講師 中川幾郎(帝塚山大学法政策学部教授)
●政策課題を整理する~アーツ・マネジメントの考え方から~
ここで、文化ホールの役割を考えるに際してアーツ・マネジメントの考え方を参照してみましょう。アーツ・マネジメントの役割は、(1) 芸術を観客(社会) に紹介すること、(2) 芸術家の活動を保障し創造を可能にすること、(3) 社会の持つ潜在能力の向上を支援することの3つと言われています(※1) 。
自治体政府の組織、施設である文化ホールは、市場の欠陥(公共財、準公共財は供給しがたい) に対応した役割を持ちます。また、大都市圏でしか供給されない芸術を補完的に供給する役割もあり得ますので、(1) に対応した役割を果たす必要もあるでしょう。(2) に関しては、すべての公共ホールがその役割を果たすべきだ、とは筆者は考えません。しかし、地元芸術家支援や地域の伝統芸術・芸能の保存、継承などに関してこの課題が発生する可能性はあります。この場合は「地方公共性」が成立する課題であるかどうか、住民、行政がその妥当性について協議する必要があります。この場合の基本原則は「公開」「公論」(ハンナ・アレント) によることです。密室談義は許されません。
公共ホールにとって一番の使命は、(3) 社会の持つ文化的な潜在能力の向上を支援することにある、というのが筆者の考えです。であればこそ、前回にディマンド(顕在需要) とニーズ(潜在的社会的必要性) の違いを説明いたしました。つまり公共ホールは、自治体が成り立っている地域社会が抱えている文化的課題(ニーズ) を深く探り、その必要性に応えていくべきであると考えます。子どもたちが芸術や芸能にふれる機会が少なく、さらに仲間づくりもできていない地域なのか、高齢者と子どもたちの文化が分断されていないか、自治意識と文化活動とが分離されていないか、住民がその自治体の文化水準に誇りをもたず、流出入が激しい所などさまざまな課題が地域にはあるはずです。
これらの課題を見つけるためには、ホール担当者が危機感(使命感) と地域実態理解を持っていなくてはなりません。そのような価値観も観察、調査、理解もなく、「クラシックに観客が来ない」と嘆いているような事態は、(1) の役割に固執した福祉配給型の善意の押しつけでしかないかもしれません。社会の持つ潜在能力とは、文化活動を通した人と人との繋がり(コミュニケーション) を回復し、より優れた芸術・芸能文化の理解層の拡大と再生産が可能となる社会の力のことでもあります。
※1 伊藤裕夫「アーツ・マネジメントを学ぶこととは」(伊藤他共著『アーツ・マネジメント概論』P2-14、2001年/水曜社)
●事業を位置づける
また公共ホールの役割、使命が「社会の持つ潜在能力」の向上・開発にあるとしても、そこにはさまざまな能力、課題が分布します。自治体内の世代別、地域別、職業別にも異なるでしょう。したがって、多様なサービスプログラムがやはり必要となります。社会的少数の立場に立つ人々のためのプログラムも必要です。
このように考えると、単なる集客量や収益性だけで公立文化ホール事業を評価してはならない、という結論になります。しかし、文化ホールも赤字ばかりを垂れ流しているわけにはいきません。財団などの場合は、独立採算制であるために赤字を圧縮する要請も厳しいと思われます。ここで、収益確保を各種開発事業への投資のための「資源」確保である、と考えたらどうでしょうか。社会の潜在的能力を向上開発するためには、資金も人手もソフトウエアやノウハウも要ります。さらに、文化ホール自体の親しみや信頼確保、社会的認知、アイデンティティ確立も必要です。沢山の人々に親しまれずして、社会的潜在能力開発など望むべくもありません。その意味での集客事業(人に親しんで貰う) 、収益事業(財源を確保する) という考えがあってもよいはずです。
下の図は、あくまでも私個人が粗く整理したものです。事業はもっと多様であるはずですが、このような考え方もあると理解していただきたいと思います。この図では、戦略概念としての使命、目的も4つに分布しています。またそのための戦術としての事業はどこに位置するか、ということがわかれば良いと思います。もちろん、幾つかの目的が重なっていてもよいのです。要するに、社会開発、資源(人材、システム・ノウハウ、財源等) 開発という思考が必要であることを強調したいと思います。そして新たな事業を企画するときにも、上記のような事業分布を意識して考えていただきたいものです。
図 文化ホールの戦略的事業分布
●評価のためのベンチマークを明確化する
アウトプット(産出財・サービス量) とアウトカム(成果) との違いを認識することの大切さは前回でわかっていただけたと思います。では、何がアウトカム(成果) か、ということが課題となります。話が元に戻るようですが、どのような価値を追求するかによってやはり成果目標や指標(ベンチマーク) は変わるのです。図に位置している事業ごとに、注目するべき指標も微妙に変わるはずです。
財源確保事業であれば、やはり集客量や収益性ということになるでしょう。人材開発事業であれば、ホールに協力してくれるボランティアの数や参加率、ホールから巣立ったアーティストの数などにも注意しなくてはなりません。イベント等を通じたシステム開発事業であれば、そのノウハウがどれほどホール側や市民等に獲得できたか、が問われるでしょう。地域アイデンティティ開発事業であれば、市民側のアイデンティティ(誇り、特性への愛着) 意識の明確化もその指標です。演劇活動などを通じた地域コミュニティ再生のプログラムなどがあれば、地域コミュニケーションや自治の活性化にどれほど繋がったか、も指標となります。
都市政策拠点としての位置づけを持つ大型ホールなどであれば、他地域・都市からのホール訪問人口数も重要な指標です。外来訪問人口は、域内経済活性化の大切な要素であり、人口減少期における都市間競争の指標でもあります。また、ホール自体の内部、外部に対する認知度、親和度(好感度) も大切な指標となります。
「行政」は英語でパブリック・アドミニストレーションと言いますが、民間「企業経営」もビジネス・アドミニストレーションと言います。これは経営理念と経営戦略のレベルを意味する言葉です。この下位に戦術(諸施策、諸事業) や事業実施(遂行、管理) があり、これをマネージメントと呼んでいます。つまり、アドミニストレーションが存在しない所には、マネージメントも存在しないはずです。事業現場では、ややもすると転倒現象が起きますが、「有効性=効果性」すなわち「有益な社会的変化(※2) 」を追求するためにその事業がどうして存在しているのか、という事を絶えず問い直す姿勢が必要です。
この「社会的変化」を測る指標は1つではなく、その変化に関連する複数の指標があるはずです。しかし中期的、長期的な開発、投資事業は、短期的変化が現れないこともあります。これらを補う意味で、行動調査や意識調査などがその予測指標として使えることがあります。これらの調査に関しても、大金をかけずに正確に行う方法を工夫して考える必要があります。
いかがでしょうか。短い連載でしたが、それぞれの文化ホールにはそれぞれの自治体特有の使命確認と戦略が必要であり、その戦略を受けた事業の有効性を測定する指標も、まださまざまに工夫していかなくてはならない、という事が理解していただけたでしょうか。
どうかホール担当の皆様が、地域の自治力・コミュニケーション力を回復・活性化し、地域経済にまで波及力を持つ文化ホールの事業戦略を考えていってくださることを、心から願ってこの稿を閉じます。
※2 新藤宗幸『自治体公共政策論』(1999年/島根自治体学会)など参照。