今年3月、政府の「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が、2020年の訪日外国人旅行者数を4,000万人(2015年実績の約2倍)とするビジョンを発表。観光資源として公的施設や文化財などの魅力を高めるとし、多言語対応などへの支援を打ち出した。また、東京都歴史文化財団が「文化施設の多言語対応に係る調査報告書」を発行するなど、公立文化施設でもインバウンド対応に注目が集まっている。
古典芸能の世界で、こうした取り組みのモデルとも言える事業を積極的に展開しているのが、大阪の山本能楽堂だ。7月9日、外国人向けに行われている「初心者のための上方伝統芸能ナイト(英語編)」を取材した。
この催しの特徴は、ひとつの芸能だけを披露するのではなく、上方芸能(能・狂言・文楽・上方舞・落語・講談・浪曲・女道楽・お座敷遊び)からいくつかを選び、気軽に比較して楽しめるよう各15分のハイライト上演をしていること。コーディネートを、大阪で一番古い歴史をもつ能楽堂が担っていること。実演家が知恵を出して英語のコンテンツをつくっていることだ。2006年から月2回ペースで実施し、今回で145回目。英語編がスタートしたのは11年で、今年度の実施予定は5回だ。
9日は、案内役が英語で進行しながら、春野恵子の英語浪曲『番長皿屋敷』、桂かい枝の英語落語『いらち俥』、そして、お座敷遊びの『金比羅ふねふね』と地唄舞『いざや』、山本章弘がシテを務める本格的な能『高砂』が詞章の英語字幕付で上演された。能楽堂の見物席は2階を含めて227席。小さな芝居小屋のような雰囲気で、力のある演者による芸能を至近距離で体感できる。能を「most sleepy performance」、正座を「pernishment」と紹介し、「いざや」を「Let’s go」と訳すなど、わかりやすく、ユーモア満載のプログラムになっていた。
お茶屋「島之内たに川」による「お座敷遊び」実演の様子。壁に英語字幕が見える |
日本文化を勉強しているフランス人留学生の感想は、「一度に複数の伝統芸能が見られてよかった。落語はとてもわかりやすく、面白かった」だった。その落語では、うどんの食べ方で笑わせる“仕草オチ”、大統領への挨拶の「How are you」を「Who are you」と言い違える“地口オチ”、噺の最後で落とす“仕込みオチ”など、落語の形式を英語で万国共通の笑いに仕立てていた。また、節と啖呵のある浪曲を英語にした春野は、「翻訳すれば浪曲になるわけではなく、三味線のお姉さん、今は講談師になったアメリカ人の春子ローズさん、(能楽堂事務局長の)山本佳誌枝さんたちと節に乗る言葉を探して試行錯誤した。節、啖呵、三味線のメロディ、演技とさまざまな要素のある浪曲という語り芸を知ってほしくて、海外公演もやっている」と話す。
山本事務局長は、「能楽堂は敷居が高いというイメージがあるが、それを払拭したいと思ってこの10年活動してきた。2004年に夫の山本章弘が三代目(の名跡)を継承したのを機に、この能楽堂の空間を活かし、普及・啓発事業に特化しようと考えた」と言う。そうした“開かれた能楽堂”を目指すなかで、当時大阪商工会議所が大阪の夜を文化で安全に楽しめる街にしたいと取り組んでいた「大阪ナイトカルチャー事業」に参加したのがきっかけとなり、上方芸能をダイジェストで紹介するイベントが誕生。以来、外国人観光客に向けての工夫も重ねられてきた。
「大阪は豊かな上方芸能が花開いた街であり、地域遺産であるこれらを知ってもらいたかった。能を学びに来たブルガリア人留学生のペトコ・スラボフさんとの出会いから、彼と一緒に能楽を普及する英語アプリ「OHAYASHI sensei」「We Noh!」もつくった。現代アーティストとも新作能をはじめいろいろな企画をやっている。これからも“開かれた能楽堂”として、人が行き交い、出会う、新しい創造の場になれればと思っている」(山本事務局長)
ジャンルミックスの新展開として、『船弁慶』や真田幸村をテーマに能、文楽、落語、講談が共演するシリーズも継続して実施している。実演団体自らがその多彩な人脈を生かして取り組むからこそできる企画ではあるが、現代アーティストとコラボしても、路上でストリートライブ能をやってもびくともしない、芸能の底力を見た気がした。
(地域創造編集部・坪池/清宮)
●初心者のための上方伝統芸能ナイト(英語編)
[会期]2016年7月9日
[会場]山本能楽堂
[主催]公益財団法人山本能楽堂
[共催]大阪商工会議所、大阪市
[協力]大阪観光局
[出演]浪曲:『番長皿屋敷』(春野恵子)、お座敷遊び:上方唄『いざや』『金比羅ふねふね』(島之内たに川、清一、多佳)、落語:『いらち俥』(桂かい枝)、能:『高砂』(シテ:山本章弘)
●山本能楽堂(2009年に公益財団法人化)
1927年に金融業で財をなした山本家の10代目、先代山本博之によって創建。大阪大空襲により消失し、50年に再建。約90年間にわたって能を継承してきた大阪で一番古い能楽堂。2006年に国登録有形文化財指定。同年「大阪カルチャーナイト事業」の一環として大阪商工会議所と上方伝統芸能の見所を集めた「大人のための年越しライブ」を行ったのをきっかけに、「初心者のための上方伝統芸能ナイト」をシリーズ化。この他の主な事業は、たにまち能公演(山本定期能/年6回)、夜7時開演の初心者向け「とくい能」、初心者のための能体験講座「まっちゃまちサロン」「能活」、小学生を対象とした「能と遊ぼう!!」「アートによる能案内」、能の小学校アウトリーチ、市庁舎・公園・水上などさまざまなところで実施している「ストリートライブ能」、grafの服部滋樹、やなぎみわ、藤本隆行、井上信太ら現代アーティストとのコラボレーション、「水の輪」などの新作能ほか。また、2010年からブルガリアと能による交流を続け、この実績により2015年国際交流基金賞受賞。能楽堂を魅力ある空間として活用するユニーク・ヴェニュー事業など。
英語、中国語による能の解説付き公演、体験講座、能楽堂の見学会は随時実施。