの持続的発展を推進する国立専門機関が誕生
2023年3月28日、国立アートリサーチセンター(National Center for Art Research、略 称:NCAR(エヌカー))が独立行政法人国立美術館(逢坂惠理子理事長/以下、国立美術館)内に設立された。日本のアート振興の拠点として、アートを通して誰もが新しい価値や可能性を見出 せる未来を目指す。
目的と組織体制
NCAR設立の目的は、国立美術館が所管する7つの国立館(*1)を中心に、国内外の美術館や研究機関をつなぐ事業やネットワーク構築を行い、日本の美術活動全般の底上げに寄与することだ。国の中央省庁等改革による独立行政法人化の一環で2001年に設立された国立美術館は、これまで館単位での活動が多く、7 館全体の資源(収蔵品、調査研究)に横串を刺して活かす連携強化が課題だった。NCARでは「アートをつなげる、深める、拡げる」をキーワードにコレクションの活用促進やラーニングの拡充、国際的な情報発信に取り組み、ハブとしての国立美術館の機能強化を目指す。
NCARは独自の公開施設を持たず、東京・九段下に職員数26人のオフィスを置き、事業主体として以下の5つのグループが設置された (体制図参照)。なお、各グループを牽引するリーダーは、国立美術館などで経験を積んだベテラン学芸員や専門家が務めている。
①作品活用促進グループ(国内美術館との連携事業、作品の保存修復に関する情報発信)
②情報資源グループ(国内美術館の収蔵品や日本の美術家に関する情報の集約と発信)
③国際発信・連携グループ(海外の美術館や専門家との国際交流の推進)
④ラーニンググループ(プログラムの開発や鑑賞教育研修、美術館アクセシビリティの推進)
⑤社会連携促進グループ(企業や団体との窓口になり、新規事業や鑑賞体験を開発)
設立の背景と経緯
設立の背景として挙げられるのが、アートと美術館を取り巻く社会の変化だ。1990年代以降、グローバル化と各国の経済成長で発信地が拡散し、アジア諸国では美術館の新設や国際展・アートフェアが急増した。日本でも1950〜90年代に多数の美術館が建設されたが、基盤整備はここまでで国際的な発信力の低下も懸念された 。また 、SDG s(持続可能な開発目標)やすべての人間が尊重される包摂性、ダイバーシティなど社会課題が増えるなかで、多様な見方や価値観に出会える現代美術への期待感が世界的に高まった。日本でも、2017年に改正された「文化芸術基本法」において文化芸術そのものの振興のみならず、まちづくりや福祉、教育など幅広い分野と連携した総合的な 文化政策の推進が明示された(*2)。
そうしたなかで、2014年に文化庁内で日本の現代美術に関する初めての検討会が開かれ、長期目標として振興支援機関の創設が掲げられた。世界での日本美術の評価向上を目指して18年から5年間実施された「文化庁アートプラットフォー事業」では、国内美術館の収蔵品データベース「全国美術館収蔵品サーチ(SHŪZŌ)」の構築に着手し、海外から専門家を招いた国際交流にも取り組む(NCARに事業継承 )。
2020年からは文化審議会において有識者による振興策の議論が深められ、翌21年に「アート・コミュニケーションセンター(仮称)」の設置準備室が国立美術館内に開設され、2年の準備期間を経て、名称をNCARとして立ち上がった。
NCARの事業内容
NCARではさまざまな事業を展開しているが、ここでは地域の美術館や教育関係者、福祉団体に関わる主な事業を紹介する。
作品活用促進の事業のひとつが、国立美術館のコレクションを活用し、国内美術館と連携して取り組む「国立美術館コレクション・ダイアローグ」「国立美術館コレクション・プラス」(*3) だ。国立美術館と開催館のコレクションを混ぜたテーマ性がある企画展(ダイアローグ)、開催館の所蔵作品に国立美術館所蔵の1〜数点を加えた小規模な特集展(プラス)の企画案をそれぞれ公募し、採択された企画に貸与する作品の輸送費や保険料を国が負担する。国内美術館との関係強化や展示活動の活性化、地域における鑑賞機会の拡充も連携事業の目的となっている。
また、コレクションの保存に関わる最新情報の発信も行っている。2023年10月、米国から一線の修復家を東京に招いた3日間のワークショップに70人、講演会に92人が参加し、化学的なクリーニング理論や実際の絵画修復への適用事例について学んだ(*4)。
作品やアーティストとの出会いによって感性や思考を育むラーニングは、多様な役割が求められる美術館の活動の中で重要性を増している。国立美術館は2006年から毎年夏の2日間、 各都道府県の教育委員会から推薦を受けた小中高の教員や学芸員を対象に子どもの鑑賞教育の指導者研修を開催し、美術館での対話型鑑賞や講演、ディスカッションを行ってきた。 NCARはこの事業を引き継ぎつつ、23年には新たな取り組みとして特別支援学校の美術館利用についても考える機会を設けた。これまでの18年間に研修を受けた美術関係者は1,700人を超え、各地での美術鑑賞の普及に貢献している。
また、美術館のアクセシビリティを高める事業にも取り組む。一例が、発達障がいがある人向けに作成した国立7館分の美術館案内「Social Story はじめて美術館にいきます。」 だ。写真と平易な文章で美術館の過ごし方をわかりやすく解説し、NCARのウェブサイト (https://ncar.artmuseums.go.jp/)から手軽に ダウンロードできる。
情報資源の大きな柱が、日本にある近現代作品や美術家に関するデータベースの構築だ。 文化庁アートプラットフォーム事業を継承して整備を進めている「全国美術館収蔵品サーチ(SHŪZŌ)」は16万件超(2023年4月現在)の作品情報を収録し、日本の美術家約2,500人の経歴などを掲載した「日本アーティスト事典(ベータ版)」も同年公開した 。日本の戦後美術に関する文献の英訳や過去に開催された現代美術展・国内画廊情報の登録や更新も進めている。これらのデータベースや資料を集約した日英バイリンガルのリサーチサイト「アートプラットフォームジャパン」(*5)は誰でもアクセスできる。
そのほか、東京藝術大学と共催したフォーラム(*6)、国際的なネットワークづくりを目的に研究者やキュレーターが海外を視察するNCAR スタディ・ツアーを開催。前者は、世界的に注目される「ウェルビーイング」に美術がもたらす好影響について英国の研究者らが事例発表を行い、オンラインを含め25カ国から参加申し込みがあった。日本の美術家が参加するビエンナーレなど国際芸術展の主催団体に対し費用の一部を支援するプログラムも始まり、日本の現代美術の海外での認知度アップを図る(*7)。
※
これまでのNCARの活動を概観すると、美術館や学芸員、専門家が対象のいわば「B to B 」事業が主体になっている。世界の美術の最新知見や情報の提供など単館で担い切れない機能を補完し、国内美術館が時代に即した存在へアップデートするサポートを行っていくNCARの役割がうかがえる。
国立美術館にとっても、国内外での「顔が見える」関係の構築によるフィードバックや問題意識の共有が期待でき、各館の課題解決や活動充実につながる可能性がある。海外への発信強化に加え、国内での持続的な現代美術振興への貢献が期待されるNCARの活動を注視していきたい。
*1
•東京国立近代美術館
1952年開館。国内外の近現代美術作品約 1万3000点を所蔵
•国立西洋美術館
1959年開館。「松方コレクション」を基礎に約6,000点の西洋美術作品を所蔵
•京都国立近代美術館
1963年開館。京都や西日本の美術・工芸に比重を置き約1万2,000点を所蔵
•国立国際美術館(大阪)
1977年開館。戦後の国内外の現代美術を中心に約8,000点を所蔵
•国立新美術館(東京)
2007年開館。企画展の開催や美術団体に会場提供を行い、自館コレクションはなし
•国立映画アーカイブ(東京)
2018年開館。国内外の映画作品、資料の収集保存や研究、展示・上映を実施
•国立工芸館(金沢)
2020年開館。東京国立近代美術館の分館。工芸作品を中心に約4,000点を所蔵
*2 文化芸術基本法(旧「文化芸術振興基本法」、2017年改正)基本理念
文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術により生み出される様々な価値を文化芸術の継承,発展及び創造に活用することが重要であることに鑑み、文化芸術の固有の意義と価値を尊重しつつ、 観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、 産業その他の各関連分野における施策との有機的な連携が図られるよう配慮されなければならない。
*3 ダイアローグは翌々年度、プラスは翌年度の開催館を毎年募集し、次回は4月に詳細を発表する。プレ事業として長崎県美術館で開催された「鴨居玲のスペイン時代」展(2023年4月〜6月)では、国立西洋美術館所蔵のバロックの巨匠ジュゼペ・デ・リ ベーラの絵画を地元ゆかりの画家・鴨居玲の作品と併せて展示し、注目された。
*4 ワークショップは専門家が対象。多様な素材が用いられた近現代作品の保存修復は絶えず新しい知識を取り入れる必要がある。NCARでは講演会を収録したビデオ映像をホームページで公開するなど、 広く情報共有。来年度以降も開催予定。
*5 アートプラットフォームジャパン
*6 「共創フォーラムVol.1 Art, Health & Wellbeing ミュージアムで幸せになる。 英国編」
2023年10月8日、国立新美術館(東京都港区)で開催。ウェルビーイングとアートに関する先進的な取り組みを続けてきた英国の専門家4人が登壇し、約800人が参加(オンライン含む)。
*7 アーティストの国際発信支援プログラム
2024年度 第 1 期の募集期間は、23 年12 月〜24年1月(同年3月に審査結果を通知)。日本のアーティストが参加する国外の国際芸術展の主催団体に対し、作家1人につき350万円、複数人が参加する場合は700万円を上限に経費の一部または 全額を支援する