幕末に生きた金蔵は、元々は土佐藩家老御用絵師ながら、贋作騒動に巻き込まれて城下を追放されたとされる。放浪の末にたどり着いたのが、赤岡の町であり、町衆の求めに応じて描いたのが極彩色の芝居屏風絵や絵馬だった。夏祭りに神社などに展示し、ロウソクの灯りで見る屏風絵は大ブームとなり、高知では“絵金さん”というと“絵描き”を意味するほど親しまれた。
絵金作品は、1970年頃から美術作品としての評価が高まるが、それを大きく押し進めたのが、96年に高知県立美術館で開催された開館3周年記念「土佐の芝居絵と絵師金蔵展」だ。当時の鍵岡正謹館長(現岡山県立美術館長)のリーダーシップにより県教育委員会と共同で2年にわたり調査研究を行い、全貌を初めて紹介する展覧会を実現した。その16年後の今年、改めて絵金の価値をクローズアップし、弟子たちの作品も含め約200点を展示した。
担当学芸員の後藤雅子さんは、「金蔵を高知ゆかりの代表的な作家のひとりと位置づけ、調査研究を続けてきました。その成果を踏まえ、前回より深く入り込んだ内容になっています」と言う。例えば、金蔵が自身の子どものために描いたとされる『子供四季風俗図』や安政の大地震を描いた『土佐震災図絵』などの作品を紹介し、金蔵の人間像に迫った。また、館所蔵の3点を対象にした科学調査が初めて行われ、これまで伝えられてきた泥絵具だけではなく、一般的な絵の具も使用されていることも判明。絵金の鮮やかな色彩は構図や色の対比で生み出されていることも判ってきた。現時点での絵金研究の集大成として大版図録を出版し、大局的な視点から金蔵と絵金文化をとらえた。「美術史や同時代の他の地方との関係の中で、絵金をどう位置づけていくのかが今後の課題だと思っています」と後藤さん。
もうひとつ、絵金を語る上で欠かせない施設が赤岡町にある。2005年に開館し、町民が受け継いできた芝居絵屏風23点を収蔵する絵金蔵だ。町民有志によるNPOが運営し、学生時代から絵金研究のために町に出入りしていた横田恵さんが蔵長を務める。「私たちの蔵は、地元に残された作品を保存し、祭と密着した絵金文化を伝えるためにつくられました。今年は新しい取り組みとして、祭の日に現代作家や漫画家にロウソクの灯りで見る新作屏風絵を描いてもらう『えくらべ復活展』を開催しました。昔は新しい芝居絵屏風ができるたびに町の人たちが“えくらべ”をして出来映えを競い合っていたそうです。鍵岡先生には専門家として今も協力していただいていて、09年には絵画として『旧赤岡町の土佐芝居絵屏風』が高知県の文化財に指定されました。生誕200年で広く絵金に光が当たったことは、今後の継承の弾みになったと思います」と横田さん。専門機関としての県立美術館と地域の祭文化としての伝承を担う絵金蔵、この両輪があってこそ生きた文化を伝えることができるのだと感じた。
また、赤岡町では絵金文化を盛り上げるために地元有志によって結成された絵金歌舞伎伝承会も活動している。その上演にも招かれる太夫の竹本美園さんが県立美術館で素浄瑠璃を披露していた。「美術作品として見ると絵金作品はおどろおどろしさに注目されがちですが、浄瑠璃の語り手から見ると細部まですべて腑に落ちます。こうした絵を高知の町衆が楽しんでいたとうことは、歌舞伎や浄瑠璃の目利きであったからこそ。県立美術館での展示を通して、より多くの方々に高知独自の文化に興味を持ってほしいと願っています」と竹本さんは言う。
担い手の高齢化などで祭の開催が困難な地域も現れているが、美術館での展示を見て、その継続に意欲を高めた例もある。絵金という類いまれな地域文化をどうすれば継承・活性化できるか。公立文化施設の役割は存外に大きい。
(アートジャーナリスト・山下里加)
●高知県立美術館「絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展 極彩の闇」
[会期]2012年10月28日~12月16日
[主催]高知県立美術館、KUT Vテレビ高知
[協力]香南市絵金生誕200年記念事業実行委員会
[会場]高知県立美術館
*香南市絵金生誕200年記念事業「極彩の闇」(2012年7月3日~2013年3月31日)絵金祭り特別展示(7月3日~22日/絵金蔵)、土佐赤岡絵金祭り(7月21日、22日:赤岡町本町・横町商店街)、土佐絵金歌舞伎伝承会公演(7月21日、22日/弁天座、11月11日/高知県立美術館ホール)などが行われた