一般社団法人 地域創造

仙台市 せんだいメディアテーク「自治とバケツと、さいかちの実-エピソードでたぐる追廻住宅-」

 昭和初期から終戦を経て現在に至る近現代の出来事は、評価がまだ定まらず歴史博物館や資料館では扱いにくい。一方で、当時を伝える物も人も忘れ去られる瀬戸際にある。この時代をどのように記録し、表現していくのか。せんだいメディアテークが企画・主催した「自治とバケツとさいかちの実─エピソードでたぐる追廻住宅─」展の試みを取材した。

 

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「自治とバケツと、さいかちの実」展示風景。 経過年表は匿名化して展示された。

 「追廻(おいまわし)住宅」とは、仙台城跡のある青葉山と広瀬川の間に位置する川内追廻地区にあった街だ。現在は市有地だが元々は国有地で、終戦直後、戦災で家を失った人や引揚者のために住宅営団(*1)が応急簡易住宅を建設。一時は約600戸3,000人が暮らしていたが、戦後の歩みを伝える追廻住宅も市の公園化計画によって立ち退きを迫られることになる。紆余曲折を経て2023年2月、最後の1軒が取り壊された。

 展覧会初日、こうした歩みをエピソードで“たぐる”という会場に入ると、展示は仙台藩時代の歴史資料から始まっていた。戦前までの資料に続き、追廻住宅によってやっと安住の地を得た引揚者が心境を詠った短歌のコーナーを経て、町内会が発行した記録誌『追廻住宅親和会 60年のあゆみ』の「経過年表」を原資料とした長大な年表が展示されていた。

 年表は「仙台市・財務局の動き」と「追廻住宅親和会の居住権を守る運動」を併記したもので、新聞記事や写真も掲示。住宅営団から建物を買い取って国に土地の賃借料を払って住み続けていた住民と、この地区の公園整備を目指す市との相剋が浮き彫りになっていた。

 次の展示室ではこれまでと一転、かつての追廻の街に迷い込んだような路地的な空間が出現。壁がボール紙だった終戦直後の住宅写真、実を石鹸代わりに使ってい皂莢の木、町内会のバケツリレー消火訓練、神輿、住民の童謡詩人・スズキヘキの部屋など、膨大な写真や資料をインスタレーション。〈ないなりにみんなで作る〉〈助け合いは当たり前〉といったたくましく温かい人々の暮らしや、〈親子2代の交渉〉〈早く出たい〉といった厳しい交渉を物語るエピソード・ボードもあちこちに設置されていた。そして、最後の1軒が取り壊されていく映像と、その建物の廃材の上に設置された空白のエピソード・ボードで展示は終わった。

 この展示に構成・制作として携わったのが、アーティストの佐々瞬と伊達伸明だ。佐々は2015年頃から追廻地区に出入りし、住民への聞き取りを元に作品を制作(最後の映像は佐々の撮影)。伊達は身近にあった亜炭や埋木(*2)などを市民と調べ、歴史と楽しみ方を掘り起こしていく「せんだいマチナカアート」に12年から関わるなど、二人とも地域縁の作家だった。だからこそ、メディアテークからのオファーに相当に悩んだという。

 「それぞれにまだ複雑な思いを抱いている人がいることがわかっていた。今と地続きの、終わっていない街や歴史にどう向き合うのか。追廻を“材料化”してしまう恐れもあった」と二人は異口同音に話す。

 追廻の人たちと交流し、調査を重ねたメディアテークの担当スタッフの薄井真矢さん、北野央さんも展示の方向性が決まるのに時間を要したと振り返る。最終的には年表を基盤とし、佐々が住民から聞き取った話を伊達が匿名のエピソードに変換して配置。さまざまな記憶をもつさまざまな立場の人たちが暮らしてきた街を多層的に、複雑なままに表現した。

 「アーティストという外来者の立場を維持しながら地域と関わることで、歴史研究には残らない隙間を拾い上げ、拡張させられると思う」という伊達と、「行政に頼れないなか、自分たちで生きるタフネスと技術をもった人々の歴史がすぐ足下にある。それを知らせたかった」という佐々の協働が実った展示だった。

 11月5日に行われたギャラリートークには、 移転先から元住民たちも多数駆けつけた。熱心に見て歩いた女性は、「追廻は更地になって終わりだと思っていたのにこんなに大きく丁寧に扱ってくれて嬉しいのと、恥ずかしいのが半々です」と語った。近現代を次代に繋ぐアーティストの役割が垣間見えた展示だった。

(アートジャーナリスト・山下里加)

 

●「自治とバケツと、さいかちの実─エピソードでたぐる追廻住宅─」

[会期]2023年11月3日〜12月24日

[会場]せんだいメディアテーク6階ギャラリー4200

[主催]せんだいメディアテーク(公益財団法人 仙台市市民文化事業団)

[協力]新田住宅親和会、青葉山公園・仙臺緑彩館(青葉山エリアマネジメント)、仙台市民図書館

 

※せんだいメディアテークは、2001年の開館当初から市民活動をサポートしている。東日本大震災の発生後、2カ月足らずで「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を開設し、市民自身が震災と復興を記録し、発信・共有する場と機会をつくってきた。

 

*1 1941年に設立され、全国規模で戦時下の住宅供給事業を行った営団。終戦後、GHQから解散命令が下され、1946年12月に解散した。

 

*2 亜炭とは、石炭より炭化度が低く燃やすと煙と匂いが出る生活燃料の一種。 仙台では青葉山を中心に1965年頃まで用いられていた。埋木(うもれぎ)とは、大木が地中に埋もれ長い年月で炭化した化石のような希少工芸材。

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