講師 吉本光宏(ニッセイ基礎研究所主任研究員)
支持者(サイレント・パトロン)を増やし、社会的役割を拡大する
各地の文化施設でアウトリーチ活動が盛んになっている。アウトリーチ(Outreach)とは、もともと「手を伸ばすこと、伸ばした距離」あるいは「(地域への)奉仕・援助・福祉活動」「(公的機関や奉仕団体の)出張サービス」という意味。文化施設では、例えば、公立ホールが招へいした演奏家を、本番のコンサートとは別に、学校や福祉施設などに派遣し、ワークショップやミニ・コンサートなどを行う事業が、アウトリーチ活動と呼ばれている。しかし、このアウトリーチ(注2)、明確な定義となるとなかなかやっかいなのが実情だ。そこで今回の「制作基礎知識」では、アウトリーチに焦点を当て、昨今の地域の文化施設を取り巻く環境変化とその中でのアウトリーチ活動の位置づけと効果、アウトリーチの類型や具体例について整理してみたい。
●アウトリーチ活動の背景と位置づけ
1980年代後半から90年代にかけて、各地で急速に整備された公立文化施設。大雑把に言うと、公立ホールは、自主事業(鑑賞事業)と貸館、美術館は展覧会と市民ギャラリーという2つの枠組みで運営されることが多かった。つまり、市民の関わり方は、観客として作品を鑑賞するか、自らの文化活動の場として施設を利用するか、という2つの選択肢に限られていた。
しかし、文化施設が急増した90年代以降、市民との関係は次第に多様化していく。ホールを例に取ると、市民オペラやミュージカルなど市民自身が舞台に立つ「市民参加型事業」、各種講座やワークショップなどの「普及型事業」、市民がさまざまな形で運営をサポートする「ボランティアの導入」など、観客でもない、また施設の借り手でもない、ホールと市民の新しい出合いや関係が生まれている。そうした視点で眺めると、アウトリーチ活動も、ホールと市民の新しい接点の一つと位置づけられる。
●アウトリーチ活動の対象~受益者と「サイレント・パトロン」の拡大
しかし、アウトリーチが他の事業と決定的に異なる点がある。それは、これまでの事業の対象が、もともと演劇や音楽などに興味があったり、ホール運営に関心をもつ市民であるのに対し、アウトリーチの対象はそうした人々に限られない、という点である。芸術に全く関心のない人、あるいは、興味があってもホールに足を運ぶことのできない市民も対象となり得る。別の言い方をすれば、他の事業では、ホールは市民が自らの意思で参加する「待ち」の姿勢であるのに対し、アウトリーチは、ホール側の意思で対象を決められる。つまり「攻め」の姿勢で取り組めるのがアウトリーチの最大の特徴である。
このことは、あらゆる市民が事業の対象になりうることを意味している。すなわち、アウトリーチ活動によって、文化施設の受益者の範囲を、飛躍的に拡大できるのである。そうした観点から、市民と文化施設の関係を図式化してみたのが【図1】である。
図1 ホールと市民の関係に新しい流れをつくり出すアウトリーチ活動
アウトリーチによる市民への「働きかけ」によって、まず、芸術を体験したことがない、あるいはチャンスのなかった(したくてもできなかった)市民(1) が、芸術にふれることでアートに関心をもつ市民(3) になる可能性がある。その中から、観客として実際にホールに足を運んだり(4) 、市民参加型事業に参加する人(5) も出てくるだろう。あるいは、自分で演劇や音楽活動を始めたり(5) 、ボランティアとして参画する市民(6) が現れてくるかもしれない。このように文化施設利用者の潜在層を開拓し、顕在層へと移行させていく可能性を、アウトリーチはもっている。
重要なことは、これらアウトリーチの経験者が、実際にホールの観客や利用者に結びつかなくても、ホール運営にとって大きな意味をもっているということである。ホールや劇場などの文化施設の存在が広く市民に受け入れられるかどうかは、普段利用しない人でも、文化施設の重要性や意義を認識している人がどれだけいるか、ということにかかっている。アウトリーチ活動は、いわば、そうした「サイレント・パトロン」とでも呼べる文化施設の支持層(2) を増大させる可能性をもっているのである。
このように、アウトリーチ活動には、文化施設の受益者の間口を拡大し、新しい観客や聴衆の育成を促していく効果があると考えられる。特に子どもたちを対象にしたアウトリーチは、将来の観客育成という点で有効であり、学校やPTA、両親などを通じた広がりを考えれば、大きな効果が期待できる。
●アーティストとのネットワークづくり
次に指摘しておきたいのは、アーティストとの密接な関係づくりである。通常の公演だけでは、アーティストや芸術団体と文化施設との関係は一過性のものに終わる。それに対し、アウトリーチでは、より深い関係が築かれる。ほとんどのホールや劇場では、レジデントの劇団や楽団をもつことが現実的でないことを考えると、アウトリーチに協力してもらえるアーティストは、ホールにとっても貴重な存在となろう。
また、アウトリーチはアーティストや芸術団体にとっても大きな意味をもっている。ステージに立つこと以外の方法で、アーティストとしての職能を発揮する場が生まれるからである。つまりアウトリーチは、芸術家の新しい社会的役割や価値を創出するものだともいえる。さらに、そうした活動の積み重ねが、芸術は一部の人たちだけのものではなく、広く一般市民の公共的な財産であるという認識に繋がり、サイレント・パトロンの拡大に結びついていくだろう。
●文化施設の社会的役割の拡大
最後に、アウトリーチ活動を行うことによって生じる文化施設の活動領域や役割の拡大について指摘したい【図2】。劇場やホール、美術館は、これまで文化行政の末端に位置する執行機関として、整備・運営されてきた。しかし、アウトリーチによって、サービスの対象や領域は、文化行政の範囲内に留まることなく、教育や福祉など、他の行政分野に拡大できる可能性があるということだ。とりわけ芸術を体験したことがない、あるいはしたくてもできなかった市民に目を向ければ、文化施設が、これまでの枠を超えて、地域社会全体にさまざまなサービスを提供できることが見えてくる。
アウトリーチは、これまで「鑑賞する」もしくは「自分でする」対象でしかなかったアートと市民の間に新しい回路を切り開き、相互の交流を醸成する。そのことで文化施設の活動は地域に開かれたものとなり、芸術やアートのもつ力が市民に浸透し、地域が活性化されていく。文化施設は、アウトリーチによって、「アートを軸にした総合的な社会サービス機関」へと脱皮できる可能性を秘めている、と思えるのである。
図2 アウトリーチのもたらす文化施設の活動領域の拡大
注1 雑誌「地域創造」第14号(3月25日発行)の特集「アウトリーチ」に掲載された原稿を加筆、再構成したものです。
注2 アウトリーチは芸術普及、教育普及、あるいは館外活動、などと言われることもある。特に美術館では、作品の収集・保存、展示、調査研究と並ぶ重要な事業として、教育普及事業という枠組みの中で取り扱われてきた。今回は、アウトリーチをそれらを包含する広い意味で扱うこととし、用語もアウトリーチに統一した。また、今回は主に劇場やホールにおけるアウトリーチ活動を中心に記述したが、図表には美術館も含めるかたちで整理した。
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