ここは、大阪市平野区の旧平野郷。商店街を中心に、古い町並みや寺社仏閣が残る大阪の下町だ。戦国時代には周囲に環濠を巡らし、自治都市として発展した商人の町である。最近では商店や寺社の一角を改造し、「町ぐるみ博物館」として公開するなどユニークな町づくり活動でも注目されている。7月19日から26日まで、その平野郷内で、関西の若手現代美術家が中心になったアート・プロジェクト「モダン de 平野」が開催された。
このプロジェクトの発起人は、平野在住のアーティスト、樋口よう子さん。樋口さんは、町の中で開催されるアート・プロジェクトにいくつか参加してみて、ある日突然アーティストがやって来て、作品を置いていくというやり方に疑問をいだくようになる。「町の中でやるなら、町の中なりのやり方があるはず。アーティストの傲慢さと、町側の受け身を感じました。美術館に展示するようなモノをもってくるのではなく、地元の人と一緒につくりあげることができないかと思ったんです」。
樋口さんはそんな思いを地元平野の全興寺の住職、川口良仁さんにぶつける。川口さんは「平野の町づくりを考える会」の主要メンバーとして、町ぐるみ博物館などの活動を引っ張ってきた張本人。興味をもった川口さんたち「町づくりを考える会」の協力により、今回のプロジェクトが実現することになった。
そんな「モダン de 平野」に参加しているのは、町や人との関わりそのものをテーマにしている作家たちが多い。例えば、冒頭の女性が探していた井上明彦さんは、町のはずれにあった「瞬間移動」という巨大な落書きをパネルに模写し、そのパネルとともに町内を移動しながら町の人と写真を撮影している。東京から参加した本田孝義さんは、東京と大阪の風景をビデオ撮影した上に、2つの町の違いについてインタビューした平野の人々のコメントをかぶせ、野外上映した。今年は、商店街の一角に「SOUVENIR平野」というみやげ物屋もお目見え。店内には町の人とアーティストのつくった「平野みやげ」が並んでいる。中には、町の人と一緒に作品が並べられるのに難色を示すアーティストもいる。そんなアーティストに、川口さんは「現代美術といっても保守的やなあ」と一言。「樋口さんたちとは喧嘩しながらやってますよ」。
川口さんは、「モダン de 平野」に関わる意味について、次のように語ってくれた。「町づくりで大切なのは町が常に動いていること。アートは日常と違う視点で町を見つめ直すきっかけになる。それと実験的なことはシナリオ通りにいかないでしょ。だからそのプロセスに関わることによって町が活性化するんです。『モダン de 平野』は、アーティストと平野の住民との『共同制作』なんですよ」。
培ってきた歴史の上に、自前の価値観をもち、「おもろい」ことには貪欲に関わる平野の人々。そんな平野の人たちを前に、アーティスト側も気が抜けない。その関係性そのものが「モダン de 平野」の面白さだ。そして、そうした関係性のもてる町にこそ、美術や美術館という制度に保護されてきた"作品"ではなく、日常の中で意味をもち、人の心を活性化するアートが生まれる可能性があるのではないだろうか。
(宮地俊江)
●モダン de 平野
[主催]"モダン de 平野"実行委員会
[助成]芸術文化振興基金
[日程]7月19日~26日
[会場]大阪市平野区 旧平野郷内
[参加作家]黄鋭、藤本由紀夫、本田孝義、山宮隆、しばたゆり、井上明彦、岡田武志、ウエダリクオほか
●旧平野郷
大阪市の東南に位置し、平安時代より交通の要衝として栄え、戦国時代には町の安全と自治を守るため集落のまわりに二重の堀をめぐらせた「環濠集落・平野郷」を形成した。現在では、周辺の宅地化が進み、濠も一部を残して埋め立てられたが、碁盤目状の町割り、季節の祭礼など歴史と伝統を色濃く残す町である。
1980年に駅舎の保存運動を機に、任意団体である「平野の町づくりを考える会」が結成され、「歴史を生かす町づくり」をテーマにハード・ソフト取り混ぜてさまざまな町づくり活動を展開している。特に、93年からスタートした「町ぐるみ博物館」では、商店や寺社を改造し「駄菓子屋さん博物館」「幽霊博物館」「平野映像資料館」などとして公開(全12箇所)。公開日の毎月第4日曜日には、地図を片手に博物館めぐりをする観光客が多く訪れる。
地域創造レター 今月のレポート
1998年9月号--No.41