●10周年アンケート
施設名、自治体名(人口)、担当者名(年数/血液型)、質問項目の順に掲載
(1) 地域の自慢 (2) 10周年記念として企画した事業 (3) 一番記憶に残っていること
(4) 継続していること (5) 一番変化したこと (6) 今後の夢
朝日町サンライズホール
北海道朝日町(約1,900人)
漢幸雄(準備から11年目/B型)
(1)観客が素直なこと/自然がたくさんあること/静かなこと/まとまりやすいこと/ゆったりと時間が流れていること
(2)本年度開催するのはすべて10周年事業
(3)たくさんありすぎて……
(4)朝令暮改の繰り返し。企画して実行しては手直しと変更。どんどん形を変えて事業に取り組んできた
(5)「人」(地域の人たちがホールに対して向ける視線が温かくなったこと。一緒になってみんなで何かをしてみようという雰囲気が醸成されてきつつあること)/「生活のリズム」(舞台を観るということが特別なことではなく、ちょっと気軽に出かける程度のこととして生活に入ってきた)/「選択できる」こと(都会はいざ知らず、地方でも好きなことを、好きな舞台を選んで楽しむことができるようになってきた
(6)「何か特別なことがある」から楽しみに出かける場所。「何もすることがないし、暇がある」からとりあえず出かけてみようかという場所。そこで誰かと出会えるようなことが自然にできるようなホールでありたいし、そんなプログラムを何気なく散らばらせておきたい。地域のホールとしてささやかに動き続けたい
登米祝祭劇場
宮城県登米郡(約8万8,000人)
浅田英信(11年目/?型)
(1)米どころ/水鳥の楽園
(2)記念イベントとして、10年間のポスターや色紙、写真、友の会会報誌などの展示と、住民参加型イベントのビデオ上映など
(3)開館までは準備に追われ、やっと住民が参加した盛大なこけら落としが終わったのも束の間、翌日から連日のように記念事業が続いた。目指していたゴール地点は、スタート地点にすぎなかった
(4)住民参加型の事業
(5)芸術への関心が高まった
(6)アウトリーチによる聴衆の開拓
川西町フレンドリープラザ
山形県川西町(約1万9,300人)
神尾亜希之(職員になって2カ月・開館当初からサポータースタッフとしてイベント運営に参加/B型)
(1)肉(米沢牛の主産地)、米、野菜など、食べ物は何でも美味い!/豊かな四季(北緯38度線上にある川西町はどこよりもリアルに四季の移り変わりを風景と肌で感じることができる)/豊かなものに囲まれて生活する豊かな人々、そしてフレンドリープラザそのものが自慢
(2)プラザのあり方について考えるフォーラム「これまでとこれから」(パネリストは川西町出身の作家井上ひさし氏)など
(3)とある映画の上映会でフレンドリープラザ始まって以来の長蛇の列が…。入りきれなかったお客さんのために急遽後日上映会を実施。当日入れなかったお客さんが恐かった…(前担当者談)
(4)こまつ座公演は毎年必ず実施。出演者(アーティスト)との出会いを大切に交流を続けている。そこからさまざまなアイデアが生まれ、新たな表現を生み出す場となっている
(5)財政事情…自主事業の実施が大変厳しくなった。だが、これからはアイデア勝負。これまで培った人脈とサポーターのパワーで素晴らしい事業が展開できると信じている
(6)地域住民の皆さんがサポーターとしてこの施設を盛り上げていけるよう、これまで以上に愛着をもっていただける施設にしていきたい。そのために、地域住民の皆さんがある時は出演者、ある時は観客、ある時はスタッフと、さまざまな形でフレンドリープラザに関わっていけるようなシステムづくりが必要だと思っている
彩の国さいたま芸術劇場
さいたま市(約703万人)
白神久吉(10年目/A型)
(1)平均年齢39.6歳(全国第2位)
(2)ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団新作『天地~TENCHI』、公共ホール演劇製作ネットワーク事業『ハロー、グッバイ』、県民参加による「さいたま田楽フェスティバル」(→「地域通信」参照)など
(3)ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団による連続4公演/キリアン-ネザーランドシアターフェスティバル/蜷川幸雄演出によるシェークスピア全作品上演シリーズ(特に第3回朝日舞台芸術大賞グランプリ、第11回読売演劇大賞優秀作品賞を受賞した『ペリクリーズ』)
(4)技術職員等による舞台技術ワークショップ/10年にはまだならないが、若手落語家による「捨年百日亭」(現在66)、若手ピアニストによる「ピアニスト100」(現在75)、彩の国シェークスピア・シリーズ(第14弾終了)
(5)劇場が出来たことで、今まで都内へ向かっていた観客の流れが県外からもこのさいたまに向かう観客の流れができたこと、さいたまの知名度アップに繋がったこと
(6)普及教育事業をさらに拡げること
横須賀芸術劇場
神奈川県横須賀市(約43万人)
加藤誠裕(9年目/B型)
(1)横須賀市の浦賀は、ペリーが来航し、日本が開国をするきっかけとなった所。昨年、開国150周年記念で「よこすか開国祭」がスタート。花火大会、パレードなどが行われる楽しいイベントで、今後毎年開催される予定
(2)大劇場19事業、小劇場2事業を予定。特に3月に実施した「スーパー・ガラ・コンサート」は、この10年間に出演したアーティスト(クラシック、ジャズ・ポップス、バレエ)が結集し、4時間にわたるパフォーマンスを披露した集大成
(3)世界オペラ歌唱コンクール「新しい声」アジア予選の実施。若手オペラ歌手の発掘と育成を目的とし、1987年からドイツのベルテルスマン財団が隔年開催で行っている世界的なコンクール。97年からベルテルスマン財団と共催でアジア予選を開催している。ノウハウが全くない中、国内のコンクールを視察するなど、手探りで準備。約10カ月を費やして開催にこぎつけたが、年間自主事業約70公演を行いながらの準備・開催はハードだった。しかし、外部業者は入れずに独自に運営した結果、コンクール運営のノウハウが身につき、後に繋げることができた。その後継続開催し、すでに4回実施
(4)「ヨコスカ・ジャズ ドリームス」の開催。横須賀芸術劇場はEMクラブ(米海軍下士官集会所)の返還跡地に建てられた。EMクラブには、ルイ・アームストロングなど世界的ミュージシャンが慰問のために多数来演。今の日本ジャズ界を代表する原信夫、故ジョージ川口などもここから巣立つなど、横須賀は“戦後日本のジャズ発祥の地”。「ヨコスカ ジャズドリームス」は市制80周年の記念イベントとして87年からスタートし、94年から横須賀芸術劇場で開催している(今年で11回目)/開館当初から「利用料金制度」を採り入れ、施設の利用に係る料金を市の収入とせずに、財団の収入としている。施設の維持管理受託料を除けば、自主公演事業、劇場友の会運営、育成事業などすべて施設使用料収入、チケット収入、チケット代行販売手数料収入、友の会会費、飲食販売収入、駐車場収入、基金運用収入などを財源として独立採算方式で運営している
(5)劇場が出来たことにより、横須賀の都市イメージが向上した
(6)自主事業に関しては、現状の公演数、収支比率を維持しつつ、マーケットのニーズを的確にとらえ、さまざまなジャンルの良質な買い公演と制作公演をバランス良く多数実施していきたい。お客様に愛され、リピーターの多い劇場を目指した
新川文化ホール(ミラージュホール)
富山県魚津市(約4万7,000人)
堀井隆幸(6年/?型)
(1)魚がおいしい。蜃気楼を見ることができる(出現時に花火が上がる)/隠れた果物(りんご・なし等)の名産地(人に知られていないが、すごくおいしい)
(2)NHK交響楽団演奏会
(3)こけら落としの事業でやった室内楽。初めての生の弦の音色は、これまで聴いた他のどれよりも美しかった。これを超える感動は未だにない。普段はクールで無口だったホールの設計士も涙ぐんでいた/2003年にアメリカの人形劇団と共同で制作した人形劇『怪談~OBON』。約1カ月間、魚津で制作、公演後全国6カ所を回った。驚いたのは、アメリカから到着した鉄骨の舞台セット。その重さは筆舌に尽くし難いもので、設営・撤去が大変だった。深夜の仕込み、スタッフとの交流などすべてが思い出深い
(4)バレエパフォーマンスイン新川/ウインターマーチング/かづみ野吹奏楽団演奏会/吹奏楽クリニック・劇場セミナー(高校生対象)。すべて地域の住民が参加(出演)している
(5)近年、自発的な住民の団体・個人の文化活動が見られるようになってきた。潜在的な文化的欲求があったのだと思うが、当初は想像できなかった住民の公演への積極的参加やホール自体への関わりなど、地域への密着度が増してきている
(6)ありきたりだが、ホールが憩いの場になること。催し物の有無に関らず、地域住民が目的もなく気軽に集まり、文化の情報交換等ができるようになればと思っている
クロスランドおやべ
富山県小矢部市(約3万5,000人)
高田英樹(10年/O型)
(1)当館は、観光用の展望タワーや、ダビンチの博物館、公園施設を有する複合施設。タワーの展望室からは、小矢部市内に点在するメルヘン建築物(公共施設)や砺波平野の散居村、立山連峰が一望できる。また、直径200メートルの芝生ひろばもあり、「ヘリコプターフェスティバル」や盆踊り大会&花火大会などの屋外イベントも数多く行っている
(2)「・・・with love.」(加山雄三、東京シティフィルハーモニック管弦楽団)など
(3)一番記憶に残っているのは、観月ありさコンサート(1997年)。通常の買い公演なのだが、当館で若者向けコンサートの実施がなく、自分で担当してやっと実現した(成功・失敗は別として)
(4)盆踊り&花火大会/10年経ってはいないが、継続事業には「クロスランド芸術祭」や、「自作三輪車5時間耐久レース」「ヘリコプターフェスティバル」、映画会などがある
(5)オープン当初は、新しく出来た施設として注目され多くの方に足を運んでいただいたが、年数を重ねる毎に徐々にお客様が減少(全体的に)。しかし、ホールイベントはもちろん、各種イベントを継続実施して地域(市内)のシンボルとしての注目度を回復しつつある
(6)毎年、どんな事業を開催すれば楽しめるか、文化の向上ができるか、みんなで検討している。好き嫌いだけでなく、どんな事業も足を運びたくなる施設を目指す
河口湖円形ホール
山梨県富士河口湖町(約2万4,000人)
野沢藤司(11年目/B型)
(1)やはり富士山と河口湖があること。また、10年程前から次世代を意識して文化芸術面に町全体で取り組んでおり、それまでの観光誘客事業にプラスされた形でわが町を訪れる人が増えたこと
(2)「富士山河口湖音楽祭2004」(→「今月のレポート」参照)
(3)2000年にヴァイオリニスト庄司紗矢香さんのコンサートを初めて開催した時に、庄司さんとウィーンで共演したウィーン少年合唱団のメンバーを客席に招待できたこと
(4)将来、野外音楽堂河口湖ステラシアターでオーケストラコンサート、オペラ、オペレッタを開催したいという展望のもと、河口湖円形ホールでの室内楽やコンサートを継続的に実施し、8年目に富士山河口湖音楽祭を立ち上げた
(5)ホールが出来た頃は、コンサートを企画しても地域住民の反応が鈍く、ひたすら実績をつくることが最重要課題だった。今では少しずつホールが地域の人々に受け入れられるようになり、富士山河口湖音楽祭のような形で、地域住民が企画から関わるものもでてきた
(6)ステラシアターと連動する形で、円形ホールで「音楽週間」「音楽月間」のような事業展開ができればと思っている
アクトシティ浜松
静岡県浜松市(約60万人)
中村丈二(1年目/B型)
(1)浜松市は、東京と大阪のほぼ中央に位置し、静岡県西部の中核都市として発展してきた。また、温暖な気候、豊かな自然にも恵まれ、古くから繊維、楽器、輸送用機器などの「ものづくりのまち」としての基盤を築き、近年では光技術や電子技術関連などの新しい産業集積も見られる
(2)通常公演のチケットを10周年記念として低価格で販売。「アクトシティポップスオーケストラ演奏会」など
(3)浜松国際ピアノコンクール
(4)「浜松市民文化フェスティバル」を毎年開催。合唱、吹奏楽、民踊などのジャンル毎に市民参加のイベントを行っている。また、会館の屋外にて「ショパンの丘ピアノコンサート」「市民DE音楽会」などのイベントを年間5回~7回開催。
(5)浜松市が推進している“音楽のまちづくり”の文化事業の一環として“市民が体感できる音楽のまちづくり”のスローガンのもと市民参加型のイベントが増え、それに伴い参加する市民も増えた
(6)多くの住民が気軽に参加できるイベントを数多く開催し、地域の文化交流の拠点としてアクトシティ浜松を利用してもらいたい
三重県総合文化センター 三重県文化会館
三重県津市(約16万5,300人)
中川麻里(4年目/B型)
(1)少し車を走らせると、全国区になりきれない観光地がたくさんあること。海も山も温泉も、そしてお伊勢さんもあるのに、あまり知られていない三重県…
(2)県民参加オペラ『フィガロの結婚』、公共ホール演劇製作ネットワーク事業『ハロー、グッバイ』など
(3)昨年度の小津安二郎生誕100年記念・映画フェスティバルの一環として開催した企画型事業「小~津(オ~ズ)! 吹奏楽だよ全員集合」。ふざけたネーミングとは裏腹に、出演者300名以上(県内3校、県外2校の吹奏楽部)、観客2,000名超(!?)のとてもハードな公演だった。1・2階に入りきらないお客様、出番の終わった吹奏楽団員たちが3階に押し寄せ、インカムから聞こえる3階案内担当職員の「もう無理です~」の泣き声が、担当者として切なかった……
(4)当初から続いている当館企画型事業の「演劇塾」と「新日本フィル演奏クリニック」。「演劇塾」は地域に根ざした文化活動家の育成や、創造性豊かな地域文化を担う人づくりを行い、三重県から中央へ、さらには全国へ情報発信をしていくことを目的として行われてきた。「新日本フィル演奏クリニック」は楽団員が県内のアマチュア演奏家を指導するというもので、レベルアップと演奏の楽しさを知る機会を提供してきた
(5)建物と人。田んぼの中にポツンと建っていた当館の周りもだいぶ賑やかになった。県民のニーズも多種多様となり、10年を迎え、改めて事業コンセプト、システムなどの見直しを図る時期を迎えている
(6)個人的には、ホール以外でのコンサート、会館敷地内でのダンスワークショップなど、固定したもの(概念、会場、枠など)に捕われない企画をやってみたい。が、まずは名ばかりの「専門員」ではなく、「専門員」として必要な専門知識や経験を身につけることが当面の目標(でも、事業に追われる毎日から解放されたい、が本音かも…!?)
文芸セミナリヨ
滋賀県安土町(約1万2,000人)
城奈緒美(9年目/A型)
(1)歴史的な薫りがするところ
(2)パイプオルガン完成10周年記念オルガンメモリアルコンサートなど
(3)一つ一つのコンサート、すべてが思い出。お客様やアーティストの皆様との出会い…その度に、その時にしか実現しえない空間が創造され、時間が流れていったように思う。公共ホール音楽活性化事業でご一緒したピアニスト中川賢一氏との時間は、ワークショップ、当日のコンサート共に、本当に素晴らしい時間だった
(4)ひたすら“良質なコンサートの開催”!!。入場料が高い低いでもなく、アーティストが著名無名でもなく、ギャラが高い安いでもなく、文芸セミナリヨというホールの音楽空間にとてもよくマッチした真摯な姿勢のアーティストたちとの出会い=共同作業によって実現できたことだと思う/信長公と西洋音楽という切り口で、毎年「タイムスリップコンサートシリーズ」を開催。ルネサンスからバロック時代までを網羅した古楽の世界や、信長公の芸術性(センス)を偲ぶ舞囃子形式による能の公演など。集客には繋がらないが、とても安土らしいシリーズ/毎月第3木曜日(14:00開演)に開催している音楽療法を取り入れた「はつらつコンサート」も今月で111回を迎えた
(5)すごく変化しているようで、本当は何も変化せず、何も変化していないようで、すごく変化しているのかもしれない。インターネットというデジタルな世界の情報網やCDの大量生産=複製芸術の氾濫など、デジタルを意識して企画等で頭をひねらなければならなくなった点は、新しい局面(時代)?!の到来かもしれない
(6)「趣味は音楽会!」というお客様を一人でも増やすこと。音楽ホールは「音楽」が命。命の流れている時間を1分1秒でも増やせるようにすること/お客様に鑑賞のチャンスを増やすこと。半世紀後、1世紀後、2世紀後にちゃんと“生き残っている”ホールであり続けられるようにすること/大きなことはできないが、小さいことから息の長いかたちでコツコツと積み上げていきたい
津名町立しづかホール
兵庫県津名町(約1万7,000人)
中川晴敬(10年目/B型)
(1)源義経とのロマンスと舞の名手として有名な静御前の終焉の地(ホール外観は静御前の舞扇をイメージ)/1億円金塊/2002FIFA WORLD CUP公認キャンプ地(イングランド代表)/花卉栽培
(2)阪神・淡路震災10周年の記念事業としてコンサートを予定
(3)中山美穂コンサート前売りで、前日昼から数百人が列をつくり、夜中、警察出動の騒ぎになった/山崎まさよしコンサートで地元の面白い看板などを見せるコーナーをやるので探してくださいと頼まれ、変わった喫茶店の看板を見つけて紹介したら、結構ウケた。コンサートツアーのDVDでもおもしろ看板の最終(トリ)で紹介されていた
(4)少年少女合唱団育成事業
(5)1995年1月17日に阪神淡路大震災があり、津名町も震度7を記録したが、迅速に復興できたこと/2005年4月1日に近隣の5町が合併し新市誕生予定(淡路市)
(6)イングランド代表が使ったサッカー場にMr.Childrenが来る予定だったが、緊急入院で中止。ぜひ、サッカーをしに来てほしいし、コンサートも実現できれば。また、以前、しづかホールでは日本で唯一のヴィオラコンクールを開催していたので、ヴィオリスト今井信子さんや、ヴィオラ奏者でもある皇太子殿下に演奏していただけたら
ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ
広島県福山市(約40万8,600人)
島川豊(準備から11年目/O型)
(1)日本一の生産量を誇る「箏」「下駄」「いぐさ」や日本三大絣「備後絣」などの伝統文化産業が多くある。宮城道雄、葛原勾当、葛原しげるや、井伏鱒二、木下夕爾、福原麟太郎など多くの文化人との関係も深く、関連する文化団体等も多い
(2)福山の文化を題材に会館10年の歩みを描く「リーデンローズ芸能フェスティバル」など
(3)ホール職員としては、これまでの事業すべてに思い入れがあり、どれもが一番だが、創作事業を行う場合は失敗することも多々あった。どんな事業を行うにせよ、終演後、お客様から「よかった」「感動した」などの声をいただけることが一番
(4)開館時より地域の人材育成に力を注いできた。生産量日本一の「箏のまち」として、演奏面でも日本一を目指し、演奏家の育成や本年で11回目となる「ふくやま箏曲大演奏会」などの演奏会を開催。また、「ワガノワ・バレエ・アカデミー特別レッスン」も継続している
(5)人材育成の成果が徐々に見え始め、新たな文化団体が生まれてきている。
(6)今後も人材育成に力を注ぎ、地域の文化向上を図るとともに、地域の方々と一緒に多くの文化事業を実施していきたい
サザンクス筑後
福岡県筑後市(約4万7,800人)
黒田洋一(10年目/O型)
(1)風水害が少なく、自然に恵まれ、農業が栄えた所。現在は、交通の要衝として、農業工業都市として栄えている。また、筑後地区は、北原白秋、青木繁、坂本繁二郎など、多くの芸術家を輩出した芸術の盛んなところでもある
(2)筑後市制50周年、サザンクス筑後開館10周年記念事業としてオリジナルミュージカルを制作(地域創造創造プログラム3年目)
(3)1995年のオープニング事業で市民合唱団による「第九」を計画。その前曲としてオリジナル曲(10分程度)を企画し、地元出身の作詞家・川崎洋氏に相談したところ、40分の大作『いのちの祝祭』が出来あがってきた。市民合唱団での演奏は困難と判断して、東京混声合唱団による演奏に変更。1年後、開館1周年記念事業で練習を重ねた市民合唱団も参加してこの曲を披露した
(4)市民にホールの楽しさを知ってもらおうと「アナウンサー養成講座」「ステージサブオペレーター養成講座」を開館前から開講。修了生でボランティアクラブSOACを結成。サザンクス筑後内外の主催、他催の催しで活動を行っている/筑後地区のママさんコーラスを集めた「レディースコーラスフェスティバル」を開催。ラストで、公募した詩に熊谷弘氏が曲をつけて全員で合唱している
(5)事業に市民を参加させることにより、文化団体が増え、ボランティアが増えた。昨年10月から、館内でのボランティア報酬として地域通貨を開発、発行している
(6)ホールの目標は「市民の創造と発表の場」。ホール付属のオーケストラ、演劇集団をつくるのが夢。そのためにプロをどう関わらせるかが課題
霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)
鹿児島県牧園町(約9,100人)
増森健一郎(2年目/B型)
(1)霧島屋久国立公園(日本最初の国立公園の一つ。今年で70周年)/アートの森、縄文の森を含む霧島芸術の森/天孫降臨霧島九面太鼓や三体棒踊り、万膳太鼓踊りなどの伝統芸能も盛んで、特に九面太鼓は国内外で幅広く活躍/霧島温泉郷をはじめ、ゴルフ場や霧島高原乗馬クラブ、みやまの森運動公園など、リゾート地としても多くの方に親しんでもらっている/元大関霧島(現陸奥親方)の出身地である
(2)第25回霧島国際音楽祭など
(3)開館記念コンサートの「ウィーン・ヴィルトゥオーゾ」で最初の音が響いた瞬間は感激した/ゴールウェイの演奏会をゴールデンウィークに行ったところ、大渋滞で開演時刻に間に合わないお客様が続出。急遽、開演時刻を1時間遅らせたが、出演者や早く来られた人も不平不満なく受け入れてくれた
(4)霧島国際音楽祭(今年第25回を迎えた)/楽器や歌などのセミナー(尺八に似た郷土楽器の天吹、和太鼓、合唱、ピアノ等のセミナーを実施)/レクチャーコンサート
(5)音楽専用ホールとしての特性を生かした演奏会の実施により、鹿児島における地域文化の振興とともに音楽教育の充実にも寄与してきた。霧島国際音楽祭のボランティアによる心の込もったもてなしや、地元観光協会による当館来場者への各種特典、近隣ホテルでのロビーコンサート、地域イベントの共催など、地域との協力関係が緊密になってきた。宿泊客の増加など、主要産業である観光振興の面においても効果を発揮しつつある
(6)霧島国際音楽祭をザルツブルグ音楽祭に並ぶような、さらに国際的な音楽祭にしたい
佐敷町文化センター・シュガーホール
沖縄県佐敷町(約1万1,600人)
宮城光也(準備から11年目/O型)
(1)やさしーい町民気質/全国で注目を集める沖縄にあって、しっかり観光ルートから外れているのどかなロケーション
(2)町民ミュージカル2005(3年がかりで制作)ほか、今年度開催するのはすべて10周年事業
(3)やはり1996年11月に開催した第1回町民ミュージカルの成功。すべてが手探りであるにもかかわらず、町民、舞台専門家、スタッフが一丸となってつくり上げる過程でのさまざまな感動的出来事は、現在の町民参加事業の原点になっている
(4)シュガーホールの誕生を記念して、若手音楽家の発掘と育成を目的に始まった「おきでんシュガーホール新人演奏会オーディション」は、今年10周年を迎えた。これまでの入賞者は88人に及ぶ。今年はその記念事業も開催/町民ミュージカルや町民音楽祭、文化まつりなどの町民参加型事業も開館以来、継続的に開催/アジアの文化芸術交流事業として、これまで中国、モンゴル、台湾、韓国、フィリピン、パキスタン、インドネシア、タイ、ラオスから芸術家を招き公演やアウトリーチ事業を実施
(5)サトウキビ畑のシュガーロードから、ヴァイオリン、チェロを担いだ子どもたちがトコトコと歩いてくる光景は、10年前には決して想像できなかったこと/廃部寸前の佐敷中学校吹奏楽部がホール開館と同時に復活、全国大会にも出場するなど、コンクールでは常に上位入賞を果たしている/ホールの開館と同時に町青年会が再結成され、今日まで活動を続けている/たぶん…自分の町の名前を堂々と「佐敷町です」と言えるようになったかも。それほど、知名度のない町だったので……/佐敷の老人クラブの舞台マナーがこの10年間で県内一となった(笑)
(6)開館から10年間で、公共ホールの無限な可能性を模索しながら、かなりの試みを展開してきたと思う。これから先の合併を見据えて、より土着型の地域掘り起こし型イベントを粘り強くやっていきたい