同館は400席の可動席型多目的ホールと図書館の複合施設で、2001年にオープン。みまた座は、こふく劇場代表の永山智行さん(*1)を演劇監督に据えてスタートしたもので、7月から週1回活動。締めくくりに、文化会館が行っている戯曲講座の前年度受講生による書き下ろしで卒業公演を行ってきた。今回の『いいにおいのする家』は、9期生22人による晴れ舞台だ。
物語は、学校帰りの子どもたちが「いいにおいのする家」の謎解きにやって来ると、そこには料理上手のお手伝いロボットがいた、という近未来ファンタジー。驚いたのは終演後のアフタートークの雰囲気だ。永山さんの司会で、作品を書いた高校3年生の内村慶舟さんや出演者が感想を話すのだが、約300人の観客の前だというのに、客席と舞台、演出家と参加者の間に壁がない。よく見せようと飾ることもなく、やらされている感じがない。多くの市民参加劇を取材してきたが、こんな様子は初めてだ。
長期的な関係のために「みまた座開設要綱」を定め、継続事業であることや、永山さんが演劇監督であることを明記。事業計画は掲げず、劇団と付き合う中から有機的に事業を広げていった(*2)。開館10周年では、集大成として総勢70人が出演した町民参加劇『おはよう、わが町』を発表(*3)。また、いくつかの演劇事業を再編し、町中の空き施設などに広げて展開する演劇フェスティバル「まちドラ!」もスタートした。企画を担当した文化会館職員の岩元勝二さんは、「10年間で町の人との繋がりが生まれていたから、こうした事業も可能になった。ここが町民と一緒に何かをつくり上げることができる場所だというのを証明できたと思う」と自信を深めていた。
文化会館を支えてきた町民のひとり、みまた座保護者会代表の中神由加里さんは、4人姉妹をすべて参加させてきた。「永山さんとは高校演劇をやった仲。自分は諦めたけど、夢を追い続けている彼に子どもを預けてみようと思った。最初はどうしてもっときちんと指導してくれないのか疑問だった。“あなたはあなたのままでいい”と言って、絶対に批判しない。でもそうやって見守っていると、自分の意見を出すように成長していく。ここは、子どもたちの帰る場所だし、地元を愛するということを実感する場にもなっている」と中神さん。
永山さんは、「学校や家庭のモノサシとは違う空間をつくってあげたいと思っている。どこにいても数字という息苦しいモノサシで測られ、競争で動機付けされる。ここでは競争ではなく、好きな色がみんな違うように、みんな違っていい。その違う色の人がどう折り合いを付けていくのかを体験する場になれば。地域で演劇をやるというのは、今そこにあるものから出発し、その材料の中で次を生み出していくことでしか活路はない。僕の役割は、そういうみんなから上がってくる声を拾い、形にしていくこと。最初に10年やりましょうと言ってもらったからやれたのだと思う」とどこまでも自然体だった。
長く付き合い見守ることで枝葉が伸び、IkuzOという役場職員のサポーターや“同じカマの飯”を炊き出しする保護者会を育ててきた。1期生4人からスタートした活動は、計画からは生まれない風景を育んでいた。
(坪池栄子)
*1 1967年生まれ。劇作家・演出家。三股町立文化会館、門川町総合文化会館という宮崎県の2つの公立劇場を拠点に活動する都城市の劇団こふく劇場代表。2006年から宮崎県立芸術劇場演劇ディレクターに就任。
*2 事業名称や枠組みを変えながら、こふく劇場本公演はもちろん、県立芸術劇場プロデュース作品の巡回公演、こふく劇場による小学校公演、中学生の劇場鑑賞事業、宮崎県高等学校演劇コンクール県大会定期開催、町民を対象にした半年にわたる戯曲講座「せりふ書いてみる?」、そこから生まれた作品を九州を拠点に活動する劇団がリーディングする「ヨムドラ!」などを実施。
*3 『おはよう、わが町』(2011年12月24日、25日)町の歴史を調べるなど、過去の戯曲講座受講生で台本づくりから行い、一般公募の町民、みまた座8期生、合唱団、地元出身の音楽家、郷土芸能の人たちなどが出演。
●『いいにおいのする家』
[主催]三股町・三股町教育委員会
[作]内村慶舟
[日程]2013年3月31日(2公演)
[構成]濵砂崇浩(劇団こふく劇場・三股町立文化会館)
[演出]永山智行