8月31日に始まり、9月28日まで開催される「岐阜アジア映画祭2002」は、10年後の日本の映画状況から振り返った時に画期的なイベントとして記憶されることになるかもしれない。なぜなら、映画祭の一部として同時開催された「映画上映ネットワーク会議2002 イン 岐阜」において、「コミュニティシネマ」の考え方が紹介、討論されたからだ。それは、新しい上映の場の提案として大きな可能性を感じさせるものだった。
今年のネットワーク会議では「地域における映画環境の変化とコミュニティシネマ(公共映画館)の可能性」をテーマとしたシンポジウムが、9月6日、7日の2日間実施され、全国各地で上映活動に関わる159人が参加した。ここで提案された「コミュニティシネマ」の発想の原点は、“どの地域でも多様な映画を見ることのできる環境がほしい”という願いである
各地域にある商業映画館、映画祭や公共あるいは民間ホールでの自主上映会、ミニシアターと区別するため、コミュニティシネマの運営主体はNPOとする。そして、非劇場(ノンシアトリカル)配給権を取得した作品を上映することで、既製のプログラムを補完し、点としての上映活動である映画祭や自主上映会が年間を通して線として活動できる環境をつくり、従来大都市でしか上映されなかった多様なプログラムを地域に提供しようというのだ。
例えば、今回、ネットワーク会議の開催地となった岐阜で見ることのできる映画の多様性はどの程度なのだろうか。「岐阜アジア映画祭」の主催団体の一つである岐阜市公共ホール管理財団が行った「岐阜市とその周辺の映画上映状況調査」の興味深い報告によると、1996年と2001年を比較して、郊外型シネコンの登場でスクリーン数は25から55へと倍増。同時に、映画の封切本数も149本から219本に増加(各年の日本国内での全封切本数に対する封切率も30%から41%に増加)しているにもかかわらず、スクリーンの占有率を見れば80%近くをハリウッド映画が占めており、決して映画の多様性が増したわけではない。日本映画に関しても90%が大手3社(松竹、東宝、東映)の配給作品で、この状況は現在も変わっていない。
結局、5年前に上映されなかったタイプの映画は、現在も依然としてこの地域で公開される可能性がなく、シネコンによる目立った変化は、中心商店街から郊外への映画観客の分散ということだった。
今回の「岐阜アジア映画祭」では、多様な映画の鑑賞機会を市民に提供すること、そして中心商店街に再び映画の観客を取り戻すことの2点がコンセプトになっていたが、その背景にはこうした現状がある。しかし、映画祭で中心市街地活性化が図れるか、と問われれば、多様性を保証する作品に集客力があるとは限らないという、映画祭が本質的に持っている矛盾に突き当たることになる。かといって集客力のある作品だけを集めたのでは、一過性のお祭りとなるだけで、地域文化の活力は生まれない…。
こうした課題を解決するためにも、まずは地道で大胆な組織づくり、シンプルで力強い情報発信戦略、誇りと期待感の持てるプログラムづくりを続けていくしかない。映画祭を推進している岐阜市公共ホール管理財団の加納正子さんは、「岐阜アジア映画祭は、市主催の自主事業としてスタートしましたが、近年は民間映画館との提携、市民サポーターを募っての映画祭実行委員会の設立など、市民に開かれた運営を目指しています。10年後にはNPOによる映画祭や上映会の実施をぜひ実現したい。最大の課題は、映画祭をリードしてくれる人材ですね」と言う。
人材育成とは、地域で映画に関わることの興奮と喜びを次世代に伝えることにほかならない。そしてそれは、現在の映画祭に関わっている人たちにしかできない大切な仕事であると思う。
(ユニジャパン・西村隆)
●岐阜アジア映画祭2002
イスラエル映画『デスペラード・スクエア』の視覚障害者のためのバリアフリー上映(音声ガイド付き吹き替え上映)をはじめ、アジア各国の映画を全13作品上映。
[主催]岐阜市、(財)岐阜市公共ホール管理財団、岐阜アジア映画祭実行委員会、フィルムネットワーク推進委員会、(財)国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)
[日程]8月31日~9月28日(計12日間)
[会場]岐阜市文化センター、岐阜市民会館、CINEX、シアターペルル、金公園
[上映作品]『郡上一揆』(日本)、『宋家の三姉妹』(香港)、『ヤンヤン夏の想い出』(台湾)、『初恋のきた道』(中国)、『美術館の隣の動物園』(韓国)、『少年義勇兵』(タイ)、『ホセ・リサール』(フィリピン)ほか
●映画上映ネットワーク会議2002 イン 岐阜
[日程]9月6日、7日
[場所]岐阜市文化センター
地域創造レター 今月のレポート
2002.10月号--No.90