その時、富士山のすそ野を駆け降りる風が上昇気流となって青空に吸い込まれた。約3,000人の大観衆を飲み込んだ河口湖ステラシアター野外音楽堂は、観衆総立ちのスタンディングオベーションで盛り上がった。舞台では、アフロヘアーや60年代ファッションに身を包んだ約180名の習志野高校ブラスバンド部のメンバーが両手を振って歓声に応えている。「ディスコナイツ2004」と題され、ショーアップされたその演奏も楽しかったが、大歓声は1曲目の『歌劇アイーダ第二幕第二番』の見事な演奏にも贈られていた。
「凄いね。こんな歓声は初めてだ」。関係者からもそんな声が漏れる。3回目を迎える富士山河口湖音楽祭で初めて企画された「高校生全国吹奏楽コンクール金賞受賞校による夢の競演」は、8月19日、大成功のうちに幕を閉じた。
「あの企画も音楽祭の当初から考えられていたものでした。祭を2年間続ける中でだんだん企画が煮詰まって、今年実現したんです」
河口湖ステラシアター開館10周年記念事業として今回の音楽祭を企画し、ホールの担当者として第1回から関わっていた野沢藤司が言う。彼が広げてくれた「企画展開相関図」には、この企画を含めて大小30近い催しの関係性が描かれている。「8月17日、18日地元中学校での楽器クリニック→18日午後クリニック指導者によるミニコンサート→19日高校吹奏楽トップチーム野外コンサート→20日佐渡裕指揮シエナ・ウインド・オーケストラ(SWO)公開リハーサル→21日SWOコンサート」。すべての企画がこのように有機的な関係性をもって展開されている。今年になって13ものアウトリーチ企画が増えたのも、地元住民が中心となるスタッフの企画運営能力が上がったことと、地域のニーズへの対応が考えられたからにほかならない。
「河口湖周辺の町村は観光産業が3分の1を占めています。観光客のニーズが画一的な団体旅行から個人の趣味嗜好を満足させる文化的エンタテインメントに変わりつつある今、ホールの使命もそれに沿わないといけないと考えてきました」
野沢が言う。その言葉どおり、この祭は地域住民だけでなく近隣町村住民や県内外の音楽ファンをも対象としている。「高校生バンド競演」の時も駐車場にはたくさんの大型バスが止まっていたし、祭の監修者・佐渡裕の指導を受ける「中学生特別バンド」は、県下8校が対象となった。子どもがステージに立てば家族も応援に来る。もちろん音楽ファンもやって来る。結果、周辺の宿泊飲食施設も潤う。近年、河口湖周辺の観光産業の売り上げも伸びているというから、祭の貢献度も大だ。
そもそもこの祭が誕生したきっかけは、4年前、たまたまホールでコンサートを行った佐渡と、ホール専属ボランティア運営スタッフを中心とした地元音楽ファンがその打ち上げの席で「何かやろうよ」と盛り上がったことだった。その熱を後押しする形で、「五感に訴える五感文化構想」を掲げた小佐野常夫町長ら行政側が支援に廻った。野外ホールのほかあにもう一つ、キャパ100名の室内円形ホールも造られ、さまざまな形で「地域に文化を残す試み」が展開されてきた。
「佐渡さん、これからの合唱指導は何を注意していけばいいでしょうか」
実行委員会のメンバーとの交流会の夜、佐渡に対してこう質問する人がいた。渡辺孝。養護学校に勤める傍ら、ふじ山麓児童合唱団の指揮者もしている。実行委員会に入ったのは今年が初めてとのことだった。
「たまたま去年合唱指導を頼まれて祭に参加しました。でも今年は実行委員にもなって、シエナのメンバーにもアウトリーチで養護学校に来てもらったんです」
渡辺は嬉しそうに言う。約60名の市民実行委員は、こんな形でさまざまな人を巻き込み、増殖しながら祭自体も成長していく。
「この音楽祭が地域の文化活動の最前線になっていければと思います」と野沢が言えば、「そうそう、町の文化祭になればいいんだよ」と佐渡が返す。世界に誇る富士のすそ野を舞台に、住民と産業を巻き込んだ好循環が文化を育てている。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●富士山河口湖音楽祭2004
[主催]富士山河口湖音楽祭2004実行委員会
[共催]山梨県、富士河口湖町、河口湖ステラシアター
[日程]8月15日~21日
[会場]河口湖ステラシアター、河口湖円形ホールほか
[出演]佐渡裕(監修・指揮)、シエナ・ウインド・オーケストラ、富士五湖ウィンドオーケストラ、藤原真理(チェロ)、池上英樹(マリンバ)ほか
地域創造レター 今月のレポート
2004.10月号--No.114