3月11日、お馴染み小泉八雲の怪談『耳なし芳一』がオペラとなって、富山県射水市の高周波文化ホールで上演された。
この夜、ロビーに集まった聴衆の中には、花束を持った人が何人もいた。「今夜は先生の歌声が楽しみね」といった声も聞こえてくる。
今回の企画の最大のポイントは、主催に石川県、射水市、横浜市の3つの文化財団やホールが名を連ね、各地に縁の深い演者が出演すること。ソリストも、芳一役の中鉢聡以外は各地域で活躍するアーティストがオーディションで選ばれた。演奏はオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が担当するが、合唱団と小坊主たちは各地域のアマチュア団体から選ばれている。
主催の中心となった石川県音楽文化振興事業団の思いは大きく2つ。
オペラを身近に感じてほしい。
地域の人たちの手でオペラをつくり上げたい。
OEKと石川県立音楽堂を運営する同事業団の特命理事で、今公演の総合プロデューサー・山田正幸は語る。
「この小ホールオペラシリーズは一昨年の『あまんじゃくとうりこひめ』から始まりました。出演者を地元から集めるだけでなく、衣装は金沢美術大学の学生が製作し、装置も地元でつくる。大きなオペラを上演するには予算確保が大変ですが、そういう工夫をすることで毎年オペラを上演することができると考えたのです」
『耳なし芳一』は、石川県立音楽堂の洋楽監督を務める池部晋一郎の作品。その縁で、池部が館長を務める横浜みなとみらいホールと、市民歌を作曲した射水市の文化振興財団が共同開催に名乗りを上げた。
とはいえ、共同開催はコストは削減できる代わりに手間はかかる。練習は金沢と横浜の2箇所で行われ、同じシーンを複数の出演者でつくり上げなければならない。
「今までさまざまな取り組みをやってきて経験豊富ですから大丈夫です」
同事業団事業部長の岩崎巌が言う。
これまでに同事業団は大小さまざまなオペラを制作してきた。金沢市観光会館をリニューアルしたオペラ専用ホール・金沢歌劇座では『カルメン』『ラ・ボエーム』『トゥーランドット』をプロデュース。来年度には『椿姫』も控えている。
それらの制作においても出演者は金沢で決め、金沢でできること、金沢でつくれるものは極力金沢で済ませ、「地域発→東京から全国へ」というベクトルを大切にしてきた。山田が言う。「オペラ制作に携わった人が地域に増えれば、オペラの裾野が広がります。共同開催で低料金に設定できればファンも増えていく。海外からオペラを招聘することは、非常に難しい時代ですから」
もちろん地元発の取り組みが可能なのは、88年から日本初の室内楽オーケストラOEKを自治体がもち、01年からはその専用ホールもつくってさまざまなクラシックのうねりを生み出し続けてきたこの事業団の活動の蓄積に他ならない。
「今回の出演者の中には、地元の学校で音楽を教えている先生や声楽教室を開いている人もいます。そういう先生の生徒たちがオペラに身近に接してくれることも大切なんです」
開演前のホールで客足を見ながら岩崎が言う。
実はこの日岩崎には、一つ忸怩たる思いがあった。前日に行われた金沢公演。約650席の音楽堂邦楽ホールで行われた同公演は、当日券を求める観客が多数詰めかけ、満員札止め状態で帰っていただく人も出てしまったからだ。
─2公演にしておけばよかった。
真冬の怪談、地味な演目ということで弱気になってしまったことを岩崎は悔いている。けれどこの贅沢な悩みこそ、次の公演への希望であることは間違いない。
終演後のロビーには、出演者向けの花束が山のように集まっていた。地域生まれ、地域発の文化の花が、確かに咲いた瞬間だった。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●金沢・射水・横浜三都市提携公演オペラ『耳なし芳一』
[主催](財)石川県音楽文化振興事業団、横浜みなとみらいホール、(財)射水市文化振興事業団
[会期]金沢公演:3月10日/石川県立音楽堂、射水公演:3月11日/高周波文化ホール(新湊中央文化会館)、横浜公演:3月14日/横浜みなとみらいホール
[原作]小泉八雲
[訳]平井呈一
[脚本]矢代静一
[音楽・指揮]池部晋一郎
[演出]杉理一
[出演]中鉢聡、志村文彦、安藤常光、仲代達也(ナレーション)ほか
[演奏]オーケストラ・アンサンブル金沢、半田淳子(琵琶)
[合唱]OEK室内オペラ合唱団