12月15日、帯広市民文化ホールで第4回帯広市民バレエ公演『コッペリア』が始まった。翌日の本番を控えたこの日、帯広聾学校・養護学校、中札内高等養護学校など約60人の生徒と教師、家族を招待。札幌出身の篠原聖一(2018年東京新聞舞踊芸術賞受賞)が演出・振付、プロのバレエ団公演の指揮を数多く務める磯部省吾が帯広交響楽団(以下、帯響)を指揮する本物志向の舞台に、みんな興奮した表情だった。
『コッペリア』はスワニルダの恋人フランツが、コッペリウス博士のつくった機械人形コッペリアに恋する古典バレエの名作。篠原演じる個性的な博士が見守る中、オーディションでキャスティングされた地元バレエ団の井川こころ(スワニルダ)と堀杏里(コッペリア)が見事な踊りを見せる。祭りのシーンでは本物の帯広市長が市長役で登場し、小学2年生をはじめとした総勢95人が楽しい群舞を披露した。ボランティア約100人を含め、多くの市民が関わったバレエ愛が結晶した祭典だった。
帯広市では1997年からほぼ4年に1回市民オペラを続けているが、それに続いて2004年に立ち上がったのがこの市民バレエだ。主催は、地元バレエ教室の指導者による「ティアラの会」、帯響、帯広市民オペラの会、帯広市民劇場運営委員会、帯広市教育委員会、一般財団法人帯広市文化スポーツ振興財団(ホール指定管理者)から成る実行委員会である。
ティアラの会会長で実行委員長を務める前塚典子は、「市民オペラに参加する中で、バレエを学ぶ子どもたちにもっと大きな舞台を経験させてやりたい、オーケストラの生演奏で踊らせてやりたいという思いが募ってきた。その一心で当時12あったバレエ教室の指導者が団結して発案した」と振り返る。そして、約1年にわたる合同稽古を経て、篠原振付・演出による第1回市民バレエ『くるみ割り人形』(オーディションによる213人が出演)を実現した。
財団で市民文化ホールを長く担当してきた木下富雄は、こうした活動の背景には帯広独自の文化基盤があるという。「1963年に旧帯広市民会館をオープンするにあたって発足した帯広市民劇場運営委員会が50年以上活動してきた。この組織は会館を活性化するために音楽・舞台芸術・美術などの文化団体、鑑賞者等が集まったものだ。鑑賞者として地元企業の経営者も参加し、話し合いでさまざまな文化事業を企画。市民オペラも市民バレエもそこから生れてきた」。
運営委員で市民オペラの会会長でもある松﨑千枝子は、「ここでジャンルを超えた文化団体の人や経営者などと意見交換できたことでたくさんの気づきがあった」と振り返る。経営者であり、1988年から2003年まで運営委員長、現在は帯響理事長を務める杉浦壽は、「外から呼ぶだけでなく、帯広ならではの文化を育てるべきだと思った。中学・高校の吹奏楽が盛んな土地柄だから、きちんとプロの指導を受ければオーケストラがつくれるのではないかと、怖いもの知らずの素人が87年に立ち上げたのが帯響(笑)。89 年の市民文化ホールこけら落としにデビューして30年になる」と屈託ない。
ここから帯広発の文化のうねりが始まった。帯響10 周年記念の市民オペラ『カルメン』は、オペラ経験者がいない中、「出演者とスタッフすべてを市民の手で」という無謀な企画だったが、市民オペラの会を立ち上げてプロの指導を仰ぎ、資金も集めて、約400人の市民演者と3年かけて実現した。その勢いに乗って市民バレエをやりたいと相談された杉浦は、「皆さんが団結しないと駄目だ」とアドバイスし、ティアラの会の立ち上げを後押しした。
新たなホールは直営から指定管理者になったが、場を提供し、実行委員会事務局を担うなど全面支援。運営委員経験者で財団理事長でもある金澤耿は、「市民文化の蓄積を他の指定管理施設でも生かしていけないか」展望している。それもこれも、市民・行政・経済界が連携してきた帯広方式の蓄積があってこそだ。
「現市長は3期目の選挙公約で文化による振興を掲げてくれた。課題は多いが、半世紀続いてきた市民文化の火は絶やせない」と杉浦。北の大地の市民文化は、しぶとく熱く燃えている。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●第4回帯広市民バレエ『コッペリア』
[会期]2018年12月16日
[主催]帯広市民バレエ公演実行委員会(市民バレエ『ティアラの会』、帯広交響楽団、帯広市民オペラの会、帯広市民劇場運営委員会、帯広市教育委員会、一般財団法人帯広市文化スポーツ振興財団)
[会場]帯広市民文化ホール大ホール
[共催]公益財団法人北海道文化財団
[演出・振付]篠原聖一
[指揮]磯部省吾
[管弦楽]帯広交響楽団
[出演]オーディション選出による帯広・十勝のバレエダンサー89名/ゲスト:荒井英之、加藤誉朗、木村仁秀、飛永嘉尉、有澤健吾