広島県西南部、倉橋島の北部に位置する音戸町。平清盛が沈む夕日を扇で招き返し、1日で瀬戸を開削したという「日招き伝説」で知られ、瀬戸内海交通の要衝とされてきた人口1万5000人の風光明媚な町である。ここを舞台に8月29日まで「音戸アートスケープ ゲニウスロキ2004展」が開かれている。
この催しは、広島市立大学芸術学部の助教授や学生、卒業生を中心とする17人の造形作家が町中に25作品をインスタレーションし、音戸独自の風景を新たな視点で浮かび上がらせようという試み。来年3月に呉市との合併を控え、「音戸のアイデンティティとは何か、過去と現在を見つめ、未来を考えていく契機になれば」(音戸町企画課・濱下英樹さん)と、アーティストと町が一緒に企画したプロジェクトだ。
ちなみに、“ゲニウス・ロキ”とは、ラテン語の「地霊」「土地霊」のこと。今回は、場所の固有性を読み取り、建造物の設計や都市計画に反映させるという意味でタイトルにしたという。
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呉駅からバスに乗って約30分。「音戸渡船」の停留所で降り、レトロな船着き場で待っていると、対岸から船がやって来る。乗船料80円、約2分で瀬戸を渡る。すると展覧会の看板が見え、町へと誘導されていく。
海沿いの道から1本山側に入った旧道沿いには、往時の賑わいを思わせる町並みが広がっている。複雑に入り組んだ路地。白壁の商家、造り酒屋や銭湯、遊郭の跡……。17人はそれぞれ町を歩き回ってふさわしい展示場所を探し、作品を制作した。音戸町から出る廃材を使い、会期中も制作を継続したり(吉田樹人『cube』)、空き家1棟を解体しながら作品を作り上げていったり(槙原泰介『A bird perch on』)、町民から集めた靴下でつくったぬいぐるみを元理容店に陳列したり(高橋佳江『present』)と、町との関係性を深めながら、それぞれの手法で創作した作品が展示されていた。
木村東吾さん(広島市立大学大学院芸術学研究科博士課程在籍)は約100年前に建てられた建物を選んだ。現在は4世帯の借家になっていて、おばあさんがひとり暮らしている。木造の外観からは想像もつかない、まるで城塞のように石が積まれた内側の階段を上がっていき、部屋に入ると、2cm角の赤い棒約1300本を組み合わせた作品が見るものを圧倒する。かつての華やかさのイメージを「朱」に込めたという。
そもそもこの企画が立ち上がったのは、木村さんら広島市立大学で彫刻を学ぶ20代の人たちが中心になって、2002年10月に音戸町の隣り、倉橋町で開催した倉橋町制50周年記念事業「倉橋アートドキュメント2002―臨界域―」がきっかけだった。「そのイベントの期間中、音戸町の『とらや旅館』に宿泊していたんです。朝、起きて町を眺めたとき、いいところだなと感じました。それを社長の河野一喜さんに話したところ、音戸でもぜひそうした取り組みを、という話になったのです」(木村さん)
河野さんは「話を聞き、町全体を美術館にするというインパクトの強さや、地域と積極的に関わりたいというアーティストたちの熱い思いを感じて、これは面白い、実現できるよう協力しようと思いました」と話す。
町では2003年に、町民の文化活動の拠点である音戸観光文化会館「うずしお」をオープンしたことと、合併という背景もあり、提案を受け入れた。同年4月に実行委員会が発足。資金集め、展示場所との交渉、展示が始まってからのボランティアの確保などを進めた。
「最初は『ゲニウス・ロキって何?』と戸惑っていた住民にも浸透してきて、ワークショップやミニコンサートも開き、最終的には延べ700人がボランティアとして関わりました」と濱下さんは手応えを感じている。「一番の収穫は、町の人が気付かなかった音戸の魅力を、外からの目によって再確認させてもらったこと。初めてのことで試行錯誤の連続でしたが、県外からも多くの人が訪れて、町が生き生きしているのを実感しています」という。合併後に継続できるか白紙の状態だが、できれば毎年開催していきたいと実行委員会では夢を描いている。
(土屋典子)
●「音戸アートスケープ ゲニウスロキ2004展」
[主催]音戸アートスケープ実行委員会
[共催]音戸町、音戸町商工会、音戸町教育委員会、呉市、広島市立大学
[会期]7月31日~8月29日
[会場]広島県安芸郡音戸町周辺(坪井・引地・鰯浜・北隠渡・南隠渡)
[参加作家]伊東敏光、岡平愛子、岡本敦生+野田裕示、加納士朗、木村東吾、河野隆英、櫻井友子、高橋佳江、中村圭、長岡朋恵、藤原勇輝、前川義春、槙原泰介、吉田樹人、米倉大五郎、和田拓治郎
地域創造レター 今月のレポート
2004.9月号--No.113