観光スポットとしても注目を集めている滋賀県近江八幡市。その中でも古い町並みが残る伝統的建造物群保存地区に、ボーダレス・アートミュージアムNO-MAはある。運営は、滋賀県社会福祉事業団。2004年の開館以来、障害ある人たちの表現活動と現代アートを含めた広いジャンルとの交流の場として活動してきた。建物は、築70年の町家(旧野間家)を改装しており、特に2階部分などは床の間や襖などがある和室で、“家”の雰囲気が残されている。
一方でNO-MAが気を配ってきたのが、地域との交流である。改装前から伊達伸明(壊される建物の一部を使ってウクレレをつくる美術家)に依頼し、『野間家ウクレレ』を制作した。また、「モノと思い出」展では、美術家のしばたゆりが地元の人たちの思い出の品を写真に撮り、作品として発表している。それらは一定の評価を受けながらも、地域の人たちは「お客さん」としてNO-MAに招かれる関係であった。
その関係をひっくり返したのが、「『近江八幡お茶の間ランド』にちょっと寄ってくれはらへん?…ふつうの町のキュートな日常…」である。仕掛け人は、横浜在住のアート・グループ、アート・ラボ・オーバの2人組。彼らは、以前からNO-MAを訪れており、「横浜という新興都市に住んでいると、近江八幡のような歴史の深い町は“人がいた”という痕跡が濃厚で、すべてが新鮮に見える」といい、「2007ボーダレス・アート企画公募」に町とそこに住む人の日常を主体とする展覧会企画を応募した。
企画は通ったものの、当初は「企画に合うような人たちに何人出会えるか」と不安だったらしい。ところが、NO-MAの運営委員でもある白井貞夫さん(75歳)が、箸袋や煙草の袋など一度使われた物を収集する「もったいないコレクター」だと判明したのを皮切りに、地元小学校の教師・鳥井新平さんら強力サポーターが現れ、次々とオーバを近江八幡の人と場に引き合わせていった。そして、時が止まったような荒物屋「ます六本店」(創業1800年頃)、商品より飾りの人形が目立つ「扇伊醤油醸造店」(創業江戸後期頃)などの協力を取りつけ、普通の人たちが暮らす“お茶の間”や“店先”をそのま会場に持ち込む前代未聞の展覧会へと進んでいったのだ。さらに、自宅や入所施設の自室でものづくりをしている知的障害者、都内の公園でホームレスとして生活しているカフェ・エノアール、東京在住の建築科出身のアーティスト坂口恭平らも参加。オープニングには、地元の音楽グループも交え、アーティスト、障害者、地元の人たちが渾然となる“ボーダレス”な宴が催された。
とはいっても、地元の人たちにとっては、見慣れた風景がなぜ「展覧会」になるのかはわからないまま、オーバの熱意に巻き込まれていったというのが実情だ。
例えば、最年長の中山喜代子さん(85歳)は、かわいらしいキューピー人形の服を編んでは、「ほこって(埃をかぶって)汚れないから」と寿司のパックに入れて玄関先などに飾っている。昨年末の出品依頼の時は、「体も弱ってきたし、年を越せるかわからないから」と及び腰であった。だが、展覧会が始まり、自分が編んだキューピー人形の服を熱心に見て回る観客を見てからは、髪を結い直し、お化粧をして、家族や親戚たちを自ら案内して回るようになった。
他の出品者も何度も会場を訪れては、展示物を足していったり、並べ替えたりと次々に変化させていった。鳥井さんは近江八幡に常駐できないオーバに代わり、地域からの情報発信役を担った。きっかけは、アート・ラボ・オーバという“よそ者”からの働きかけであったが、次第に地域の人たちが「自分たちの展覧会・場所」という意識で動き始めたのだ。
近江八幡について坂口は「“閉じこめられているが溢れ出す感じ”に共感する」と言い、オーバはそんな町と人を「丁寧に見て回った」だけである。だからこそ、町と人の魅力と底力が鮮やかに浮かび上がってきたのだ。会期終了後も鳥井さんは「オーバちゃんが開いてくれた回路が新たなバージョンとなり展開している」と、フランスの映像作家の町案内をするなど忙しく動いている。町に根をはるNO-MAを拠点にさまざまな芽吹きが始まっているようだ。
(フリーライター・山下里加)
●「『近江八幡お茶の間ランド』にちょっと寄ってくれはらへん?…ふつうの町のキュートな日常…」
[主催]ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(社会福祉法人滋賀県社会福祉事業団)
[会期]2008年1月12日~2月17日
[会場]ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
●ボーダレス・アート企画公募
障害のある人の表現を盛り込んだNO-MAでの展覧会企画の公募。NO-MAアートディレクターのはたよしこ、アーティストの藤本由紀夫らが審査員。今回が3回目。
[助成]独立行政法人福祉医療機構