吉本光宏(ニッセイ基礎研究所 研究理事)
前回では、「災後における地域の公立文化施設の役割に関する調査研究」の成果として、6つの論点と2つの提言を紹介しながら、「文化的コモンズ」の考え方について解説を行った。今号では、5カ所の地域調査の結果を踏まえ、地域の公立文化施設が「文化的コモンズ」の形成にどのように向き合うべきか、考察を行いたい。
地域の存在を支える伝統芸能・祭り
今回の地域調査では、東日本大震災で甚大な被害を受けた3県の陸前高田市、石巻市、南相馬市を回り、各地の伝統芸能や祭りの関係者から話を伺った。
陸前高田市の森前地区は、津波ですべての家屋が全壊し、住民の3分の1が亡くなった。そのコミュニティを再建するため「うごく七夕」の復活を決意し、東京から帰郷したという若者に面会した。彼は父親の反対を押し切り、津波で流された山車の制作に着手。長老など地域の理解も得て、首都圏から被災地支援に来ていたボランティアの青年とパートナーを組んで、2013年秋、津波で家屋の跡形もなくなった場所でうごく七夕を実現させた。
石巻市の雄勝法印神楽や、南相馬市の相馬野馬追の関係者からも話を伺った。甚大な被害を受けながらも、震災直後から地元の伝統を絶やしてはならないと支援活動を立ち上げ、神楽や野馬追を継続させる。調査では、伝統芸能や祭りにかける地域の方々の熱い思いと並々ならぬ努力を再認識することとなった。
この3事例に限らず、被災地では地元の芸能や祭りが地域住民の絆や誇りを支え、復興に向けて大きな力を発揮している。生まれ育った地を離れ、仮設住宅で避難生活を送りながらも祭りの時には戻ってくる人たちが少なくないという。これは、その土地の文化がなくなれば人々の集まりである地域自体が存在しなくなる、すなわち「文化が地域そのものである」ということを物語っている。地域の芸能や祭りが、文化的コモンズを形成する極めて重要な要素であることは疑いがない。
災後に芽生えた文化的コモンズの可能性
被災地で出会った文化的な営みは、伝統的なものだけではない。例えば地元の女子中学生・高校生で結成された「南相馬ジュニアコーラスアンサンブル」。震災と原発事故の後、ほとんどのメンバーが市外で避難生活をしながらメールで連絡を取り合った。地元に戻って活動を続けたいという強い思いから、2カ月後には元酒蔵の「銘醸館」で練習を再開し、遺体捜索のために駐留した自衛隊員に歌声を披露した。また、南相馬を拠点にアートワークショップを展開するNPO ARTS for HOPEの活動も被災3県に広がっている。
石巻市では、団塊ジュニア世代の地元出身者と首都圏からの支援者らがISHINOMAKI2.0という活動を立ち上げた。イベントやフリーペーパーによる情報発信を続け、商店街の中に活動スペース「IRORI」を開設。市民や行政、文化団体、NPOとの協働を促すプラットフォームとして機能し、オリジナル家具を製造してネットで海外にも販売する「石巻工房」、アプリケーションやシステム開発を目指す工業高校生らのグループが生まれている。IRORIの隣には、横浜の黄金町エリアマネジメントセンターの協力でアーティスト・イン・レジデンス「日和アートセンター」もオープンした。
陸前高田市では、軒を並べる仮設店舗の一角にジャズタイム「ジョニー」とピアノ教室が並ぶ。前者は1975年にオープンした老舗のジャズ喫茶で、震災ですべてを失った後、有志の協力で仮設店舗での営業を再開した。ピアノ教室には震災前と同じ30人の生徒が通う。被災した子どもたちのためにと、民間企業の支援を得て神社の境内に図書館をオープンさせた市民もいる。
このように被災地では、伝統的なものと、復興を目指して市民が立ち上げた新たな動きとが、文化的コモンズを形成しつつある。そこに、震災で全壊して建て替えられる文化会館や、震災の被害を免れた文化施設は、どのように関わっていくべきか。それは、文化を軸にした被災地の復興のみならず、災後の文化施設の役割を考える上で、重要な鍵を握っている。
神戸と沖縄に学ぶ
今回の調査では、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市新長田を拠点に活動するNPO法人ダンスボックス、東北同様、芸能が地域に深く根付く沖縄県の南城市文化センター(旧佐敷町文化センター)・シュガーホールについても、それぞれの地域や市民との関わりも含めた地域調査を行い、ヒントを探った。
ダンスボックスで何より驚いたのは、地域の方々とのネットワークの広さとその結びつきの強さである。まちづくり団体の代表や映画資料館の支配人、地元FM局の総合プロデューサー、地元高校のダンス部顧問、婦人会会長、そして地元商店街のお茶屋のご主人。正直なところ、ダンスとは無縁と思われるような方も含め、皆がダンスボックスの活動やスタッフに敬意と愛情を抱いて接している。
互いが互いの活動や専門性を尊重しながら、この町を良くしたいと願い、それぞれの立場で尽力している。調査でわかったのは、ダンスボックスはその重要な結節点のひとつとなり、新長田の文化がまちづくりのネットワークを支えているということだ。
一方の南城市文化センター・シュガーホールでは、開館後しばらくしてクラシック音楽主体の運営に対する反発から、地域住民によって「シュガーホールを取り戻す会」が結成されたと聞いた。センターではそれを逆手にとって、住民と話し合う「ゆんたく会議」を設け、住民参加でオリジナルのミュージカルをつくり上げた。それは1町3村の合併後も、南城市誕生5周年の市民ミュージカルに受け継がれている。
そうした活動と並行して、シュガーホールは住民の反対があってもクラシック音楽に特化した事業を続けてきた。地元の沖縄電力、沖縄タイムズと共催で新人演奏家オーディションを実施し、沖縄県内で若手音楽家の育成に取り組んできたのである。その成果は、開館19年目にシュガーホールオーケストラの結成に結実している。
南城市では知名地区のヌーバレー保存会の方々にもお目にかかった。旧盆に五穀豊穣を祈願し、地域に伝わる舞踊や芝居、歌などを朝から夕刻まで演じ続けるというもので、二百年の歴史がある。シュガーホールは、合併翌年の2007年から南城市芸能公演として、ヌーバレーの『胡蝶の舞』など市内の伝統芸能を紹介してきた。調査での会合をきっかけに、ヌーバレー保存会の方々と今後の新たな可能性を話し合おう、ということになった。
13年2月の芸能公演のチラシには各地区の芸能マップも掲載され、「このMAPは成長していますので、情報をお待ちしています」と市内の芸能の結節点になろうという姿勢が伺える。
この2つの文化施設に共通しているのは、地域の関係団体と連携しつつ、適度な距離を保っていること、芸術専門機関としての活動方針にブレがないこと、である。
地域の課題と向き合う公立文化施設
被災地では「課題は震災前から顕在化していたが、それが当たり前のこととなっていた。震災で初めてそれらの課題と向き合い、解決の道があると考えるようになった」という声に接した。そうした取り組みの一端を支えているのが、伝統芸能や祭り、震災後に立ち上がったさまざまな活動で構成される文化的コモンズである。
演劇や音楽、ダンスの専門機関として全国各地に設置された公立劇場やホール、あるいは美術館や博物館などの文化施設には、近年、教育や福祉、まちづくりなど、芸術文化に限らず幅広い分野での役割が期待されるようになってきた。しかし、限られた予算と人員で、文化とは別の専門的な知識や経験を求められる他分野の事業に取り組むのは容易なことではない。かといって地域の課題に向き合うことなく運営を続けたのでは、公立文化施設に未来はない。
地域はさまざまな課題を抱えている。芸術文化施設としての専門性とミッションを堅持しつつ、地域の文化的コモンズの形成に参加していくこと。そこには、地域の課題と向き合いながら、文化施設ならではの活動を展開する新たな可能性が存在している、と思えるのである。