一般社団法人 地域創造

制作基礎知識シリーズVol.21 邦楽の基礎知識③ 現代邦楽の動向

 講師 奈良部和美(ジャーナリスト)
 欧米音楽とのミックスで新たな魅力を獲得した現代邦楽

 

●現代邦楽の歩み

 明治維新と共に邦楽の近代化は始まった。欧米の音楽に刺激され、声を伴った従来の演奏様式から楽器を解放し、洋楽の演奏スタイルや作曲法を採り入れた演奏様式の革新と楽器の改良が始まる。そのひとつの結実が、昭和初期の宮城道雄らによる新日本音楽運動だ。そして1960年代半ばには、邦楽に現代音楽の手法を導入した「現代邦楽」が第一次ブームを迎える。横山勝也の尺八、鶴田錦史の薩摩琵琶とオーケストラによる武満徹作曲の『ノヴェンバー・ステップス』や、尺八奏者山本邦山がジャズに挑んだ『銀界』は、西洋音楽と邦楽の枠を超えた新しい音楽の誕生を告げ、若い聴衆の心をつかんだ。現在、40歳代、50歳代の演奏家には、この衝撃から邦楽の道を選んだ人も多い。

 90年代に入り、「邦楽ニューウェーブ」によって再び邦楽が注目されるようになる。ワールドミュージックの流行を経て、若手演奏家がポップスなどの手法を取り込み次々にバンドを結成。当時、マスコミが話題にしていたバンドブームの流れに乗り、テレビにも進出したが、衰退したのも早かった。一方、実力のある若手演奏家たちは、同世代の聴衆をつかもうと模索し続けていた。義務教育で平均律を学び、欧米の音楽を聞いて成長した彼らにとって、邦楽と洋楽の区別は希薄で、共に聴くに値する音楽であり、表現手段であることに変わりはない。

 例えば、津軽三味線の木下伸市は、民謡界の反逆児といわれた伊藤多喜雄のバックバンドにいる頃から、座って演奏するものだった三味線をストラップで肩から下げ、ギターのようにかき鳴らし、三味線や和太鼓、ギター、ドラムスなどで構成するロックバンドにも参加した。三味線の伴奏で人情話や任侠道を語る浪曲師の国本武春は、「三味線ロック」と称して、黒眼鏡にジーパン姿で登場し、エレクトリック三味線を使って弾き語りを行い、絶滅寸前といわれた浪曲に新しい聴衆を呼び込んだ。長唄三味線の「伝の会」や能楽囃子方の一噌幸弘は、歌舞伎、能といった古典の舞台を勤めつつ、独自のライブ活動を展開して幅広いファンを獲得している。

 邦楽ニューウェーブから生まれた動きを助走に、90年代の終わりにかつてない変化が現れる。これまで邦楽に興味のなかった人たちにもアピールする、芸能界で活躍するスターが誕生し、第二次邦楽ブームが始まる。

 先駆けといえるのが、雅楽の篳篥(ひちりき)奏者・東儀秀樹だ。宮内庁楽部で雅楽を学び、退職して篳篥のソリストとして活動を始めたが、癒し系音楽ブームに乗って多くの若い女性ファンをつかんだ。貴公子然とした容貌も手伝ってテレビドラマに出演し、写真集も出版されるなど、邦楽界では前代未聞の売れっ子になる。また、黒紋付に袴という伝統的な衣装に、髪を茶色に染めた津軽三味線のデュオ、吉田兄弟の売れっ子ぶりも邦楽関係者を驚かせた。

 成功の一因は売り込み方法にある。多くの邦楽の演奏者は自分でマネジメントを行なっているが、東儀も吉田兄弟もマネジメント会社に所属し、レコード会社が積極的にPRに関与している。2つの成功例によって、邦楽もやり方次第でブームを生み出す素材になることが証明され、レコード業界も「邦楽は売れる」という認識に立って、積極的な新人発掘に乗り出した。

 2000年に入ると、成果が出始め、尺八の藤原道山や津軽三味線の上妻宏光のように、若く、美形で恰好いい演奏家がテレビを通じて知られるようになり、マスコミに登場した演奏家のコンサートには大入りが続く。津軽三味線奏者・木下伸市のドキュメンタリー番組や、上妻宏光の密着ルポの出版が続き、ゴシップでスポーツ新聞を賑わせる演奏家も現れた。

 演奏の善し悪しより見た目偏重のブームとの批判もあるが、ジャズにたとえられる即興演奏を特徴とする津軽三味線は、木下、上妻の超絶技巧が恰好よさに結びついているのであり、彼らを目指して演奏家を志す若者が増えるという手応えのある成果も見せている。

 こうした変化の背景には、自国の文化を再発見しようという風潮がある。加えて、ワールドミュージックの流行により、欧米音楽志向に陰りが出たことも大きく影響している。どんな民族の音楽も自分の感性で聴くようになった人々によって、日本の伝統音楽は、ブルガリアンヴォイスやインドネシアのガムランのように新鮮な音楽として発見されたのである。

 

●邦楽の義務教育化など激変する環境

 時代に呼応するように教育行政も変わっていった。98年、文部省(現文部科学省)は学習指導要領を改訂し、2002年度から中学校の音楽授業で和楽器を教えることを義務付けると共に、小学校でも日本の音楽、和楽器を積極的に教材に使うことを指導目標に掲げる。音楽教師になるためには、日本の伝統的歌唱と和楽器を大学で必修科目として履修することが求められるようになったのだ。130年ぶりといわれる音楽教育方針の大転換に、専ら西洋クラシックを学び、教えてきた教育現場は意識改革を迫られている。

 この変化にいち早く反応したのが楽器業界である。ヤマハなどの大手企業も参入し、楽器の開発が盛んに行われた。伝統工芸ともいえる和楽器は非常に高価であり、自然素材でつくられていて、補修も容易ではない。加えて、製作者は零細な企業が多く、学校の需要を満たす規模ではない。そこで、安く、手入れが楽で、大量に提供できる楽器の開発が必要となり、新和楽器とも呼べるさまざまな楽器が開発されている。

 

●流派の壁を超えた活動が活発化

 邦楽は長く、芸風を伝える核となる「家元」を中心に、弟子たちによる「流派」によって伝えられてきた。無形の文化を変わらぬ形で伝承する手段として有効だったが、そのために同じ楽器でも流派が違えば楽譜の記譜法も違い、他流の演奏家と演奏できない制約もある。ひとくくりに古典曲といっても、流派により演奏できない曲があるなど、家元制度は邦楽の音楽的発展を阻む要因のひとつにもなっていた。
 しかし、若手演奏家の台頭とともに流派の壁を超える動きが活発になっている。近頃、その象徴ともいえる出来事が、尺八界で起こった。従来、虚無僧寺で伝承されてきた古典本曲の演奏は琴古流など一部の流派以外では許されていなかった。しかし、古典本曲は演奏家が一度は演奏したい曲であり、希望が絶えず、ついに都山流が琴古流の演奏家を講師に招いて、勉強会を開くことに成功したというのだ。

 若手の活躍、邦楽専門のライブハウスの誕生、伝統楽器と伝統的発声を主体にした作品が対象の「国立劇場作曲コンクール」の継続的開催など、ここ数年、邦楽界には“疾風怒濤の時代”といえるほどの変化が訪れている。しかし、マスコミと大衆の興味は、まだ古典の世界にまでは届いていない。関心が高まったといっても、箏や尺八でビートルズやロックを演奏することが注目される段階であり、楽器を習う愛好家は箏も尺八も減少している。「古典こそ面白い」と尺八奏者の山本邦山は言うのだが、現代曲は巧みでも古典の弾けない演奏家も現れている。新しい動きの実体は、欧米音楽とのミックスに留まっているというのが現実であり、伝統に立脚し、現代を表現する邦楽の模索は道半ばである。

 最後に、ホールでの邦楽公演についてふれておきたい。人気のある邦楽演奏家の公演はコンサートホールで行われることが多いが、日本のホールの多くは西洋クラシックを基準に音響設計されているため、古典・現代曲を問わず邦楽には残響が長すぎる。声を伴う演奏は銭湯で聞く輪唱のように聞こえ、三味線はバチの打撃音ばかりが強調されるほか、シンセサイザーなど音の大きい楽器との共演では、PAを使っても邦楽器の音は聞きづらくなりがち。邦楽の魅力を聴衆に伝えるにはホールと楽器の相性を探る努力が必要だ。
 邦楽界は保守的な世界と考えがちだが、進取の気性に富む演奏家は多い。企画段階から協力を仰ぎ、ホールの特性を生かした演奏会を組み立てることは可能だ。さらに、出演を依頼する演奏家の実演は必ず聞くことをお勧めする。場所を問わず、音楽の魅力を伝えるために、音響をはじめ彼らが凝らす工夫を体験できるからだ。邦楽や古典芸能を主体に設計されたホールの演奏会では、会場の使われ方を知ることができる。

 

*1ちなみに、より豊かな音を目指す演奏家の欲求を満たすための楽器の開発はそれ以前から行われており、1990年に開発されたエレクトリック三味線「夢絃21」はその代表といえるもの。この楽器の登場によって、三味線は大音量のドラムスやシンセサイザーとの共演が可能になり、若手演奏家の活動の場が一気に広がった。

*2岩波書店発行の「日本の古典芸能における演出」は、伝統音楽に1章(徳丸吉彦「日本音楽における演出」)を割き、参考になる。

*3日本橋劇場(東京都中央区)や紀尾井ホールの小ホール(同千代田区)など

 

本稿は国際交流基金発行「Performing Arts in Japan 2003」掲載原稿を再構成したものです。

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