「ここは、日本一の芝居小屋です」と、前早稲田大学演劇博物館館長であり、近松研究の第一人者として知られる鳥越文蔵氏が太鼓判を押す県民ホールが、今年(平成12年)3月山口県にオープンした。長門市の「ルネッサながと」である。ちょうど国立劇場小ホールを小振りにしたような劇場で、両側に桟敷席があり、その上にずらり並んだ赤提灯がいかにも芝居小屋の華やぎを見せている。
しかし、この小屋は元々地元にあった芝居小屋を改修・復元したわけではない。それでは何故、こんな立派な芝居小屋が長門市に建ったのか。それは日本を代表する劇作家近松門左衛門に由来する。近松の出生地は、越前説などさまざまな説があり未だ学術的には解明されていないが、ここ長門市には「近松は長州藩士の子で、長門市東深川江良生まれである」との伝承が残されている。そこで市ではこの近松出生伝承をもとに、94年から「近松祭 in 長門」を開催し、歌舞伎や文楽を上演するなどしてまちおこしを推進してきた。こうした経緯からこの芝居小屋建設が発案され、館長に鳥越氏、芸術監督に演劇評論家の渡辺保氏という近世演劇の大家を招聘して開館の運びとなった。
この「ルネッサながと」のメイン事業として企画されたのが、近松戯曲の現代劇版上演「ながと近松実験劇場」である。日本のシェイクスピアと言われる近松が残した戯曲は約150本あるが、初演以降上演されたものは50本にも満たないという。その埋もれた作品の中から10編を選び、年に2本の割合で5年間上演しようという計画だ。しかも近松をそのまま歌舞伎や文楽という手法で行うのではなく、現代語に脚本化し、現代劇として上演する。衣裳も音楽も舞台美術も時代を離れて自由に表現される。「現代語訳」「現代版」「原作に忠実」を3本柱に、近松作品を現代に甦らせようというわけである。演出は劇団青年座研究所所長の高木達氏、脚本は市川猿之助のスーパー歌舞伎を手掛ける石川耕士氏と文学座の鈴木正光氏が年1作ずつ担当。役者は青年座研究所卒業の若手俳優とオーディションで選ばれた地元のアマチュアが共演することとなった。
その第1回公演が、6月17日『下関猫魔達』で幕を開けた。この作品の初演は元禄10年なので、300年間眠っていた近松作品が息を吹き返したということになる。物語は地元長門の国下関を舞台に繰り広げられる、小夜照姫と領主浅平との恋物語である。僧侶の横恋慕やお家騒動が絡んだ愛憎劇だが、悪党どもとの立ち回りや小夜照姫に恋して思いを遂げられなかった僧が化け猫となって舞台を攪乱させるなど、けれん味も十分だ。現代版らしく、公演は刀をピストルに持ちかえた現代風俗でのラップとブレークダンスで始まった・・・。
近松の戯曲は話し言葉の台詞部分と太夫が節にのせて情景などを物語る“地合”と呼ばれるナレーションの部分で構成されている。脚本化するには地合をどのように台詞に取り込むかがポイントとなる。しかもこの近松実験劇場では全編ノーカットを原則としている。石川氏の脚本では、歌舞伎ならゆうに4~5時間はかかるところを、現代語の軽妙なテンポで2時間弱の上演時間が実現されていた。
今回の作品には県内外から12人のアマチュアが役者として参加している。彼らは演出家からの宿題に沿って4月からの週1回の自主稽古をこなし、本番10日前に現地入りした演出家・役者と合流して本番に臨んだという。地元に指導者がいないなど、市民参加のあり方としては課題が残るところもあり、もっと丁寧な舞台創作を望む声もあるものの、上演台本という財産が生まれ、「今度は出演したい」というアンケートも多数寄せられるなど、近松や古典に対する敷居の高さを払拭できた公演だったように思う。この市民の関心をこれからの事業にどうつなげていけるか、企画としては面白いだけに携わる人々の力量がこれから問われるところだろう。「この芝居小屋をいろいろな人にどんどん使ってほしい」という鳥越氏の言葉通り、使い込まれるほど魅力的になるようないい芝居小屋だった。
(パフォーミングアーツプロデューサー 花光潤子)
●ルネッサながと 文化ホール(山口県民芸術文化ホールながと)とアリーナ(ながと総合体育館)からなる複合施設。文化ホールは県、アリーナは長門市の建設によるもので、「(財)ながと広域文化財団」が両方の運営を行っている。
[客席数]812席
[舞台]間口27間(49m)、奥行き10間(18m)。江戸時代の典型的な歌舞伎小屋の寸法と同じ。花道、スッポン、大迫り、小迫り、舟底迫り、廻り舞台まで備えた舞台機構は、歌舞伎や文楽など本格的な伝統芸能の公演が可能。
[オープニング]人間国宝の吉田玉男氏と吉田蓑助氏による文楽公演「寿式三番叟」。
地域創造レター 今月のレポート
2000年8月号--No.64