太閤秀吉が見た能を見る――。かなうものなら見たいと思うが、ビデオも録音テープもない400年前のこと。能役者の所作も、囃子方の打った鼓の音も跡形もない。この夢物語に横浜能楽堂が挑戦。約3年の試行錯誤を経て、11月9日、「秀吉が見た『卒都婆小町』―現代によみがえる400年前の能」の上演を実現した。
公演は2部構成。昼の部は現在の形式で上演し、夜は復元作業に携わった竹本幹夫・早稲田大学教授らの解説を経て、待望の復元能を披露。主人公・小野小町を演じたシテ方の山本順之氏をはじめ、囃子方も地謡も昼夜とも同じ出演者が務め、観客を400年前の能に遊ばせた。
能はかしこまって見る古典芸術、難解な内容と聞き取りにくい謡に思わずうたた寝するものというのが、一般的な認識ではあるまいか。そうした印象のある現代の上演形式に比べ、復元能はまさに“遊ぶ”世界だった。終演後も謡の旋律が耳について離れない。どこかで聞いたことのあるような懐かしさがあった。
大きな違いは上演時間だ。現行の『卒都婆小町』の上演時間が約1時間半であるのに対し、復元能はおよそ半分の50分。例えば、小町が登場する場面は、現行では橋掛かりを1歩1歩よろぼいつつ、老いの悲哀を謡いつつ、15分ほどかけて道行する。ところが、秀吉の見た能は5分とかからない。駆け寄るように本舞台に上がる。演じ手の動きはすり足で重々しい現行のそれとは微妙に異なり、小町の踏む拍子はトトトンとリズミカルだ。謡もメロディックで、今様や狂言小歌を思い出す。上演時間が短い分、後世加わった演出が削ぎ落とされ、ドラマは簡潔にギュッと濃縮されていた。
「芸能は時とともに変化する。武家の式楽になる以前の能はどんなだったのか」。企画に当たった中村雅之・横浜能楽堂運営係長が、数年来の疑問を竹本氏に話したのが2000年6月。資料が存在する桃山の能の復元は可能かもしれない。「やってみよう」と応じた竹本氏が国文学からアプローチし、音楽劇である能の復元には音楽学の力が必要と高桑いづみ・東京文化財研究所音楽舞踊研究室長に声を掛けた。演じ手の山本氏を加えて、月に2回は討議を重ねた。
「桃山の能の上演時間は現在の60%」という法政大学名誉教授・表章氏の研究結果を拠り所にすれば、テンポは復元できる。片や謡の旋律の手掛かりは、桃山時代の謡伝書「塵芥抄」にあった。
“復元”は廃絶した曲を現在の演出形式で上演する“復曲”とは違う。音楽も演出も装束も、可能な限り「桃山の能」にすることが必要だ。そこで装束の復元を山口憲・山口能装束研究所所長に依頼。山口氏は天蚕を育て糸を取るところから始め、当時の技法で刺繍を施し、岐阜県関市の春日神社伝来の小袖を復元した。さらに、坂本清恵・玉川大学助教授が加わり、桃山時代の京言葉の発音を再現。こうした努力の結果、バサラやかぶき者が闊歩した豪放華麗な桃山文化の息吹を伝える『卒都婆小町』がよみがえった。
横浜能楽堂が開館以来目指してきたのは「敷居の低い能楽堂」だが、能は親しみやすい芸能とは言い難い。「こども狂言ワークショップ」「ブランチ能」などで観客発掘を仕掛けながら、専門性を生かした「能楽界に問題提起できる企画を組み、両方をバランス良く追求するのが公共の専門施設の課題」と中村氏は考えてきた。耳目を集める魅力を持ち、能の再発見に繋がり、横浜から発信する創造性ある企画――それが『卒都婆小町』の復元だった。
「オペラ歌手に歌謡曲を歌えと迫ったような難題」に応えた地謡が、復元能を魅力的な音楽劇にした。歳月を経て洗練の極みに達した能の魅力を知る入り口に、復元能は成りうる。「受け継がれた貴重な文化は攻めないと守れない」と言う中村氏の次なる攻めは、復元能の再演ではないだろうか。
(奈良部和美)
●秀吉が見た『卒都婆小町』
[日程]11月9日
[会場]横浜能楽堂
[主催]横浜市芸術文化振興財団
[解説]竹本幹夫(早稲田大学教授・演劇博物館副館長)、高桑いづみ(東京文化財研究所音楽舞踊研究室長)、坂本清恵(玉川大学助教授)、山口憲(山口能装束研究所所長)
[出演]山本順之、宝生欣哉、殿田謙吉、松田弘之、大倉源次郎、柿原崇志ほか
地域創造レター 今月のレポート
2002.12月号--No.92