講師 中川幾郎(帝塚山大学法政策学部教授)
●公共文化ホールはなぜ必要なのか?
「公共文化ホール、公共劇場などが一体なぜ必要なのか?」――例えば、赤字財政に悩む自治体財政担当者は、あからさまに口には出さなくても内心そのように思っているかもしれません。総合計画などに関わる企画担当者も、文化や芸術は必須不可欠なものではないと考えて、政策順位を低くみるか「おまけ」のように見る傾向があるようです。貴方なら、このような視線や問いかけにどのように答えるでしょう。
かつて、モノからココロへ、余暇社会の到来、経済から文化へと喧伝されたトレンドがありました。この流れの深層底流は緩やかに変わらないと思われますが、表層の流れはまるで激しい逆流のようです。実は、経済的に充たされた(経済的ゆとり)から文化なのだとか、余暇(時間のゆとり)ができたから文化なのだ、とかいう一見もっともな考え方に根本的なカベがあるようです。この考え方からは、政府に経済的ゆとりがなく市民も余暇時間どころではないから、文化ホールの事業を廃止したり削減したりする、という帰結が安易に導かれます。それでは、経済的に充たされた国や地域、余暇を享受できる貴族階級ばかりが芸術や文化を消費し生産してきたのでしょうか。
我が国の近代化に伴って導入されたヨーロッパ近代「芸術」と、我が国在来の大衆「芸能」という無意味な区分を無視して、それらすべてを芸術(Arts)と一括りするならば、ゆとりあってこそ、という考え方には、ある種の思い込みと欠落が作用していることがわかります。大不況の大阪・通天閣界隈では、地元庶民のアイドルである人気女性演歌歌手が大活躍しています。また、阪神淡路大震災時には、これまた演歌歌手がダンプカーにアンプを乗せて被災者避難所に駆けつけ、野外公演を行って人々の熱涙を呼びました。貧しいとき、辛いとき、悲しいときにこそ、人々は芸術を求めるのであり、触れる(アクセスする)権利があるのです。
さて今日、およそほとんどの自治体が文化ホールを持つようになりましたが、その設立動機はどのようなものだったでしょうか。曖昧な設立理念、市民文化や地域文化との対応を考慮しないハード主導の建設、などが指摘されています。さらに、公立ホールが人々のディマンド(顕在需要)に応えられていなかったり、ニーズ(潜在需要)把握ができていなかったりすることにも問題があります。これらを踏み越えて、文化ホールの存立根拠と戦略を改めて明らかにしていかなくてはなりません。
●市民の文化的人権の保障
自治体文化ホールの存立根拠は、なによりもまず、市民一人ひとりの「文化権」の実現のためにあります。文化を創造するのは、国家(政府)ではなく国民(市民)であり、そのためにも文化の自由と多様性を保障することが大切な課題である、ということが国際的に承認されています(※1)。そのためには、国家介入からの自由を意味する「自由権的文化権」だけではなく、政府による積極的な権利保障を必要とする「社会権的文化権」も確立されねばなりません。
この社会権的文化権の積極的な実現こそ、現代政府(国・地方自治体)に緊急に要請されている責務です。筆者は、この「社会権的文化権」の内容は、「表現すること」「コミュニケーションすること」「学習すること」の三つである、と考えています(※2)。これは個人・団体を問わず「市民文化」をいかに顕在化し活性化するか、ということでもあります。またその対象も、アマチュア・プロフェッショナルの双方にわたります。さらに、社会的少数の立場に立つ人々(障害者、在日外国人、その他)も当然に対象となります。
そのためには、多数の人々の要求(ディマンド)ばかりに応えるのではなく、少数者が負っている課題や潜在的な必要性(ニーズ)も調査して応えていかなくてはなりません。文化ホールがこれら市民の芸術表現の場、(市民と市民、プロとアマ)芸術交流の場、芸術学習の場として機能しているか、がいま問われているのはないでしょうか。
※1 「公共ホール職員のための決定版制作基礎知識」P87-88 小林真理“公共ホールとそれをめぐる法律について”(2002年/財団法人地域創造)参照
※2 中川幾郎「新市民時代の文化行政」(1995年/公人の友社)P36-38、中川幾郎「分権時代の自治体文化政策」(2001年/勁草書房)P26-27参照
●地域・都市政策拠点としての文化ホールの重要性
次に、文化ホールはそれ自体が地域文化や都市文化の集積体であり、シンボルです。自治体は、地域政策、都市政策として文化政策を戦略化していき、可能な限り自立的(サスティナブル)な文化の再生産システムを築き上げていかなくてはなりません。日常の「生活文化」は、現代文明の恩恵によって全国的に共通化し便利になってきましたが、非日常的な「学術・芸術」等の営みが開発・継続されていない場合は、地域の個性的な生活文化も次第に衰えていきます。文化ホールは、この文化再生産の戦略的拠点となり得ます。
生活文化の活力も、つまるところは非日常的な文化の営み、集積からやがてもたらされる(開発、革新、発展)ものです。地域政策・都市政策としての「文化政策」を意識化し、確立できないところでは、地域文化も都市文化も必然的に自己発展の道を閉ざされ、他に対する従属的な位置に陥ります。人口減少は全国的な現象ですが、地域が機能的に整備され、便利になればなるほどますますストロー効果(中央集中)が大きくなります。その意味でも、地域・都市の自立的な「固有価値」開発がかえって大切になってきました。
これは、別の言葉でいえば、地域や都市のアイデンティティを発掘、確立し、資源とすることでもあります。明確な文化アイデンティティは、他地域・都市に対する存在アピールとなり、訪問人口を増やすことにも繋がります。そして文化は、新たな産業資源にもなり得ます。このように、産業政策、観光政策としても「文化政策」の戦略が必要です(※3)。
さらにアイデンティティ開発は、何よりも「わが町」意識を持った市民を生み出すことにもなります。文化ホールは、情報発信、交流、資源蓄積機能を通じて、この地域・都市アイデンティティ形成拠点となりうるのです。
※3 佐々木雅幸「創造都市への挑戦」(岩波書店/2001年)などを参照
●文化ホールの政策、戦略構築に向けて
「政策=Policy」は中立概念ではなく、主体的な自覚(自己認識)と運動性・方向性(自己決定)を伴った概念です。問題は、その「政策」形成の主体が誰か、なのであって、誰が執行するかではありません(もちろん、公共政策は行政の独占領域ではなく、企業や市民、民間領域のNPOも供給主体たりえます)。「自治体文化政策」においても、政策形成主体としての「市民」が、そこに実在しなければなりません。Policyとは、書いて字のとおり、Police(都市・国家)をどのように導いていくのか、どのように生き残る道を選ぶのか、という方向性を示したものなのですから。
そのためにも、市民の文化権が明記された「文化条例」と、条例に担保された「政策実現の仕組み(参加・参画、公開、執行、評価の仕組み)」が必要となります。また、市民参画で策定される「文化振興ビジョン(文化基本計画)」も、どのような価値観を機軸として、どのような地域社会をつくろうとするのか、という選択的な意思を持った自己決定と鮮明な意思表示の証でなくてはなりません。
つまり、「政策」型思考においては、基本に据えられた価値観(理念)が明確にされ、ついでその価値観に対応した社会的な変化の方向を明示し、かつ変化目標を定め、その基本的な手段を提示します。(この段階を狭義の「政策」とも呼びます)。言葉を変えれば、大義名分と基本「戦略」、といってもよいでしょう。
その次に位置するのが「施策・計画」であり、実行システムなのです。施策は「戦術」といってもよく、実行システムは「戦技」ともいえます。次回は、この「政策」の視点から文化ホールの戦略や自治体文化ビジョン、文化条例についても考えてみたい、と思います。