講師 小林真理(静岡文化芸術大学文化政策学部 講師)
世界人権宣言から日本国憲法まで~文化権と公共ホール
4今回から3回にわたって公共ホールをめぐる法的な問題について考えることにします。まずはその1回目として、公共ホールとそれをめぐる法律全般について、述べたいと思います。
●公共ホールを運営する法的根拠はない?
突然ではありますが、公共ホールの担当者のみなさんは、なぜ自分たちが文化施設を運営するのか、考えたことはあるでしょうか。文化施設というのは民間でも運営していますし、特に日本では文化事業や公演、そして劇場などの運営はこれまで一般的に民間主導で行われてきました。例えば歌舞伎座、宝塚大劇場、サントリーホール等々、目立った公演や演奏会を行っている文化施設は民間で経営されています。もちろん民間だからと言って必ずしも利益があるというわけではありません。では、“文化ホールに公的資金を投入して運営をする根拠は?”と問われたらどうでしょうか。
実は文化施設と言っても博物館や美術館は、日本国憲法第26条の「教育権」を頂点に、それを実現していくための教育基本法、社会教育法、そして博物館法という法体系の下で、がっちりと位置づけがなされています。従って博物館や美術館は日本国憲法の教育権を保障する立場から運営していると堂々と言えるわけです。
それに対して一般的に公共ホールの位置づけは曖昧です。ちなみに国立の劇場については、国立劇場法という法律が存在したのですが、日本芸術文化振興会が設立された時に日本芸術文化振興法に改正されました。それゆえ、現在は劇場法と名の付く法律はありません。
それというのも実は、国法のない分野として自治体が自治の可能性を見出すために取り組んできたのが自治体文化行政の起源でもあり、その象徴的施設として公共ホールが建設されたという経緯があるからです。また、自治体文化行政が興隆した中で、社会教育からの脱却というテーマもありました(注1)。国法レベルでの法的根拠がないのは当然とも言えます。
注1 松下圭一[1986]『社会教育の終焉』(筑摩書房)。自治体文化行政の思想、また本稿に関するさらに詳しい内容については、伊藤裕夫、片山泰輔、小林真理、中川幾郎、山崎稔恵[2001]『アーツマネジメント概論』(水曜社)、後藤和子編[2001]『文化政策学-法・経済・マネジメント-』(有斐閣)を参照してください。
従って、独自の運営方針をつくって、堂々と運営をしてこそ意義があるものと言えるのです。しかしながら、実はなぜ公共ホールや劇場を自治体が運営していくのかという点が詰められていないために、その存在が脆弱なものとなっているのが現状です。また残念ながら日本の公共ホールは、学校、図書館、公民館などのように生活に不可欠な施設というところまでには至っていません。従って、財政的に余裕がなくなると、効果の見えにくいサービスを評価するのは難しく、担当職員は行財政にうるさい市民や議員からそのあり方を問われてたじたじとなってしまい、自分たちの仕事に自信すらなくなってしまうことになります。しかし、拠り所、あるいは根拠はあるのです。それが「文化権」です。
●公共ホールを運営する根拠としての文化権
国際的なレベルでは芸術文化を享受したり、文化活動に参加することは権利として認められてきています(これらを総称して「文化権」と言います)。例えば、世界人権宣言(1948年)の第27条には「文化生活に参加する権利」として、
1. すべての人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵にあずかる権利を有する。
2. すべての人は、その制作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する、
とあります。このように、世界人権宣言は「文化生活に参加する権利」を基本的人権として宣言しているのです。この宣言は世界中の諸国家のための「指導基準」を示すものです(注2)が、法的拘束力はありません。しかし、日本国憲法98条3が遵守を求めている「確立した国際法規」と理解されているものです。
注2 世界人権宣言は、18世紀以来今日まで、世界中の各人権宣言が進化発展を続けてきた成果の国際的集大成として宣言されたものである。これまでの基本的人権の歴史において、きわめて重大な地位を占めていることに疑いはなく、その点については、それが法的拘束力を有するかどうかは、それほど本質的な問題ではない。宮沢俊義[1974]『憲法2. (新版)』(有斐閣)。
さらに1966年に国連総会で採択された国際人権規約(注3)は、批准した国家を法的に拘束するものですが、そのうちの「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)の第15条にも「文化への権利」(注4)の規定があります。この国際規約は略称、社会権規約と言われるもので、ある人権を保障するために国家に何らかの作為を求める権利(社会権)として保証されているものです。また、子どもの権利に関する条約(1989年)の第31条「休息、余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」(注5)にも同様の規定があり、文化権の範囲が子どもにも及んでいることが確認できます。
注3 国際人権規約は、(1)「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)、(2)「市民的及び性寿的権利に関する国際規約」(自由権規約)、(3)自由権規約に付随する「選択議定書」から成り立っている。我が国では国内法との抵触から一部を留保して、1979年に批准している。
注4 第15条「文化への権利」
1. この規約の締結国は、すべての者の次の権利を認める。
(a)文化的生活に参加する権利
(b)科学の進歩及びその利用による利益を享受する権利
(c)自己の科学的、文学的又は芸術的作品により生ずる精神的及び物質的利益が保護されることを享受する権利
2. この規約の締結国が1の権利の完全な実現を達成するためにとる措置には、科学及び文化の保存、発展及び普及に必要な措置を含む。
3 この規約の締結国は、科学研究及び創作活動に不可欠な自由を尊重することを約束する。
4. この規約の締結国は、科学及び文化の分野における国際的な連絡及び協力を奨励し及び発展させることによって得られる利益を認める。
注5 第31条「休息、余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」
1. 締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。
2. 締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。
なぜこのような人権に関する規約が国際的なレベルで採択されたのでしょうか。それはファシズム、特にナチスドイツによる目に余るような人権侵害を止められなかったという歴史的反省があったからです。人権侵害は文化分野にも及んでいました。戦前のナチスドイツでは、芸術文化活動の囲い込みをすることによって、囲い込みされた団体や個人には保護や援助を行う反面、国家目的に合致しないものを排除するという文化政策を行ってきました。従って、戦後人権を保障する立場から確認しなければならなかったのは、まず“文化を創造していくのは国家ではなく、国民が主体であり、文化の自由と多様性を保障することこそ重要な問題だ”ということでした。そしてその「自由」と「多様性」を保障していくための環境整備が、国家に求められてきたのだと言えます(もちろん環境整備はハード面にとどまるものではありません)。
●日本国憲法の中での文化権
しかし、これら文化権を明らかにした国際規約(子どもの権利条約を除く)より前に成立した日本国憲法においては、文化権が明示されているとは残念ながら言えません。とはいうものの、文化の自由に関しては、文化(あるいは芸術)という言葉こそ使われていないものの、人間の精神活動の所産としての文化に関連する重要な規定が存在します。具体的には第13条「幸福追求の権利」、第19条「思想及び良心の自由」、第21条「表現の自由」、第23条「学問の自由」に規定された一連の精神的自由権です(注6)。その中で「芸術の自由」については、人間の内心を表現するものとして、第19条「思想及び良心の自由」や第21条の「表現の自由」に含まれるものとされています。いかなる文化をどのように享受するか、また創造するかというこれらの精神的自由権の問題は、もっとも深く人間個々人の内面にかかわる営為であり、公権力による介入や統制が行われてはならない領域です。従って、国や自治体による文化政策を行う際にも、この点に十分に配慮する必要があるわけです。
注6 「これらは国民の権利の行使の結果が「人間文化としてのまとまりを示すものと期待されているような『文化的自由』にほかならないのである」。兼子仁[1978]『新版 教育法』(有斐閣)
それでは国民が自治体に、文化の自由と多様性を保障するより良い文化政策を求めていく社会権的な意味での文化権はどこに根拠を求めればいいのでしょうか。第25条第1項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文は、日本の憲法の中で「文化」という文言が条文に表れたものとして最もよく知られています。しかし環境権、文化的な環境に生きる権利、文化財享有権などをめぐって起こされた裁判において、この条文によって保障される範囲はいまだ限定的です。とはいうものの私たちにとって「健康で文化的な最低限度の生活」がどのようなものかは、問い直していく意義のあることです。
実際に文化の自由が保障されていると言っても、大都市(それも東京)に芸術文化活動が集中している日本の現状を考えてみると、すべての人に文化権が保障されているとは言えません。商業ベースで考えれば、芸術文化活動は大都市に集中せざるをえません。それを是正し、すべての人に文化権を保障していくことこそが、まさに各自治体、そして文化ホール等に課せられている課題なのだと言えます。
●文化芸術振興基本法の制定
ところで文化芸術振興基本法(注7)という法律が2001年の第153回臨時国会において成立しました。日本には文化政策の根拠となる法律がなかったことから、その立法化についてはかなり前から議論されてきました。自治体に関しては、国との連携を図りつつ、「自主的かつ主体的に」地域の特性に応じた政策を展開していく責務が記されています(第4条)。自治体とすれば地域の固有性や住民のニーズを反映させていく上でも、独自の指針を確立させていく必要があります。国の基本方針と照らし合わせて、独自に判断していくための指針です。それがなければ全国金太郎飴的な施策が展開されることになるだけです。基本法を受けて、まずは自治体独自の文化政策の理念を明らかにすることが必要です。それがひいては文化ホールの現場の運営理念にも関わってくることになります。
注7 この法律は全35条から成り、文化政策を行う際の基本的理念を定めたもの。対象とする文化芸術の範囲は大変広範なものとなっており、また条文の大半は国の責務や役割を明記したものです。