一つとや 広い海原 果てさして/二つとや 船出したのは誰のため/三つ みちのく陸奥守/四つ 良い殿 政宗公/五つ 言いつけ賜って 船出したのは誰のため/六で ローマのバーバさま/七で 親しくご会見/八は 支倉六右衛門/九(苦)難の旅のご褒美は /十で 重代閉門 竹矢来 (後略)
幕開き、この数え唄を唱いながら、赤い灯篭を手にした子どもたち約50名が客席から登場すると、会場は一瞬にして悲劇的な雰囲気の漂う江戸時代の仙台藩へタイムトリップした。
藩主にキリスト教布教の許可を得るためローマ行きを命ぜられた仙台藩士、支倉常長を主人公にした創作オペラ『遠い帆』の再演が、8月に仙台と東京の2都市で行われた。これは、昨年、仙台市市民文化事業団の自主制作で話題を呼んだ作品で、作曲の三善晃・脚本の高橋睦郎がオペラに初挑戦したこと(三善氏はこの作品でサントリー音楽賞を受賞)、地元の児童合唱団と公募による市民合唱団が参加し、演奏を仙台フィルハーモニー管弦楽団が担当するなど地元参加型だったこと、仙台の歴史的人物を主人公にした地域ドラマだったこと、500人規模の劇場での上演(再演では劇場規模を拡大)など。初演時には舞台成果 とともに、その取り組みが地域プロデュースオペラとして破格の注目を集めた。
仙台市市民文化事業団の担当者、企画係の青野裕慈さんに改めて制作の裏話を聞いた。
「平成2年に、山田耕筰さんが構想していたオペラがあると新聞報道されたのがきっかけで企画が始まりました。私が関わったのは作曲家、脚本家が決まってから。それまではオペラの制作経験も興味もなかったけど、一流のアーティストの創作に触れる中でだんだんのめり込んで…(笑)。
そもそもこの事業はシティセールス的な取り組みとしてスタートしました。しかし、合唱主体の作品にしたいという三善さんの意向から、市民が唱うオペラを高い水準で実現しようという気運が高まり、合唱団を公募することが決まりました。初演時には中学2年生から69歳まで78名、再演は初演参加者66名を含む84名が参加してくれました。
初演時の合唱団の稽古はスコアができてから1年間で計70日。稽古場がなくて市内の文化センターをジプシー状態のまま20カ所ぐらい使いました!この合唱団が面 白いのは、仲間と仲良くなりたい以前に、三善さんのスコアを唱うことだけを目的に集まっているところ。『遠い帆』以外は唱えないけど、この曲に関してはプロにも負けない。この曲を唱うために集まって、終わればいったん解散する。潔くてカッコイイなあと思います(笑)。
上演プランは、高橋さんがイタリア、スペイン、仙台と取材された原作(上演台本の2倍!)を元にかなり議論が行われました。数え唄とか、子どもが伴奏なしで唱い出すとか、初演は500人位 のホールでやりたいとか、三善さんの考えもベースになっています。
支倉常長については、お墓が3カ所あるし、死期も80歳説、50歳説などがある。明治時代にようやく資料が見つかったりして、ローマから切支丹禁制になった仙台藩に戻ってからの資料がほとんどない。高橋さんはそういう謎めいたところと、自分の意思ではなく運命にもてあそばれた“捨石”的人生にいたくドラマを感じられたようです。地域にとっては江戸時代にローマに行った先進的な人のイメージが強くありましたが、この脚本で全く新しい常長像が提示されたと思います。感受性が豊かで仙台に先入観がないから、こういう新鮮な目で常長を作品化できたのではないでしょうか。ローカルな題材は一流の才能で、グローバルな題材は地元の才能を大切にする方向で制作すると面 白いというのがよくわかりました。
プロデュースと制作業務のすべてをとりまとめてみて本当に勉強になりましたが、初演から再演まで思った以上に高く評価していただけて、この完成にこれからどう新しい人を巻き込めるか、いまそのことがすごく心配です(笑)」 (坪池栄子)
●「オペラ支倉常長『遠い帆』」 [作曲]三善晃
[脚本]高橋睦郎
[総監督]観世榮夫
[音楽監督・指揮]外山雄三
[演出]佐藤信
[出演]多田羅迪夫、伊達英二、高橋啓三、加賀清孝、菅英三子ほか
[合唱]オペラ支倉常長「遠い帆」合唱団(公募)
[児童合唱]仙台少年少女合唱隊
[演奏]仙台フィルハーモニー管弦楽団
[主催]仙台市、仙台市市民文化事業団ほか
[制作]仙台市市民文化事業団
[制作協力]東京コンサーツ
[初演]1999年3月21日~23日(仙台市青年文化センター)、4月3日、4日(世田谷パブリックシアター)
[再演]2000年8月3日、4日(宮城県民会館)、22日、23日(東京文化会館)
地域創造レター 今月のレポート
2000年10月号--No.66