「めぐろ歴史資料館に出向していた時に、区民から寄贈された大正末期から1970年代の写真が膨大にあることを知り、面白いと思いました。家族写真など意図して撮影されたものを除いて、まちや風景などが写り込んでいるものを選び、『道』『商店街』『交通機関』などテーマ別で展示しました。つまり、これは、写そうとしたものではなく、“写ってしまったもの”の展覧会でもあります。ディテールをよく見ていただくと、それぞれの写真は突っ込みどころ満載だし、見る人誰もの記憶を呼び覚ますはずです」
資料館で写真がデジタル化されていたこともこの企画を可能にした。約8千枚の中から山田がセレクトし、レーザーやインクジェットプリンタで出力した。中には2400×1600mmまで引き延ばしたものもある。ほとんどは35ミリの家庭用カメラで写され、本来は手札版程度に焼かれるはずのものだ。ところが拡大されることで写真は別の意味をもつ。その一連の作業過程で、写真の面白さにのめり込んだのは山田自身だった。
「小学校の先生が撮った学校の写真を見ていたら、自分の少年時代、初めて鉄筋校舎が出来て床のPタイルで滑って怪我をした友達のことを思い出しました。自分が映っていなくても記憶のトリガーになる。写真にはそういう力があるんですね」
大きく引き延ばされたバス停の写真にだけは、「面白がり方」のキャプションが付いていた。「なぜこの婦人は左右違う靴を履いているのか」「この人、ニッカボッカなのに革靴を履いている」「このお蕎麦屋は現存しています」等々。他の写真にもさまざまな発見がある。もちろん町の変遷や、かつて区内にもあった巨大ガスタンク、渋谷駅前の高速道路建設写真など、考現学的な興味を引くものもある。
あるいはカラーフィルムが普及し始めた60年代半ばの写真では、街頭の赤いポストが連続して写されていたりする。「多分撮影者にしたら、カラーであることが嬉しくて撮りまくっていたんでしょうね。雪が降っても人は写真を撮る。写真を撮るという行為は、それだけで人を興奮させるものなんですね」と言う山田も嬉しそうだった。
もう一つの展示室では、50年代から80年代にかけて、区内にデザイン事務所をもっていた秋岡芳夫の撮った約500枚の写真が展示されていた。普通の人々と立場は違うが、秋岡もまた、写真の存在、それを撮るカメラ、写真を撮る行為の3つに夢中になった一人だ。ミノルタのカメラなどをデザインする傍ら、資料としてロゴを接写したり、家族を撮影したり、縦横無尽の遊び心で多くの写真を残した。
「出てきた出てきた、きれい~!」
おそらくその興奮は、カメラを初めて手にした名もなき撮影者と同質のもののはずだ。
デジタル画像全盛の時代になり、かつてのようにアルバムを繰り返し見る行為が消滅し、映像記憶は共有されなくなった。「瓦礫から出てきた紙焼き写真は復元できますが、デジカメから画像は復元できない」と語った、東日本大震災被災地の写真洗浄ボランティアの言葉を思い出す。つまり今回の展示の中心になった50年代から70年代は、日本人の映像記憶が最も濃かった時代ということもできる。
それぞれの写真から感じる「懐かしい未来感」を、今の時代を懐かしがる次代の者たちは共有することができるのだろうか?
ふと、そんなことも感じてしまった。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●記憶写真展─お父さんの撮った写真、面白いものが写ってますね
[会期]2013年2月16日~3月24日
[会場]目黒区美術館
[主催]公益財団法人目黒区芸術文化振興財団 目黒区美術館
[協力]目黒区めぐろ歴史資料館