講師 田村緑
(ピアニスト)
地域創造の「公共ホール音楽活性化事業(おんかつ)」では、アウトリーチとしてクラシック音楽の演奏家を学校や福祉施設等に派遣し、3つの「小」(少人数、長くない時間=小さい時間、小さいスペース)を方針としたアクティビティを行っています。ホール担当者と登録アーティストが共同で企画するアクティビティは、楽器の種類や演奏家の伝えたいこと、考え方によって内容が異なります。「音楽アウトリーチの基礎知識②」では、おんかつ登録アーティストの経験があり、ステージラボのコーディネーターや講師でもご協力いただいているピアニストの田村緑さんの取り組みについて紹介します。
アウトリーチのきっかけと考え方
私は1990年から10年間イギリスに滞在(留学、演奏活動、音楽院勤務など)していたが、その時に「サロンコンサート」という演奏会のスタイルがあることを初めて知った。そこは、ステージと客席が分れているコンサートホールでの演奏と異なり、演奏家と聴衆の関係が対等で、誰かのために演奏する喜びを教えてもらった気がした。ものすごいカルチャーショックを受けて、サロンコンサートと同じような空気感を醸し出せるピアニストになりたい、こういう環境をつくるような活動がしたいと思った。
帰国した時には、すでに地域創造の公共ホール音楽活性化事業がスタートしていた。第2期(平成12・13年度)登録アーティストの小林史真さん(ハーモニカ奏者)に共演者として誘われ、コーディネーターの児玉真さんと共に美野里町(現小美玉市)四季文化館みの~れでアウトリーチを体験した。自分が求めていた活動に近いおんかつの仕組みを知って、第3期(平成14・15年度)登録アーティストに応募した。
登録アーティストとして初めて派遣されたのが、北海道の苫前町公民館だった。アウトリーチ先の中学校からは、将来の進路を考える時期なのでそれに繋がるアクティビティにしてほしいと要望され、コーディネーターの能祖将夫さんが将来の夢についてアンケートを取ることを考えた。能祖さん、声楽家の大森智子さん、地域創造の小澤櫻作さんと一緒で、チームによって考えることで本当に助けられた。この頃は、子どもたちとどう向き合うか、演奏家として何をどう行うのか、自分の能力を発揮すべきところはどこなのかを模索していた時期だった。
小林さんのアクティビティは、子どもたちと散策して森の音楽会を行ったり、自分でオリジナル台本を書いたりと、とても企画性があった。では、私には何ができるのか。試行錯誤して思い至ったのは、私がアウトリーチで実現したいことは、常に最上の音楽がある中で、“聴く喜びに満ちた聴き手”になるための体験をしてもらうこと。つまり、“聴く喜び”を探るために、演奏家と聴き手という関係をさまざまな角度から見つめ直し、音楽を聴く回路をつくれるようになってもらうことだった。演奏家が音楽と個人的な関係を結ぶのと同じように、聴き手も音楽と個人的な関係を結べるはずで、その関係を活性化することで、聴き手自らが回路という橋を自らの感性で架けられるようにしてあげたいと思った。
「聴く」というのは耳だけで聴くことではなく、全身全霊を解放することであり、誰でもそういう「能動的な聴き手」になることができる。もちろん、クラシック音楽がもっている決まり事やイディオムを攻略することも必要だが、それを講義で伝えるのではなく、「聴くことに伴う楽しい作業」を通して伝えたいと思った。
それは例えば、楽器を解体して構造を理解してもらうだけでは足りず、ピアノの下に潜って響きのシャワーを浴びながら聴いてもらうこと。私が子どもの頃にはやりたくてもやらせてもらえなかったことだが、聴き手を音楽の中に導くためには欠くことのできないアイテムになった。
このように学校へのアウトリーチでは、できるだけ音楽を楽しめる体験に導くプログラムを考えていった。また、ホールで行うワークショップでは、テーマを掲げて参加者と一緒にそれを掘り下げていくプログラムを考えた。例えば、座る場所でピアノの響きが違うことを聴き比べながら体験してもらい、自分にとってのベストシートを探すワークショップなどを行った。
こうしたプログラムをつくることは、自分自身を固定概念からどれだけ自由にできるかということでもある。クラシック音楽でありながら斬新。常に新たな視点で聴き手と向き合えたらと思っている。
現在の取り組みと具体的なプログラム
最近は、地域創造の事業で出会ったホールの方々からの依頼も増えて、おんかつ型(3つの小、コンサート1回、アクティビティ4回)だけでなく、さまざまなアウトリーチ事業に関わらせていただくようになっている。また、地元演奏家を対象にした音楽アウトリーチ研修の講師として招かれることもあり、改めてこうした取り組みが全国的に広がってきていることを実感している。
ちなみに今年度は、徳之島町文化会館、三鷹市芸術文化センター、青森市文化会館、尾道市・しまなみ交流館、宮崎県立芸術劇場、第一生命ホール、ユメニティのおがた、北上市文化交流センターさくらホール、大田区民ホール・アプリコ、三重県文化会館、仙南芸術文化センターえずこホール、せたがや文化財団、北九州市・響ホール、横浜みなとみらいホールとご一緒して事業を行う予定になっている。いくつか内容を紹介すると─。
三鷹とはおんかつ登録アーティスト2年目からのお付き合いが続いていて、今年で8年目になる。私が三鷹出身だったことから、NHKの「ようこそ先輩」のようにOBが母校を訪問するようなプログラムにしたいと要望され、卒園した幼稚園に出掛けて『くるみ割り人形』を基にした創作台本による「音楽絵本」を行った。3年目からは、3組のアーティストが分担して市内の全小学校16校でのアウトリーチと、1月のガラコンサートを行うようになり、今でもそれが続いている。
青森に私が関わるのは今年度が初めてだ。コンサートの前に、3度青森に行って毎回小学校3校とホールでのアクティビティを行うことになっている。小学校のうち1校は同じ学校への連続アウトリーチを企画中で、子どもたちがどう変化していくのかを見たいと思っている。大田では、大人向けのプログラムも企画していて、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』を題材に、演奏を聴いてイメージしたことを自分への手紙や詩にして冊子を作成する。
今年7月に10周年を迎える第一生命ホールでは、2007年に初めて連続アウトリーチを行った豊海小学校に3カ月で6回連続して行く。『動物の謝肉祭』をテーマに4年生が3年生に贈るコンサートをつくろうという企画で、10周年記念コンサートでは子どもたちとプロとの共演も予定されている。
直方では「めざせKidsプロデューサー」という企画で5回シリーズのワークショップとアウトリーチ、ガラコンサートを行う。世田谷では、昨年、親子を対象にした「世田谷ふれあいコンサート」を百倍楽しむ方法として事前ワークショップを行ったが、今年も聴く楽しみを知ってもらうプログラムにできればと思っている。
どこで行う場合も、小学校で行うアウトリーチでは、1コマ45分でできるだけさまざまな角度から音楽に光を当て、音楽と聴き手の回路が繋がる一瞬を体験してほしいと思っている。具体的には、①ピアノの秘密(ピアノの解体や響き体験など、子どもと楽器の壁をなくすためのプログラム)、②参加コーナー(ハンドベルを一緒に演奏するなど、演奏家と音楽空間を共創するためのプログラム)、③イメージ・コーナー(音楽を聴くという内的な体験を詩や絵などにして外に表すためのプログラム、④分析コーナー(他の何かと結びつけて楽曲や作曲家の理解を促すプログラム。例えば、絵画と『展覧会の絵』、ソナタ形式を粘土で創作するなど)、⑤演奏コーナー(一番聴いてもらいたい曲を演奏して、ピアニストの自分と子どもたちの生の関係をつくる)といった内容を盛り込んでいる。
私には、コンサートピアニストとして音楽を究めようとしている自分と、万人のものである音楽を共に楽しめるよう広めたいと思っている自分の両方の側面がある。ベートーヴェンと私との関係に他者は介在できないし、その関係を究めたいからこそ音楽家でいる。そういう「音楽」とはまさに“Food for Soul”(魂の糧)である。
かつては究める自分と広める自分に矛盾を感じたこともあるが、今の私は、この二つの間に矛盾があるとは思っていない。そのことを教えてくれたのがサロンコンサートであり、アウトリーチだった。道を究めた巨匠たちにも精進中の音楽家にも、どんな人にも演奏できる場は開かれていて、聴いてくれる人と音楽を共有する楽しみが待っている。
音楽の懐は深い。今は、音楽という山を、演奏家として険しい断崖絶壁を見ながら、ある時は2合目、ある時は3合目、ある時は頂上までもみんなと楽しく登りながら山の偉大さを共に感じ、みんなから断崖絶壁ルートに挑む勇気をもらっているような、そんな感じがしている。
●田村緑プロフィール
東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を経て、イギリスに留学。ギルドホール音楽院ピアノ科首席卒業、シティユニバーシティ大学院音楽部演奏学科修士課程修了。第4回インターカレッジ・ベートヴェンピアノコンクール第1位など数々の賞を受賞。1998年よりギルドホール音楽院でパフォーマンスフェローとして2年間勤務する傍ら、コンサートピアニストとして演奏活動。帰国後、在英経験を生かした独創的なプログラムづくりで演奏活動を行う。平成14・15年度公共ホール音楽活性化事業登録アーティスト(現在は支援事業登録アーティスト)。公立ホールによるアウトリーチや第一生命ホールによるコミュニティ音楽活動にも力を入れ、パイオニアとして全国各地で活躍。