講師 志賀玲子
(コンテンポラリーダンス・プロデューサー、地域創造ダン活コーディネーター)
コンテンポラリーダンスの価値観とともに普及
地域創造がダン活で取り組んでいるのは「コンテンポラリーダンス」という領域のダンスであり、それがこの事業の最大のポイントとなっている。
2005年にスタートしたダン活は、コンテンポラリーダンスの登録アーティストとコーディネーターを地域に約1週間派遣し、公立ホールと共同で地域交流プログラム(学校や福祉施設等でのアウトリーチおよび公募等によるホール内で実施するワークショップ)と公演を企画するというものだ。当時はジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)や芸術家と子どもたちといったNPO法人がコンテンポラリーダンスと地域や学校を繋ぐ活動を始めてはいたものの、公立ホールのアウトリーチという取り組みも始まったばかりだし、それどころかコンテンポラリーダンスの場合は公演を観たこともやったこともない所がほとんどだった。つまり、クラシック音楽や演劇と違って、そもそも「コンテンポラリーダンスって何?」というところからスタートし、ダン活とともにコンテンポラリーダンスの価値観とアウトリーチの可能性が一体になって普及していった経緯がある。
では、コンテンポラリーダンスとは何か? 私なりに言うと、「100人の身体には100通りのダンスがある」ということだろう。自分の身体を使って、自分にしかできないダンスを発見すること。トレーニングされた身体によるダンスの素晴らしさがある一方で、ある型に身体をあてはめていくのではなく、「その人の人生や経験そのものが顕れた身体がすでに表現してしまっている動き・たたずまいを“ダンス”として見ていくこと」ではないか。こうした考え方が「コンテンポラリーダンス」という言葉で語られるようになったのは、ここ20年のことだ。
少し自分の経験を話すと─。1980年代にピナ・バウシュなど海外から第一級の現代ダンスの招聘公演が次々に行われるようになり、89年に集大成のようなダンスフェスティバル「ヨコハマ・アート・ウェーブ」が横浜市政100周年記念として開催された。そこで広報スタッフとして、あまりにも自由な世界の最先端のダンスの潮流にふれた私は、90年に伊丹アイホールのプロデューサーになってからシリーズ企画「アイホールダンスコレクション」を立ち上げた。当時、公立ホールの自主事業でダンスに継続的に取り組んでいたところはほとんどなかったと思う。
当時はまだ「コンテンポラリーダンス」という言葉はなかったが、アイホールでは「この人にしかできない」と感じさせてくれる首都圏や海外のダンスを1本1本紹介し始めた。大野一雄さんからシリーズをスタートし、たくさんのソロ舞踏の公演も行った。公演と平行して、経験や年齢を問わない一般対象のワークショップも毎回ほぼ実施した。当時、関西でダンス事業をやるということは、観客も地元アーティストもゼロから掘り起こしていくということだったので、公演以外にもトークやワークショップなどのコミュニケーション・プログラムは必至であった。観て感じてもらうだけでなく、言葉で語り、身体を動かして体験し、アーティストを身近に感じてもらうことが必要であった。アイホールは小劇場演劇を主事業としていたので、ダンスでも小劇場の劇団のように、若い人たちが自分の表現としてダンスをやる状況と、それを観る観客層を育て、関西におけるダンス・コミュニティを立ち上げることに必死だった。当時は地域住民へのアウトリーチまでは全く頭がまわらなかった(というか、アウトリーチという考え方そのものが日本にはなかった)。
一方、当時から私は岩下徹(即興ダンス・山海塾の舞踏手)のマネージャーでもあったので、彼を通じて劇場に来ることのできない人へのアプローチを行っていた。岩下は、ダンスセラピーの先駆けとして88年から精神科の入院患者や知的障碍者・高齢者に対する試みを続けており、そこで踊りと無縁の人の生の身体が生み出す動き(ダンス)、あるいは動かないことが、大野一雄さんの表現にも匹敵するような記憶に残る豊かさをもっているという場面に幾度も出合っていた。
当時の私は、アイホールのワークショップと岩下の仕事は別のものとして展開してきたが、「100人の身体には100通りのダンスがある」というコンテンポラリーダンスの可能性の萌芽は、双方の現場において顕著であり明らかに現在のダン活に通じる経験であったといえる。
ダン活での展開
ダン活は、1998年にスタートした「公共ホール音楽活性化事業(通称:おんかつ)」のダンス版として検討されてスタートしたが、その目的は大きく以下の3つだった。
①それまでほとんど紹介されたことのないコンテンポラリーダンスのプログラムを地域に拡げる
②地域に相応しいプログラムをアーティストと相談しながら企画できるホール職員を育てる
③アーティストによるワークショップのアウトリーチを行い、「自由に身体を動かすことの楽しさ」「身体によるコミュニケーションの有効性」「その人らしさをそのまま認めるというコンテンポラリーダンスの価値観」を子どもたちや一般の人に体験してもらう
当初は、①が重要なテーマであり、登録アーティストもこのプログラムを見れば日本の現代ダンスシーンが一望できるような顔ぶれとなっていた。しかし、準備期間を含めて6年間にわたって事業を展開する間に状況は当初の想定とはかなり変わってきた。ひとつはイギリスのコミュニティダンス(*1)の情報が日本に伝わったこともあり、地域でダンス事業を継続的に展開するための地域発のアイデアとして、純粋な鑑賞事業としての公演だけでなく、ワークショップ参加者によるダンスを公演にからめる企画への注目が集まっている。
そして何よりも、ダンスとは縁遠いと思われていた方々へのアーティストによるワークショップのアウトリーチの可能性が高く評価されるようになったことだ。実際に、学校で日常の集団活動がむずかしい子どもの、弱さや生きづらさや居場所のなさに、コンテンポラリーダンスのアーティストが共感することで違う一面が引き出されるといったことがしばしば起こっている。地域創造が実施したアウトリーチ先の小学校・中学校へのアンケートでも約75%の先生が「自分の考えや気持ちを表現する力」がつくと回答している(*2)。
こうした変化により、現在は、ダン活の登録アーティストにはアウトリーチやコミュニティダンスに対応できる資質が強く求められるようになってきている。
力を入れている研修プログラム
ダン活では、事業の参加者に対する研修に力を入れている。研修プログラムはこの6年間で徐々に整備され、現在は、事業実施前年度の11月頃(10月上旬に実施団体内定)、2日間にわたって公立ホール職員向けの基礎研修(コンテンポラリーダンスとは? コンテンポラリーダンスは地域で何ができるか? アーティストを選ぶ観点は?)を実施。そこでは、90分程の本格的なワークショップを体験し、30分程の作品映像を観てアーティストに直接質問する場を設定。ほとんどの参加ホール職員にとって、これが初めてのコンテンポラリーダンス体験となるため、そこで体験したことを自分の言葉で説明するワークショップも併せて行っている。コンテンポラリーダンスやワークショップの魅力を、借り物ではない言葉で自身の所属する組織やアウトリーチ先の関係者に伝えることは、公演の広報活動にも繋がる重要な第一歩だと考えている。
登録アーティストに向けた研修も2年に一度実施し、①ダン活の目的は地域においてアーティストと協働してダンスの企画をつくれるホール職員の人材育成であること、②地域の多様な状況の説明、③1週間の地域交流プログラムと公演の組み立て方、④ダン活の公演の具体的なケーススタディ(千人規模のホールの舞台上舞台での上演例など)、⑤地域交流プログラムの注意事項などを伝えている。1月には、登録アーティスト全員が30分の持ち時間で参加ホール職員に向けてダンスとワークショップをプレゼンテーションし、アーティストと交流する機会を設けている。プレゼンの翌日には、参加ホール職員に自身の地域とホールの状況と、具体的なアーティストのイメージをすり合わせて企画へと繋げる事業計画書作成に向けての企画相談を行っている。
現在までで全国58館が事業に取り組み、2009年からはダン活の参加ホールが事業を継続するための支援事業もスタートした。その結果、アウトリーチへの評価は高くなったが、アーティストの主たる活動である公演の実施に必須な、地域での観客育成が今後の課題となっている。
*1 コミュニティダンス
教育や健康、福祉、地域活性化などにダンスの力を活用しようという活動。制作基礎知識シリーズVol.29「コミュニティダンスの基礎知識」(本誌2008年11月号~09年1月号)参照。
バックナンバー
*2 ダン活に参加した学校の教員対象アンケート「子どもたちのどのような能力に効果があるか」
・自分の考えや気持ちを表現する力 75.4
・人と対話したり接する力 52.6
・新しいアイデアや物事を生み出す力 57.9
・目に見えない事象をイメージする力 35.1
・素直に感動する心 66.7
・一つの目標に向かって集中する力 17.5
・集団で一つのことに取り組む力 42.1
・他人の気持ちに共感する力 15.8
・言葉や文章で他者に伝える力 0
・その他 1.8
※地域創造「文化・芸術による地域政策に関する調査会」資料より(複数回答/単位:% /ダンスのみ抜粋)