仙台平野の北に位置する宮城県登米郡は、広大な田園と北上川や渡り鳥の飛来地として知られる伊豆沼など豊かな水辺に彩られた米どころである。また、伊達家ゆかりの城下町でもあり、今もその面影が伝わっている。この登米郡に1994年に開館したのが、住民参加型の事業で知られている「登米祝祭劇場」だ。
登米祝祭劇場では、「登米郡らしい催しをつくろう」と、98年から郡内8町をひとつずつ取り上げ、創作から運営まですべて住民の手づくりで劇化する「登米郡民劇場・夢フェスタ水の里」をスタート。3月2日、3日の両日、その第4回公演として豊里町を題材にした『菜の花の川~とよさと二ツ屋物語』が上演された。
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3月3日。外は氷が張っているというのに、会場ロビーは満開の菜の花で一杯だった。「地元の高等学校などに頼んで栽培してもらいました。チラシに使った豊里町の風景画も住民の方が描かれたものです」と、登米祝祭劇場事業係の小野寺恒雄さん。小ホールでは豊里町をPRする「釜神(かまがみ)展」も行われていた。釜神は家の守り神としてカマドの柱の上にお面のようなものを祀る登米郡の風習。家を新築する時に左官が土壁を捏ねてつくったものだという。
「郡民劇場は、舞台づくりを通して自分たちの町を知ることが目的なので、題材になった町にはPRスペースを提供しています。また、実際に町に出かけて勉強する題材地研修というのもあります。郡内約21,000戸に全戸配布する広報紙もつくっていて、そこでも町の紹介をしています。こうしたことはすべて今回の舞台づくりに参加されている住民の実行委員会が企画してやっていることです」。(小野寺)
本番の公演が始まる前から、住民参加のオンパレードだ。メインのお芝居は、江戸時代の後期、飢饉のために南部領から仙台領に逃れた農民たちが今の豊里町に移り住んだ歴史を、現代の子どもたちがタイムトラベルするというものだった。豊里町に題材を提供してもらうところからはじまり、昨年8月の公募で集まった200名近い参加者たちが、事務局8名、制作・演出部80名(出演から大道具・小道具・衣裳制作、音響・照明まで)、運営部60名(チケット販売、当日の会場運営など)、広報宣伝部10名(チラシ・ポスター制作などの対外PR)に分かれて約5カ月かけて作品づくりを行った。
1回目から参加している事務局長の佐藤敬一さんは、「みんな仲間を求めて年に一度集まってくるんです」と言う。今回、出演もした豊里町の只野九十九町長は、「芝居でデフォルメしてみてはじめて、自分の町について発見できたことがたくさんあった。今は人恋しい時代で、何人の中に自分を発揮できるかが問われるところがあるので、みんなが芝居をつくるというこの方法はとても時代に合っていると思う」と郡民劇場の取り組みを評価する。
今でこそ住民参加を掲げている登米祝祭劇場だが、バブル後半につくられた構想段階の運営計画はクラシック音楽を中心にした発信事業がコンセプトだった。「住民参加に仕切直した後も、僕らが素人だったこともあり、住民に何ができて、何ができないのか、全くわかっていない状況でした。それなら、まずは徹底的に話しを聞いて、一緒に挑戦しながら住民にできることが何なのか確かめようと、開館4年目から自分たちだけで手づくりの取り組みを続けてきました」と星勲館長。
住民の声を広く集めることで成り立ってきた登米の試みは、一度、見失った劇場のイメージを住民と共にもう一度つくり直すプロセスとして絶対に必要なことだったのだろう。平成16年度には8町合併という地域の大変革が控えている。祝祭劇場という素晴らしいタイトルのこのお芝居が、合併という第三幕でどのような展開を見せるか、本当に楽しみだ。
(坪池栄子)
●登米祝祭劇場
宮城県が設置した広域文化施設。10年間、登米広域行政事務組合に無償貸与された後、2004年に移管予定。登米郡8町(迫、登米、東和、中田、豊里、米山、石越、南方町)で構成された財団法人登米文化振興財団が運営。
[開館]1994年
[主な施設]音楽ホール(1025席)、円形可動式ホール(251席)、野外劇場(1500席)など
[所在地]宮城県登米郡迫町左沼字光ケ丘30番地
●『菜の花の川~とよさと二ツ屋物語』
[日程]3月2日、3日
[会場]登米祝祭劇場・水の里ホール
[主催]財団法人登米文化振興財団
[主管]登米郡民劇場「夢フェスタ水の里」実行委員会
[制作協力町]豊里町
地域創造レター 今月のレポート
2002.4月号--No.84