東日本大震災の未曾有の危機に、岩手県立美術館の非常勤館長として事に当たったのが、3年前に横須賀市立美術館から転身した原田光だ。
「震災直後、被災地の復興支援に廻すために、県から新年度の企画展の予算(約8,000万円)を全額返還との指示がきました。晴天の霹靂でしたが、決定は覆らなかった。予算もない中で美術館の役割をどう果たすか、ともかく全員で喋りたい放題喋ろうと。そしてともかく一刻も早く開館しようと話しました。みんな気分が沈んでいて、美術館を開いても意味がないという意見も随分出ました。しかし、僕は震災から立ち上がるために美術館が開いていることには意味があると力説した。部分開館でしたが震災から1週間目には開館に漕ぎ着けました」
この美術館には、市からの派遣職員や財団に雇用されている学芸員、3年サイクルで教育普及職員として派遣されてくる県内の中学・高校の美術教師もいる。さらに施設管理のための指定管理会社社員も含め、さまざまな議論が行われた。それは美術館に関わる20人以上の職員が初めて全員同じテーブルに着いたこれまでにない話し合いだったという。
4人いる教育普及職員のひとり、三田聡子は、大船渡や陸前高田にかつての教え子がいるため気が気ではなかった。三田が振り返る。
「今美術館が被災地に行って何ができるんだという声もありました。でも私は行くべきだと思った。それで4月に入ってから、ともかく普及職員で被災地の視察に行きました」
この時助けられたのが、教員としてのネットワークだった。つてを辿って被災地の学校を巡ると、「毎日瓦礫ばかり見ていて嫌になるし、よそにも行けないので、子どもたちのニーズに合わせて何かやってほしい」という声が多数寄せられた。
─美術館活動をしてもいいんだ!
教育普及職員たちは奮い立った。それまで未経験のアウトリーチ型の活動が始まったのは、それから間もなくのことだった。ワークショップについては経験がある。瓦礫で色のなくなったところに美しい色を持ち込みたい。でも水がないので絵の具は使えない。それなら美しい色を塗った積み木やビーズを持って行ってみんなに「ユメノマチ」をつくってもらおう。
栗林小学校でそのワークショップの様子を見たが、日曜日の昼下がりに子どもたちと保護者が計40人ほど集まり、積み木にビーズを付けたり目玉を付けたり、子どもたちの想像力は色と素材と形の組み合わせで無尽に広がっていった。約2時間があっと言う間に感じられるほど夢中になれる体験が、被災地の子どもにとってどんなに大切なことか。出来上がった作品は美術館の収蔵品となり、そのフロアの一画に、ワークショップと連動して縦横無尽に広がる「ユメノマチ」として展示されていた。
一方で、企画展を実施運営する学芸員たちも手さぐりの活動を始めた。原田が振り返る。「これまでは企画展とはいっても巡回展を受け入れるばかりでした。しかし今回は予算がないから知恵を出してゼロから立ち上げなければならなかった。学芸員の力の出しどころだったはずです」
この時力になったのは、これまで学芸員個々が培っていた岩手在住、あるいは出身の若手アーティストとの“繋がり”だった。学芸員・吉田尊子が振り返る。
「アーティストにはほとんど作品の輸送費だけで出展をお願いしたのに、皆さん喜んで協力してくれました。私たちの予想を越えて若手作家に共通する時代観が見えてきたのには、驚きました」
企画展の構想が立ち上がったのは6月。わずか1カ月の準備期間で「つながり」をテーマにした「IMA(いま)ここで」展が始まり、好評を博している。年明けには第2弾も予定されている。
栗林小学校で子どもたちの様子をニコニコしながら眺めていた原田が力強く言った。
「この震災を契機に美術館は変わります。自分たちで考えて行動する美術館になる。地域性を生かしたユニークな館にならなければいけないと思っています」
(ノンフィクション作家・神山典士)
●アートデオヤコ拡大版「『ユメノマチ』ができるまで」ワークショップ
[会場]5月21日:陸前高田市立米崎小学校/5月22日:陸前高田市立長部小学校、陸前高田市立広田小学校/6月18日:大船渡市立綾里小学校/6月19日:大船渡市立大船渡北小学校、大船渡市リアスホール/7月23日:大槌町中央公民館/7月24日:釜石市立双葉小学校、釜石市立栗林小学校/8月27日:宮古市山口公民館
※地域創造HPの震災関係情報アドレス
http://www.jafra.or.jp/j/guide/navi/data/higashinihon.html