講師 草加叔也
(岡山芸術創造劇場 劇場長/空間創造研究所代表)
新型コロナウイルスを想定した劇場・音楽堂の感染症対策
2020年1月に新型コロナウイルスの国内感染が初めて確認され、この年の年末までに感染者数累計232,495人、死者数累計3,459人を数えた。もちろん、そのための対策効果が期待されるのは、早期のワクチン接種に他ならない。ただし、ワクチン接種が進むまでの蔓延を防止し、医療効果を活かしていくためには予防対策が重要になる。その予防対策では、いわゆる三密(密閉、密集、密接)を避けることが重要とされる。近代の劇場・音楽堂では、静音性を高めることや舞台と客席の親密性を演出するなど快適な三密を実現するための施設整備が行われてきた。そのため「密閉」は空調機械設備の性能、また「密集」「密接」については、運用対策で一定程度の対策が可能になると考えられる。
残念ながら未だ終息後を語れる状況にはないが、現時点における新型コロナウイルスを想定した感染症対策をまとめた。また、直接的な感染症対策だけでなく、その影響によって懸念される劇場経営上の危機管理課題についても示したので併せて検討いただきたい。
劇場施設維持
劇場・音楽堂施設の維持管理対策の前提条件となるのが建物の基本性能である。特に前述の密閉(換気の悪い空間)を避けるためには換気性能が重要になる。建築基準法では、劇場・音楽堂等(特殊建築物)の換気量が20㎥/h・人となることが求められている。また、興行場法では、観覧場床面積400㎡以上の場合には第一種換気設備(給気および排気ともに送風機設置)が求められており、未満の場合でも最も好ましい換気設備として示されている。同法での換気量は、今日の空気調和設備では一般的に備えている機能であるが、温湿度調整装置を備えている場合、観覧場床面積1㎡当たり25㎥(温湿度調整装置がない場合には75㎥/㎡・h)の換気能力が求められる。
さらに厚生労働省は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解(2020年3月9日および19日公表)として推奨される換気方法として「ビル衛生管理法(建築物における衛生的環境の確保に関する法律)」における空気環境の調整に関する基準に適合していれば、必要換気量(30㎥/h・人)を満たすことになり、上記の「換気が悪い空間」には当たらないという見解を示している。この30㎥/h・人は、おおよその目安として客席の気積(体積)が比較的大きい音楽堂施設で10㎥/h・人程度あることを考えると、一般的な劇場・音楽堂では1時間当たり3回以上の換気量が確保される。
ただし、上記の記載はあくまでも鑑賞する空間に求められる性能であり、ロビーやホワイエ、エントランススペースなどはその対象ではなく、外気に面した扉や窓などを開放することで同様に換気量を確保する対策を行うことが望ましい。
その他の施設維持管理対策としては、飛沫感染が懸念される洋便器の蓋設置による洗浄励行やハンドドライヤーの使用中止、また、日常清掃に加えた除菌清掃として客席および通路手摺、扉ハンドル、化粧室の洗面台やパウダーコーナーカウンター、エスカレーター手摺・エレベーター階ボタン、ロッカー扉、楽屋化粧前や扉ノブなど不特定多数の利用者が直接触れることで感染の懸念がある部位の対策が必要とされる。さらに喫煙所の閉鎖やごみ箱の撤去などの対策も行われている。
施設運営
劇場・音楽堂では、施設インフラとしての対策が難しい「密集」「密接」については、管理運営の対策として以下のようなことが実施されている。
①諸室運用
【ロビー・ホワイエ】
観客や施設利用者の入口になることから、開場時間前倒しによる分散入場、検温や体調管理シートの提出義務付け、消毒、除菌マットの設置、マスク着用の義務化などに加えてキャッシュレス決済や電子チケットなどの導入を今後さらに進めることで、ウイルス等を持ち込ませない水際対策が求められる。
内部での感染対策として、観客相互の離隔を取ったセルフでのモギリやパンフレットピックアップ、スタッフのフェイスマスクや手袋着用などが励行され、バーカウンターなどサービスの停止が行われている。クラスター発生を想定した事後対策を迅速に行うため観客の緊急連絡先の届出、緊急連絡先リスト化(保健所、自治体、消防、病院等)、対策マニュアル作成を行っている。また、これらの中で個人情報に関わるものの処分対策については徹底する必要がある。
【客席】
前述の換気量の確保に加え「密集」対策として、離隔着座(1席飛ばし、千鳥着座等)、飛沫感染対策として舞台との距離確保、客席内での会話を控える要請や掛け声を禁止する対策を行うとともに、終演時の分散退場が励行されている。
【稽古場・楽屋】
客席同様にウイルスを持ち込ませない予防措置として、出演者だけでなく制作や舞台技術関係者などにもPCR検査の実施が働きかけられている。また、密集・密接を避ける対策として稽古やリハーサル人数の制限、窓や扉を解放した換気対策、楽屋収容人数の制限、喫煙所の閉鎖、ケータリング・差し入れの禁止などの措置に加えて、稽古や楽屋入り前後の行動規範(飲酒や食事会の制限)を求める対策も行われている。さらに稽古やリハーサルの終了の除菌清掃に加えて、除菌ライトの使用などを行っている劇場・音楽堂もある。
②観客告知
事業の中止や延期、開演時間の変更に加えて、施設利用料金の返還や入場料金の払い戻しなど状況判断と判断結果の速やかな観客及び施設利用者への告知と説明が求められる。
③人員体制
除菌や問診票の提出、離隔を取っての入場制限、分散入場や退場のためには、平時を大きく上回る人的体制が求められる。当然、そのための経費負担が劇場経営の足かせになってきている。一方で閉館や公演中止による勤務者の制限(テレワーク等)、業務量減少による委託事業者や臨時職員の契約及び報酬額等の変更が課題となっている。
劇場経営
感染症の水際対策のための経費負担が増大する一方、入場制限や公演中止、閉館要請、終演時間の制限などに伴う減収は目を覆いたくなる惨状で、劇場経営は極めて危険な状況にあるといって過言ではない。以下には緊急事態宣言および経費負担増に起因する劇場経営課題の懸念事項を上げておいた。
①主催公演中止に伴うキャンセル料
業務委託契約で感染症等によるキャンセル料を明記しているケースは少ないと考えられるが、劇場・音楽堂の閉館に起因する公演中止は、その対象になる。また、広報実施経費や外国からの招聘公演では、大道具や衣裳の運搬代金などの処理が課題となる。
②利用料金制による指定管理者制度
施設利用料金収入の増収が指定管理者のインセンティブとなる経営手法であるため、実質的な施設利用を制限する閉館要請は、この制度の根幹に係ることであり要請と保証の両面からの対策が求められる。
③指定管理協定書における感染症対策のリスク分担
指定管理者協定書は、いわゆる業務委託契約書に相当するものであり、その中に示される「リスク分担」は、特別な事象が発生した場合の措置について取り決めを示している。ただし、感染症の措置は、具体的な発生前例が少ないことから、発生時毎に地方自治体と指定管理者の両者協議とされていることが少なくない。特に対策経費の増大や減収への措置が具体的に示されていないため初動の対策が打ちにくい状況にある。
④公益法人経営
公益法人会計では、平時の収支を想定した予算計画が立案されており、いわゆる内部留保は厳しく制限されている。そのため緊急的に想定外の経費負担に迫られた場合、独自財源では危機管理対策が難しい組織でもある。今後の危機管理対策課題として、一定の独自財源の確保を可能にするなどの対策検討が必要になる。
その他
多くの課題が日々顕在化してきているが、以下に2つ検討すべき対策を示しておく。
①感染予防専門家との連携
今後も劇場・音楽堂では、長期的な視点で感染症対策が求められることが想定される。そのためにも現状を把握し、個々の劇場・音楽堂の危機管理対策が適切に行われるための専門家(感染症対策部局や保健所、感染症医等)との連携が求められる。
②動画配信
閉館を余儀なくされていた期間、劇場・音楽堂から芸術文化情報を発信するツールとして動画配信が大きな役割を担ってきた。録画動画の配信だけでなく、ライブ配信や課金配信など様々な配信が試されてきている。今後も劇場・音楽堂の公演記録のアーカイブス構築と合わせて、動画配信をインフラとして検討していくことが考えられる。そのためには、IPネットワークや映像収録等への知識と技能を備えた専門家の登用も求められる。
今後の劇場・音楽堂のあり方
劇場・音楽堂は、「時間」と「空間」を共有することを基本とする芸術文化施設である。そのことは有史以前からの劇場・音楽堂の歴史を振り返っても同様で、天然痘やペストといった未曽有の感染症を乗り越えて今の劇場・音楽堂の形がある。そのことから考えても、今後劇場・音楽堂が新たな形態に変異することはないと考える。むしろ、今まで以上にさらに快適で安全な劇場・音楽堂空間として進化していくと考える。
- スタッフ・職員の感染症発症可能性時の対策