入り口には、「ワクワク」のネオンが輝き、民族資料とリサイクル用品が天地を埋め尽くす。「見て見て。食器棚の下にワニがいる!」と、子どもたちが目を輝かせて駆け回り、「あらま、アフリカの仮面がポロシャツ着ているわ」「トンネルの奥が夫婦の寝室?」と驚きながら何時間も会場内で過ごす人たちがいる。一方で、「結局、何が言いたいのですか?」と、けげんそうな顔でスタッフに問いかける人もいる。国立民族学博物館(みんぱく)で開催中の「きのうよりワクワクしてきた。~ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち」は、観客から十人十色の反応を引き出す不思議な展覧会だ。
本展の企画委員長は、同館助教授の佐藤浩司さん。展覧会のキーワードは、民族学者のレヴィ=ストロースが提唱した「ブリコラージュ」である。難解なようだが、佐藤さんの説明によると、「冷蔵庫の中にたまたま入っていた物でつくるお総菜料理のようなもの」。つまり目的に合わせてつくられた物ではなく、身の周りにあるありあわせの物を使って何かを成し遂げようという思考法を指すのだそう。
そして、ブリコラージュの仕事人としてみんぱくに多種多様な背景をもつ人々が招かれた。空き缶で家をつくる増岡巽は、路上生活者である。紙とセロテープだけで飛行機をつくる上里浩也や、ゴミから愛らしいオブジェをつくる八島孝一は、知的障害者の施設に通う。さらに現代アーティストの今村源や生意気らが参加し、みんぱくの収蔵庫に眠る膨大な資料を素材に、独自の世界をつくり上げた。例えば、アーティストのフジタマは、収蔵庫で出合った世界中の人形を登場人物に見立てて、シュールな映像作品を制作した。今村源は、巨大なワニの木彫や仮面を、食器棚や椅子の下に配置し、ふとのぞき込んだ観客を驚かせる。いわば、収蔵庫を巨大な冷蔵庫に見立て、アーティストたちが見つけた物で“美味しいお総菜=作品”をつくってもらおうという試みなのだ。
ここには博物館の社会的な役割を問う問題提起がなされている。これまでみんぱくでは、展覧会予定が決まれば、そのテーマに合わせて世界各地から民族資料を収集してきた。集められた資料は、その展示が終われば収蔵庫に入り、90パーセント以上の資料は収蔵庫に眠ったままになる。常設展示場や別の展覧会に出品されることもあるが、当然それぞれの民族の文化を表すものとして展示される。だが、本展では、収蔵品が背負った民族文化をいったん“棚上げ”にし、物そのものの面白さだけで勝負しようという大胆な試みなのだ。
展示設営でも、挑戦的な試みがなされている。いわゆる展示業者はいっさい入らず、基本的な展示場デザインは美術家の小山田徹が、展示物の演示はクリエイティブ集団grafの豊島秀樹が担った。オープンの数週間前からアーティストや増岡たちも現場に入り、小山田や豊島とアイデアを出しあい、のこぎりや金づちを握って会場をつくり上げてきた。通常の美術展や博物館展示では、ありえない状況だろう。だが、本展出品者たちは、この状況を楽しみ、時には他の出品者の手伝いをしながら「ワクワク」をつくり上げてきた。その雰囲気は、芸術系大学の学園祭にも似ているが、参加者たちがさまざまな経験と知識を備え、それぞれのキャリアを積んできた人物であることが大きな違いである。
佐藤浩司さんは、「材料を買い揃えレシピ通りにつくる料理は、誰がつくっても同じ味。だが、ありあわせの素材で作るお総菜には、素材に対する知識や料理の経験などつくり手の人生が現れる。ブリコラージュの仕事人は、何もしていないようにみせながら、しっかりと達人の一筆を記していく」と言い、この展示では「ブリコラージュを糸口にしながら、個人の人生を生かすこと」が最大の目的であると言う。人だけでなく、収蔵品も民族や文化といった重荷から解き放れた「物」そのものの生き方を示そうとする。場内では、品物の名称を示すタグはあっても、説明的なキャプションなどない。観客もまたそれぞれの「人生」や「生き方」、感受性によって、見えてくるものが違う展覧会なのだ。かつてないほど刺激的な展覧会である。
(山下里加)
●国立民族学博物館特別展「きのうよりワクワクしてきた。」~ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち~
[日程]3月17日~6月7日
[主催]国立民族学博物館
[後援]吹田市、大阪府教育委員会、吹田市教育委員会
地域創造レター 今月のレポート
2005.5月号--No.121