始まりは2001年、コンサートで赤穂を訪れたヴァイオリニスト樫本大進から市に贈呈された20挺のヴァイオリンだった。
─子どもたちが気軽にクラシック音楽にふれられるようにぜひ教育に使ってください。
欧米で生まれ育った樫本にとって、赤穂は母の実家の町。少年時代、一人で飛行機と新幹線を乗り継いでおじいちゃんを訪ね、束の間、日本の夏と小学校生活を体験した“故郷”でもあった。その年から、赤穂では学校にチラシが配られ、抽選で20人の子どもたちがヴァイオリンを習い始めた。この時、樫本の母と少女時代からの友人で、ヴァイオリン教師をボランティアで務めた大塚さえ子が言う。
「大進さんは7歳の時に姫路交響楽団とモーツァルトを演奏をしたこともありました。今回、お母様から大進さんの夢としてこの町で音楽祭を開きたいと相談を受けて、私たちも実現させるために必死になったのです」
ロン=ティボー国際音楽コンクールで最年少優勝を果たし、今や世界で活躍する樫本が、やはり世界で活躍する友人アーティストを連れて赤穂で演奏会を開いてくれるという。しかも無償で。こんな夢のような企画を見逃す手はない。地元のクラシックファンが立ち上がった。大塚が続ける。
「2004年頃からクラシック好き約10人が集まって相談を始めました。問題は市の支援をどうすれば受けられるかでした」
この頃行政内で意見を聞いてくれたのは、前助役だった。─この町はいつまでも赤穂義士の物語だけで生きていけるわけではない。新しい魅力を生み出してまちづくりに繋げなければ。
だが人口約5万人の小さな町では、まず財政問題がネックとなる。欧米から演奏家を招くのにいくらかかるのか。滞在費やステージづくりにどのくらいの費用が必要か。時には「10日間のフェスティバルで経費3,000万円」といった途方もない企画書が一人歩きすることもあった。
ところが樫本自身のイメージは、もっともっとシンプルだった。樫本が言う。
「毎年招待される南仏のフェスティバルは、お城を会場にして町の人との距離がすごく近いのが魅力です。家庭的だしその町にしかない魅力に満ちている。何も立派なステージなんかでなくてもいいと思っていました」
そもそも日本のクラシックコンサートは料金が高すぎる。立派なホールはたくさんあるけれどコンサート自体が少ない。クラシックが人々の生活に密着していない。そこを変えないといけないんじゃないか。それが、樫本のフェスティバル開催へのモチベーションのひとつだったのだ。
やがて2007年1月、時の赤穂市長選に「音楽祭の実現」を公約のひとつとした現市長が当選し、市としての方針が固まった。実行委員会の結成は07年3月。開催まで半年しかないという事態の中で、行政内でも急ピッチで作業が始まった。企画振興部として音楽祭事務局を担った田渕智が言う。
「当初は心配していましたが、協賛企業や個人を募ってみると、目標の200万円の約3倍以上のお金が集まりました。チケットも1,400枚募集に対して3日間で3,500枚も応募があった。市長も、こんなに反響があるのかと驚いていたほどです」
チケット料金1,000円は、ランチ代程度でクラシックを楽しんでほしいという樫本本人の強い思いから実現した。会場となったのは赤穂城跡。本丸門に初めて仮設ステージが組まれた。そして10月6日当日、そのステージに上がったのは、あのヴァイオリンでクラシックの門を叩いた子どもたち約30人だった。今年習い始めた6期生たち10人は、まだ6カ月の経験しかない。それでも「ぜひ僕と一緒に演奏しましょう」と、樫本は大塚や子どもたちの背中を押したという。
2曲目、ヴィヴァルディの『四季』の「冬」の演奏が始まると樫本もステージに登場。それまでの子どもたちの演奏とはまるで別世界から生まれた、透徹なヴァイオリンの音が秋の夜空に響き渡った。それは確かに“世界の音色”だった。子どもたちは同じステージで、この音を体験できた。その感動が、いずれどんな花を咲かせることか。小さな音楽祭ではあっても、その夢は、限りなく大きく進んでいく。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●赤穂国際音楽祭2007
[会期]10月6日~8日
[会場]赤穂城本丸特設会場、赤穂市文化会館
[主催]赤穂国際音楽祭実行委員会
[共催]赤穂市、赤穂市教育委員会、(財)赤穂市文化振興財団
[音楽監督]樫本大進
[出演]ナターシャ・ロメイコ(ヴァイオリン)、アントワーヌ・タメスティ(ヴィオラ)、クラウディオ・ボルケス(チェロ)、ポール・メイエ(クラリネット)、イタマール・ゴラン(ピアノ)、渡辺玲雄(コントラバス)ほか