大阪郊外の能勢町には江戸中期に農閑期の娯楽として大流行した素浄瑠璃が今も伝わり、人口1万3千人の町に約200名の太夫がいる。1993年にオープンした町の直営ホール「淨るりシアター」では、その地域資源を次世代に伝える工夫としてオリジナル人形と囃子を加え、文楽協会の指導により、3年かけて新たに「能勢人形浄瑠璃」をプロデュースした。
98年にデビュー公演を行って以来、毎年6月を「淨るり月間」として新しい作品に挑戦しながら、人形や美術を少しずつ新調。『能勢三番叟』『名月乗桂木』『閃光はなび~刻の向こうがわ』のオリジナル3作、『傾城阿波の鳴門』『仮名手本忠臣蔵』『伊達娘恋緋鹿子』『絵本太功記』の古典4作とレパートリーを増やしてきた。三味線や囃子のためのオリジナル曲もつくり、大人だけでなく子ども浄瑠璃も育成するなど、着実に歩みを進めてきた。
そして今回、ホールのプロデュース事業からさらに一歩踏み出し、人形浄瑠璃劇団「鹿角座」を旗揚げしてこの10月28日、29日にお披露目公演を行った。
●
能勢を訪れるのはデビュー公演以来、8年ぶりとなるが、町境で「人形浄瑠璃の里、能勢町にようこそ!」という看板を見かけ、思わず嬉しくなってしまった。淨るりシアターの入り口には、真新しい鹿角座の幟(のぼり)、ロビーの壁には「まねき」(*)115本がズラリと並び、呼び込み太鼓の音が響くなど、劇場に一歩足を踏み入れると周囲の田園風景からは想像もつかない芝居小屋の賑々しさに満ちていた。
旗揚げの演目は、毎年上演してきた十八番、男女の人形が登場する『能勢三番叟』、三味線と囃子のコラボレーション曲『風神雷神』、本格的なセットの古典ながら冒頭に親しみやすいナレーションを付けた『絵本太功記(夕顔棚の段・尼が崎の段)』と、いずれもひと工夫されたものばかり。
驚いたのは、新しく育成した人形、三味線、囃子などの演者の上達ぶりだ。桐竹勘十郎、鶴澤清介ら最高の指導者と間近に触れ合ってきただけに、舞台に対する真摯な姿勢に裏打ちされた丁寧な演奏は好感のもてるものだった。『絵本太功記』では女性を中心に総勢22名もの人形遣いが登場し、武者人形の光秀や久吉の激しい動きを堂々と演じていた。
「デビュー公演に参加したメンバーの8割が残っています。三味線は2名がプロの協会に入会できるまでになりました」と、開館以来現場を見続けてきたプロデューサーの松田正弘さんは誇らしげ。素浄瑠璃はあったとはいえ、後は公立ホールの事業として一から育ててきたことを考えると、ひとつの方針を立てて13年間プログラムを発展させ続けるとここまでできるのか、と感心させられた。
「人形という基盤のないところから始めたので、これまでは専ら行政が主導してきました。しかし、演者も育ち、昨年は外部出演が20カ所もあるなど、一座として主体的に活動すべき時期がきたのではないかと、劇団の旗揚げを提案しました。不安を訴えるメンバーもいましたが、これから活動を発展させていくためにも、住民の意思で運営する自立した組織が必要だと思っています」と松田さん。
淨るりシアターが事務局を務め、オーディションで選ばれた三味線(男3・女1)、人形(男2・女22)、囃子(女7)、子ども浄瑠璃(男2・女10)に加え、能勢に4派ある素浄瑠璃の会から推薦された語り13名(3年予定)が劇団員となり、これまでとおり文楽協会のメンバーがアドバイザーとして協力する。
当初「ふるさと会館」になる予定だったこの施設を「淨るりシアター」として方向付けした功労者の大内祥子館長は、「みんなが成長し、お互いが学びあえる環境が整ったので次のステップとして劇団化は自然の流れでした。それと、能勢町としても文化による町のブランドづくりをはっきりと目標に掲げるべき時期ということで、今年3月に「浄瑠璃の里文化振興条例」を制定しました。これからは劇団がそのシンボルになっていくと思います」と言う。
3年かけて準備してきた一座はともかく船出した。しかし、座長を兼任している大内館長の年内退任が決まり、今後については新しい座長の舵取りにかかっている。保存・継承に傾きがちな地域の伝統芸能に一石を投じ、発展させていくための「創作」に果敢にチャレンジしている能勢の試みに心からのエールを送りたい。
(坪池栄子)
*まねき
一座の活動資金を獲得するために個人・企業からの寄付を募る「まねき上げ」を募集。「まねき」は板に勘亭流と呼ばれる独特の書体で名前を大書きした看板のこと。一口3万円の寄付によって、2009年5月31日まで劇場ロビーに「まねき」(25×90センチ)が上げられる。
●能勢人形浄瑠璃「鹿角座」旗揚げ公演
[主催]能勢人形浄瑠璃実行委員会、能勢町、能勢町教育委員会
[会期]10月28日、29日
[会場]淨るりシアター