「よかったらウチでコーヒーでも飲んで行きませんか。喫茶店やってるんです」
初めて河内長野を訪ねた日。市民オペラ『ラ・トラビアータ、椿姫』公演の前日だというのに、懇親会で親しくなった市民のひとりがそう言ってお茶に誘ってくれた。もちろん彼女も翌日には出演を控えている。けれどその表情は、緊張というよりも舞台に上がるのが楽しみで仕方ないといった風情だ。
「稽古は厳しかったです。去年の12月に始まって、月に4回練習しました。私は10年前神奈川の藤沢に住んでいた時に、やはり市民オペラで『アイーダ』に出演したことがあるんです。今回、参加希望者は当初70数名で、途中で抜けて行った方も何人かいました。もちろん初心者の方もいました。5月半ばにはアメリカから合唱指導の先生がいらして、6月からは週に4回の練習になりました。半年の練習でイタリア語をマスターするんですから、大変です。でも、あっという間に時間が過ぎてしまった感じです」
1992年にオープンした河内長野ラブリーホール。開館当初掲げられたのは「ホールを媒体にして市民が市民のための市民活動を結実させよう」というコンセプトだった。その方針に沿って、初代プロデューサー長島平洋(元NHK職員)を中心に、市民オペラづくりが計画された。当時、ホール建設、文化財団づくりに奔走していたのは市の生活文化課だった。担当者のひとりは言う。
「市民オペラをやろうと決まった時に、スタッフが考えたのは『レベルの高いものにしたい』ということでした。舞台自体には市民が乗っていなくてもいい。素晴らしい舞台に感動する観客=市民がいて、市民がオペラに興味を覚えてくれたらいいんじゃないか。オペラには演劇、音楽、照明、衣装等あらゆる芸術の要素がある。そういう魅力に満ちた舞台をこの街でつくることに意味がある。それをやりたいと考えました」
準備当時、時代はバブル景気に浮かれていた。河内長野近隣でも、3年間に4館のホールが誕生するラッシュ状態だった。助成の関係もあり、それぞれのホールは機能分化する必要があった。そのことが、結果的にオケピット付き、壁面に木材を使ったオペラも可能なホールという選択につながっていく。
ホールの建設が始まった頃、担当者は市民の中に入ってどんな文化活動が行われているかを徹底調査した。ところが「当時市民活動には本当に何も特徴がなかった。だから、何もなかったからこそオペラを強く推すことができた」という。
開館7年めを迎える今年、演出家(マリー・キング)、指揮者(ヤーコブ・ベルグマン)、副指揮者(合唱指導、ナタリア・リャシェンコ)、衣装デザイナー(フェイ・コンウェイ)は、皆アメリカから招かれた。演奏は大阪シンフォニカー。ソリストは国内オーディションで選ばれ、約70名の市民がコーラスとして参加した。
翌日。舞台初日はあいにくの雨模様だった。それでもホールや楽屋には、出演者、観客、ボランティアとして、たくさんの市民の笑顔が溢れた。1幕の冒頭、2幕、そして3幕と、パーティー・シーンになると様々に着飾った市民が舞台に進み出てくる。開演当初こそ声に今一つ伸びが感じられないのが気がかりだったが、舞台が進むにつれて、次第に演技にも余裕が感じられるようになった。昨日のあの人はどこにいるかなー、僅かなふれあいでもそんな気になるのだから、客席の誰もが熱い思いで舞台を凝視していたに違いない。本当にあっという間の3時間だった。
あの日から約半月後。この原稿の締め切りの日に、1通の封書が届いた。河内長野の消印が、懐かしい光景を思い出させてくれる。
「近所の人が感動したという声を聞くたびに姑さんが、ウチの嫁も(あの舞台に)出ててんと自慢しています。そういうところも、河内長野らしい光景です」
躍動感のある文字が、参加者の充実感を伝えてくれている。
(ノンフィクション作家・神山典士)
●マイタウンオペラ『椿姫』
[主催]河内長野市
[日程]6月19日~21日
[会場]河内長野市立文化会館ラブリーホール・大ホール
[指揮]ヤーコヴ・ベルグマン
[演出]マリー・キング
[管弦楽]大阪シンフォニカー
地域創造レター 今月のレポート
1998年8月号--No.40