一般社団法人 地域創造

制作基礎知識シリーズVol.16 ホールの防災と安全管理(4) 観客の安全管理-不特定多数の利用者を想定した細やかな配慮を-

 講師 草加叔也(劇場コンサルタント/空間創造研究所代表)

 

●客席で危惧される事故

  「客席」と「舞台」は同じ劇場・ホール建物の中にありながら、非常時の安全に対する考え方に大きな差がある。それは、客席・ホワイエ・ロビーなどを利用するのが特定できない多数の観客、つまり「不特定多数」の利用者であるのに対し、舞台や楽屋を利用する出演者や関係者は、言わば「特定多数」の利用者であることに起因する。「不特定多数」の施設利用者は「特定多数」の利用者に比較して、建物の機能や非常設備についての知識が乏しいことから、客席等には安全を確保するための方策が多重多様に講じられている。
 例えば、「プロセニアム形式の舞台(客席と舞台がプロセニアムによって区画されている舞台形式)」を持つ一定規模以上の劇場には、舞台と客席を区画する鉄製の防火シャッターの設置を義務付けている自治体もある。これは火災発生の原因となりやすい舞台部を客席、つまり「不特定多数」の利用者空間から物理的に切り離すことを目的としたものである。
 客席で非常事態を引き起こす具体的要因として想定されるのが、火災、地震など、観客に直接被害をおよぼす「一次的要因」と、それに起因して発生する「二次的要因」である。例えば、「二次的要因」には避難通路の変更による事故などがあげられるが、以下、この2つの要因に分けて整理したい。

 

●「一次的要因」

 劇場・ホールの客席空間の安全を脅かす、最も懸念すべき危険因子は火災であろう。幸いわが国では、近年、観客を危険にさらすような劇場火災は発生していない。しかし新宿コマ劇場近くの雑居ビルでの悲劇を見聞すると、「不特定多数」の利用者空間で発生する火災の恐ろしさを改めて思い知らされた。
 今日では、一定規模以上の劇場・ホール施設には、火災の悲劇を未然に防ぐことを目的とするさまざまな対策が施されている。そのひとつに消防用設備等の設置(※1)がある。この消防用設備等には、大きく「消火設備」「警報設備」「避難設備」がある(※2)。これは、火災が発生したときに備え、観客に火災の発生を知らせ、避難を促すとともに初期消火を行うことを目的としている。
 劇場・ホール施設では、消防用設備の中でも特に非常口誘導灯および通路誘導灯、客席誘導灯などが観客の安全避難を誘導する大きな役割を担っているが、近年、消防法の改正により、暗さが必要とされる場面では上演中の誘導灯の消灯ができるようになった。

この種の設備は、不幸にして火災が発生した場合でも被害を最小限に止めることを念頭に設置が義務付けられているものだが、それ以前に火災の起こりにくい建物の普及を目指して、建築基準法に順ずる法令でさまざまな基準が設けられている。
 同法では、「劇場」は「不特定多数」の利用に供する施設として「特殊建築物」に分類され(※3)、「耐火建築物又は準耐火建築物としなければならない特殊建築物」としての指針が示されている。さらに同法施行令では(※4)、特殊建築物等の内装についての制限が詳しく定められていて、総じて燃え難い環境が担保されている。
 地震については、一般に地震の揺れそのものによって観客に危害をおよぼすというより、そのことにより引き起こされる物損やパニックが原因となって、事故を併発することが懸念されている。その対応として、後述する防火管理者の役割の中に、大規模地震発生に際しての安全で適切な避難誘導の実施等が含まれている。
 もう一点、考慮すべき事案として「懸垂物の安全確保」(※5)があげられる。これは周知のとおり、1988年に東京・六本木のディスコで発生した装飾用電動照明装置の一部が落下して人身事故を招いた反省から、建築物の内部に取り付けられる懸垂物を対象とした「懸垂物安全指針・同解説」が取りまとめられた。
 舞台上の照明器具など、「劇場の舞台、演出空間等で不特定多数の観客に危害をおよぼす恐れのない場所に設けられているもの」についてはこの指針が適用除外されており、別に「吊物機構安全指針・同解説」が設けられている(※6)。この指針では固定設備としての吊物設備の安全指針を取りまとめているが、今後は床設備(迫など昇降装置)やこれらの設備を利用して設置される仮設物(大道具や舞台照明器具、舞台音響設備など)の設置に対する安全指針の策定も期待されている。
※1 消防法第17条「学校等の消防用設備等の設置及び維持義務」
※2 消防法施行令第2節「消防用設備等の種類」
※3 建築基準法第2条2「用語の定義・特殊建築物」
※4 建築基準法施行令第5章の2「特殊建築物の内装」
※5 懸垂物安全指針・同解説(1990年/(財)日本建築センター発行)
※6 吊物機構安全指針・同解説(1996年/(社)劇場演出空間技術協会発行)

 

●「二次的要因」

 「二次的要因」は、避難に伴う危険と物損による落下物や破損による危険に大別される。固定席を持つ劇場・ホールについては、避難通路に関わる客席の並び方、段床、通路及び縦通路の位置・幅員、そして客席部の出入口の数及び幅などが地方条例によって規定されている。例えば東京都の場合、「東京都安全条例とその解説」と「火災予防条例(抄)」により、詳細が規定されている(※7)。ただし、この規定は基本構造に対する規定であり、また最低限確保する下限条件を示しているのであって、安全を確保するに足る指針を示している訳では決してない。
 また、舞台の張出や前舞台の使用など、客席部に舞台の一部を突出させた仮設使用が近年よく試みられている。このように舞台を張出して客席の構造(特に避難通路の位置やルート)を変更する場合は、どんなに軽微な変更であろうと、関係官庁の同意や確認を得る必要がある。例えば、テレビ中継用のカメラケーブルが客席避難通路床面を横切るだけでも、避難通路の形状変更と見なされることがあるので注意を要する。
 さらに物損などによる転倒、落下については、仮設物に対する留意が必要となる。一般的には、客席に露出した仮設物として舞台照明器具などが想定されるが、照明のカラーフィルター枠が外れるだけでも、一定の高さから落下すると事故の原因になる。
※7 東京都建築安全条例とその解説 第二章 特殊建築物/第八節 興行場等、火災予防条例(抄)第六「避難及び防火の管理等」

 

●事故を未然に防ぐための方策

 事故を未然に防ぐためには、建築や設備などの安全基準を担保するだけでなく、運用方法に負うところが少なくない。これは劇場・ホールの利用が多様であることに加え、不特定多数の利用者が出入りする場所であるためだ。
 こうした運用面の責任者と言えるのが、消防法によって選任が義務付けられている「防火管理者」である。この防火管理者が担う役割は大変に幅広く、防災計画の策定にはじまり、予防管理対策、火災予防措置、自衛消防対策、震災対策、防災教育と訓練の実施などがあげられる。
 中でも「自衛消防隊」の組織化は、防災に対する意識の向上、非常設備や関連機器に対する知識と取り扱い方の実務、そして非常時に担う役割分担など、実践的な対策を講じていく上で大変に重要となる。
 劇場・ホールの場合、こうした自衛消防隊はホールの管理職員だけで組織されるのではなく、一定期間の公演活動を行う際には、舞台を利用する公演スタッフを含めて組織されるべきである。さらに、施設管理者も法令により定められている安全管理だけでなく、それぞれの劇場・ホール施設の特殊事情も含めて、安全を脅かす可能性のある要因について十分な知識と危機意識を持って対処していく必要がある。
 また、日頃から情報提供などを通じて不特定多数の客席利用者(身体障害者や車椅子利用者も含め)との相互理解や信頼関係を築くことも安全管理にとっては大きな一歩となる。

 

自衛消防隊組織図(例)

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