西武線所沢駅から歩いて2分、駅前のデパートを通り抜けると、目の前に倉庫群が広がる。2000年まで西武鉄道所沢車両工場として使われ、現在は西武系列の物流倉庫となっている場所だ。ここを舞台に、8月28日から9月23日まで所沢ビエンナーレ美術展「引込線」が開かれた。建物内部に足を踏み入れると、むき出しの鉄
骨と高い天井に圧倒される。足下には引込線。その足下から天井に向けて、巨大な球根から芽が出たような戸谷成雄の白い木彫がすっくと伸びている。天井に目を向けると神様のハンモックのような手塚愛子の『通路─底抜けのゆりかご』が揺れている。文字通り、一気に非日常へと引込まれるようだ。
「引込線」展示場内部。戸谷成雄(上)や手塚夏子(下)をはじめ、広大なスペースにゆったりと作品が展示されている。
Photo: Noriko Tsuchiya
所沢在住の現代美術作家たちが中心となって実行委員会を組織し、「表現者の原点に立ち返って、自ら表現活動のできる場をつくる」という主旨に賛同した人々と共に、手づくりで立ち上げたものだ。「テーマを設けない」「作品の形体、形式、思想を限定しない」「出品者の人選は可能な限りゆるやかに」「執筆者も同じ地平の表現者として参加」「次世代が育つ現場であること」などを特徴として掲げた。
2008年夏にプレ(先行)展が行われ、美術ファンのみならず、会場の特性から鉄道ファンをも惹き付け、全国から5,000人近い観客を動員。今年、満を持しての第1回展となった。
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開催のきっかけは2007年春に遡る。遠藤利克、戸谷成雄、中山正樹ら、世界で活躍する団塊世代の美術家たちが顔を合わせた飲み会で、「もう一度、作家主導の展覧会を開こう」という声が上がったのだ。彼らはかつて、所沢航空記念公園のオープン時(1978年)に「所沢野外美術展」を企画、開催した経験があった。「100年に一度と言われる不況下、大きく変動する時代状況や美術シーンの中で、表現の純度や強度を保つべく、行動しようと思いました」と実行委員長を務めた中山は語る。
ほどなくして、戸谷が、所沢市内のある小学校が廃校になると聞き、利用できないかと教育委員会へ出向くことに。そこで応対したのが、所沢で数々の展覧会や美術のアウトリーチを手がけていた社会教育課(当時)の関谷英雄さんだった(現所沢市生涯学習推進センター)。小学校は社会教育施設への転用が決まっていたため、関谷さんは、市主催のイベントで利用したことのある西武鉄道の車両工場跡地を会場にと思いつく。
作家たちは現地を訪ね、一目で気に入り、西武鉄道に掛け合う。西武鉄道側は、市が間に入るのであればと、敷地内の建物2カ所を無償で提供することを了承。準備期間の短さから、十分な額の助成金、協賛を集めることができず、作家ひとりにつき5万円、執筆者は掲載1ページにつき5000円の参加費を出し、プレ展開催にこぎつけた。
所沢市と市教育委員会は、スタッフや広報などでサポート。また、埼玉県立近代美術館が助成金申請やワークショップ、シンポジウム運営などをバックアップ。戸谷が教鞭を執る近隣の武蔵野美術大学、所沢に校舎のある日本大学藝術学部は学生たちがボランティアスタッフとして参加するなど、「作家が苦手なところは僕らが支える体制をとりました」(埼玉県立近代美術館学芸員・前山裕司さん)という。
今年は会場を拡大し、海外からの出品者を含む、世代やジャンルもさまざまな作家36名、執筆者28名が参加。ダンサーの田中泯のパフォーマンスや公開制作など関連イベントにもさらに力を入れた。
前山さんは「会期中、埼玉近美で開かれている『長澤英俊展』とセットで観に来た人もいたようです。県としても、現代美術家の多い所沢という場所はアートの拠点として注目しているし、今後も盛り上げていきたい」と期待を寄せる。
現段階では作家主導の展覧会のひとつであり、どのように発展していくかは未知数だ。ただ、「所沢」と銘打っていることに関して中山は、「美術史をひもとけば、ベネツィア派やバルビソン派、あるいはダダにおけるチューリヒやハノーヴァーなど、地域と結びついた美術家や美術運動がたくさんある。所沢ビエンナーレから、多くの若手が育ち、名作が生まれることを願っています」と結んだ。
(ライター・土屋典子)
●第1回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」
[主催]所沢ビエンナーレ実行委員会
[会期]8月28日~9月23日
[会場]西武鉄道旧所沢車両工場
[参加作家]中山正樹、遠藤利克、戸谷成雄、伊藤誠、豊嶋康子、村岡三郎、手塚愛子、田中泯 ほか