講師 小林真理(静岡文化芸術大学文化政策学部 講師)
自治体が文化政策を行っていく上で根拠になっているもののひとつに「文化振興条例」があります。今回は自治体が主体的に制定している文化振興条例について詳しく見てみたいと思います。
●前提としての地方自治法
前回も述べましたが、昨年末に「文化芸術振興基本法」が制定される前は自治体が文化政策を行う責務はありませんでした。ただし、2000年に「地方分権一括推進法」が制定される前の「地方自治法」第2条において、地方自治体の事務として、3項(5)に「…図書館、公民館、博物館、体育館、美術館、物品陳列所、公会堂、劇場、音楽堂その他の教育、学術、文化…に関する施設」を設置、管理し、または「これらを使用する権利を規制し、その他の教育、学術、文化…に関する事務を行うこと」と規定されていました。
それが地方分権一括推進法により地方自治法が改正され、地方自治体は「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する」役割を担うようになりました。ここでの福祉とは社会福祉などの狭い意味ではなく、広く住民の「幸福」と考えた方がいいでしょう。つまり、住民がその地域に住んでいて、幸せを感じたり、ずっと住み続けていたいと思えるようにすることが、地方自治体の任務なのだと言えます。その意味で、ここに地方自治体が文化政策を行う根拠を読みとることもできます。
●文化振興条例とは
「文化芸術振興基本法」が制定される以前において、地方自治体が国法に根拠のない自治体における文化行政や文化振興を自治体政策のひとつとして位置づけるために制定したのが「文化振興条例」です。
言うまでもなく、法律、条例、いずれも住民ないしは国民の代表議会の議決を経て制定されるものですが、法律が全国的に通用するものであるのに対し、条例はその自治体の区域のみで通用するものです。無論、条例と法律の間に矛盾があってはならないので、条例の制定は憲法第94条で「法律の範囲内で」認められると定められています。
自治体における文化振興条例の先駆けは、1983年に東京都で制定された条例です。その後、秋田県秋田市(83年)、三重県津市(84年)、神奈川県横須賀市(85年)、熊本県(88年)、北海道(94年)、福岡県太宰府市(97年)、北海道士別市(98年)などでも制定されています。文化振興マスタープランもそうですが、こうした文化振興条例の内容は、どの自治体が策定したものも、それほど変わりばえしない定型的なものとなっています。それは、文化の内容については地域の独自性があるのが当たり前とは言え、文化と行政、文化と市民、そして市民と行政のあり方については普遍的に成り立つ原則があるからです。
●文化振興条例の内容
文化振興条例の内容を見てみると、概ね次のような要素で構成されています。(1)文化振興における原則、(2)振興する文化の概念と区分、(3)行政の責務、(4)施策、(5)施策検討のシステム、(6)実効の担保、です。この6項目に従って主な文化振興条例の内容を比較したのが【表1】です。
表1 自治体における文化振興条例の比較
自治体名 | 制定年 | 文化振興における原則 | 振興する文化の概念・区分 | 行政の責務 | 施策 | 施策検討システム | 実効の担保 |
東京都 | 83年 (S58) |
○芸術文化 ○都民の自主的な文化活動としての文化 (第6,7,8条) |
○施策体系の明確化 ○組織整備 ○総合的推進(第3条) |
○芸術文化振興(第6条) ○伝統的文化の保存継承活用(第7条) ○自主的文化活動推進(第8条) ○生涯学習の機会及び場の提供(第9条) ○青少年のための施策(第10条) ○行事の実施(第11条) ○文化情報の収集・提供(第12条) ○顕彰(第13条) ○まちづくり(第14条) ○施設整備(第15条) |
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秋田市 | 83年 (S58) |
○市民は自らが文化の担い手であることを自覚する(第2条) ○市民との共同・協力(第3条) |
○芸術・学術・広く市民の文化向上のための諸活動 | ○文化振興基本方針を定める | ○文化の推進の場、機会、情報の市民への提供 ○郷土のまちづくり推進 ○優れた郷土文化遺産の保存、育成と次代への継承 ○文化の振興に貢献する市民への奨励顕彰助成(第6条) |
○文化振興審議会(第4条) | |
津市 | 84年 (S59) |
○行政は市民の自主性と創造性を尊重する(第3条) | ○芸術・学術及び市民の文化向上のための諸活動(第2条) | ○振興方針の明確化・総合的推進(第4条) | ○文化振興のための施策(芸術・伝統・自主的・生涯学習・情報・国際交流)(第5条) ○環境整備(第6条) ○顕彰助成(第9条) |
○文化振興審議会設置(第7,8条) | |
横須賀市 | 85年 (S60) |
○市民の自主的な文化活動が損なわれることのないよう努めなければならない(第8条) | ○市民生活そのもの(前文) ○自主的文化活動 ○芸術文化活動(第5条) |
○自らも文化の担い手として市民 の文化活動の場づくり機会づくりを図る(第3条) | ○文化活動の場づくり(第4条) ○文化活動の機会づくり(第5条) ○市民文化資産の指定等(第6条) |
○審議会(第7条) | |
熊本県 | 88年 (S63) |
○県民の自主性と創造性が発揮されるよう十分配慮(第3条) | ○県民の文化活動(第5条) | ○施策の体系化 ○総合的推進(第2条) |
○文化振興基本方針(第5条) ○助成等(第6条) ○顕彰(第7条) |
○文化振興審議会(第9,10条) | ○基金の設置等の努力目標(第8条) |
北海道 | 94年 (H6) |
○一人一人がひとしく豊かな文化的環境の中で暮らす権利を有する(前文) | ○生活全般に関わるもの(前文) | ○体系を明らかにし、総合的に推進する責務(第2条) | ○文化振興指針(第6条) ○民間団体等及び市町村に対する援助等(第7、8,9条) |
○北海道文化審議会 (第17~23条) |
○北海道文化基金(第10~16条) |
太宰府市 | 97年 (H9) |
○市民の文化活動に介入することなく広く活動支援し必要な条件を整備する(前文) | ○豊かで安らかな人間らしい生活を求めて行うあらゆる活動から生まれるもの(前文) | ○施策の体系化、必要な財政措置を含め実現に努める(第2条) ○行政の文化化(第3条) ○総合計画との関連(第11条) |
○生涯学習との関連(第7条) ○国立博物館との関連(第8条) ○人材の確保(第9条) ○文化活動の拠点(第10条) |
○文化振興審議会 (第12,13条) |
○必要な財政措置を含め実現に努める(第2条) |
士別市 | 98年 (H10) |
○市民の自主性・創造性への配慮 ○市が実施する施策に、文化の振興を図る視点を取り入れるよう努める(第4条) |
○歴史的風土に培われた文化 ○新たな文化の創出 ○地域文化の創造 ○芸術文化鑑賞事業・自主的発表事業・講演会等(補助金規則第3条) |
○施策の体系を明らかにし、総合的・効果的に推進(第2条) | ○文化活動を行う個人又は団体に対する支援、助成、その他の措置(第6条) ○自主的文化活動への活動の場の提供、情報の提供等(第7条) |
○文化団体との連携協力(第5条) ○補助金交付については教育委員会において決定(補助金規則第2条) |
○文化振興補助金交付規則 |
条例の最初に規定されているのが、「文化振興における原則」です。前回も述べましたが、戦後の文化政策の出発点は文化の創造者を市民・国民においたところにあります。従って多くの文化振興条例でも、市民が文化創造の主体であることが規定されており、そのための行政の不介入の原則が明らかにされています。
この原則の規定において特に優れていると言われているのが、北海道文化振興条例です。その前文は「一人一人がひとしく豊かな文化的環境の中で暮らす権利を有する」というもので、文化権概念を謳ったとも言える内容は他に例を見ないものです。
次に規定されているのが、「振興する文化の概念と区分」です。これには、「芸術文化」「学術」など、振興する対象を示しているものと、「広く市民の文化向上のための諸活動」「自主的な文化活動」などという機能で提示してあるものがあります。実際に施策を見てみると、「芸術文化」「伝統文化」「生涯学習」「青少年のための施策」「まちづくり」「郷土文化遺産」等、文化振興条例の対象範囲が幅広くとらえられていることがわかります。つまり、経済的な豊かさを求めるのではなく、文化的な豊かさを求める人間の「活動」あるいは「成果」の振興を目指すということなのですが、まさにここにこそ地域の独自性や多様性が期待されるところです。
こうした文化振興条例を実効性のあるものとするために規定されるのが、「行政の責務」「施策」「施策検討のシステム」「実効の担保」といった具体的な内容になります。「行政の責務」としては、施策の体系化、基本方針の策定、施策実現のための組織整備などが定められますが、太宰府市の文化振興条例のように「行政の文化化」(第3条)に関する規定のあるところもあります。
●条例の実効性と効力
条例の内容を宣言的なもので終わらせず、実効性を担保するという観点から見ると、財政上の措置が講じられているか、政策への民意の反映はあるか、が重要なポイントとなります。この点からいっても「北海道文化基金」の設立が規定されている北海道の文化振興条例は優れていると言えます。実際、北海道ではこのところの不況のあおりで文化基金を切り崩して助成するという方策も議会で議論されることがあるそうですが、振興条例の存在が歯止めとなっているとのことです(1999年4月北海道環境生活部文化・青少年室文化振興課長インタビューより)。また、地域によっては別に基金条例を制定しているところもあります。
これまで首長のイニシアティブではじめられることの多かった文化政策は、法的な根拠がないために、首長の交替により政策そのものが中止されることもありました。しかし、議会の議決を経た条例は、さまざまな状況の変化があったとしても政策を継続することができるという意味でとても有効な手段だと言えます。また、内容が例え宣言的であったとしても、当該自治体の目指すべき指標として、担当部局だけでなく、全庁の職員が理解し、実践していくことを求められる点で必要なものです。
ただ、文化振興条例を「つくっただけ、というか話題を提供したに過ぎない」ところがあるのも、事実です。しかし、消極的に捉えるより、条例制定後も市民が積極的に行政に関わって実効性を高めていくなど、市民の側の姿勢も問われてくるのではないでしょうか。文化芸術振興基本法が制定されたのを受けて、文化振興条例の制定を検討する自治体もでてきている中で、文化権の明示、市民参画による制定・評価プロセスの検討など、改めて条例のあり方を考える時期にきているのではないでしょうか。