今、公立ホールの最前線では、ネットワークを組み本格的なプロデュース作品をつくる試行錯誤が行われている。その方向性を占う上で注目を集めていたまつもと市民芸術館のプロデュース作品『コーカサスの白墨の輪』が、世田谷パブリックシアター、えずこホール、朝日町サンライズホール、富良野演劇工場、札幌市教育文化会館、まつもと市民芸術館での計38公演を終え、3月10日に感動の幕を閉じた。
このプロジェクトで注目されたことは3つ。1つ目は、まつもと市民芸術館の芸術監督に就任した串田和美の動向。演劇史に名を刻む小劇場「アンダーグラウンドシアター自由劇場」から出発し、スター演出家、大学教授と第一線を走ってきたキーパーソンが、公立ホールという環境を得て、どのようなヴィジョンを見せてくれるのか。
2つ目は、この作品が3年に及ぶ継続的なワークショップで立ち上げられたこと。『ゴドーを待ちながら』の北海道公演を行った串田が、「富良野で何かやりたい」と言ったのがきっかけとなり、北海道演劇財団、ふらの演劇工房、朝日町サンライズホール(2年目~)が連携。オーディション・メンバー受け入れ、夏に各地でワークショップを行い、芝居づくりに取り組んでいった。
そして3つ目が、各地の公立ホールをネットワークした公演のあり方。今回は、参加した全てのホールを改造。ステージを張り出し、舞台上に仮設客席を設け、劇場の中にそこだけの広場劇場をつくり、その場所ならではの公演を実現した。
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3月9日、公演を取材するため松本に出かけた。劇場裏の搬入口から誘われたところには、黒々とした巨大倉庫のような空間が待ち受け、大ホールの主舞台と奥舞台を使った仮設の円形劇場が組まれていた。
「串田です…携帯電話は…」と演出家と音楽監督の朝比奈尚行が軽妙な掛け合いで陰アナをはじめた。その瞬間、この空間の創造主は普通の市民となり、串田が言うところの「理想の場」が仮設空間を埋めた観客の間に広がる。
それから3時間半。巨大トラックが、旅芸人の一座が流れ着くように、楽隊や多国籍な役者やパソコンを片手にした吟遊詩人や演出家や小道具を載せて登場してから、何もない広場はあらゆる場所に姿を変え、人々は楽師や権力者や民衆や傍観者など何役にも変化しながら、さまざまなエピソードを物語っていった。
休憩中に広場はワインを振る舞う酒場となり、2幕の幕開けでは観客も参加した民衆裁判の場となり、最後はダンスの会場になった。こういう観客参加の趣向を「サービス満点の楽しい演出」で片づけることもできるが、私には、劇場という理想の場からコミュニティを変えていきたいという演出家の強烈なメッセージが伝わってきた。
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「滞在型で演劇をつくりたいとずっと望んできたので、シロウトがここまでやれたかと思うと鳥肌がたった。ものを創造するというのは地域にとって原動力になる。3年間を締めくくって終わりではなく、しっかり検証して、今度は富良野塾の塾生も関われるような取り組みをはじめたいと思っている」(NPO法人ふらの演劇工房・篠田信子)
「事業担当者として、楽屋裏を見て、客を迎えて、観客としても立ち合えて、本当に幸せだった。2年続けて町でワークショップをやっているので暮らしていた人が帰ってきたという感じで町民にも迎えてもらえた。この間築き上げた関係を、どういうかたちでもいいので膨らませていきたい」(朝日町サンライズホール・漢幸雄)
「台本、音楽、キャスティングなど、北海道で積み重ねてきたことの完成度を高めるプロデュースを行なった。制作上、東京公演が必要だとすると、松本発であることをどうアピールしていくか、松本でしか見られないものをどう共有するかが課題だと思う」(まつもと市民芸術館・長山泰久)
「予感として地方からの創造というのがこれからは絶対にあると思う。ただそれはその土地に住んでいる人でやればいいということではなく、今回のように集まれるところ、出かけていけるところがあって、どうすれば時間をかけられる環境がつくれるかということだ」(串田和美)
魔法の時間─公立ホールには創造環境として提供できる最も素晴らしい宝物があることを発見できた公演だった。
(坪池栄子)
●音楽劇『コーカサスの白墨の輪』
[原作]ベルトルト・ブレヒト
[翻訳]松岡和子(エリック・ベントレー版より)
[演出・美術・出演]串田和美
[衣裳]ワダエミ
[音楽]朝比奈尚行
[出演]松たか子、谷原章介、毬谷友子、中島しゅう、内田紳一郎、大月秀幸など計24名、楽士6名
[日程・会場]1月30日~2月20日/世田谷パブリックシアター、2月22日/仙南芸術文化センターえずこホール、2月25日/朝日町サンライズホール、2月27日/富良野演劇工場、3月1日・2日/札幌市教育文化会館、3月6日~10日/まつもと市民芸術館
[作品説明]ドイツの生んだ20世紀を代表する劇作家ブレヒトが、アメリカ亡命時の1944年に書いた音楽劇。中央アジアのグルジアを舞台に、権力闘争に巻き込まれ高貴な赤ん坊を育てることになった娘と裁判官になった酔いどれの話が、農民の集会の余興で語られるというもの。最後は、日本でも大岡裁きで有名な、赤ん坊を育ての親と生みの親が取り合うという教訓で終わる。
地域創造レター 今月のレポート
2005.4月号--No.120