●狂言から人間の優しさを学ぶ
「やいやい太郎冠者、あるかやい」
「はあー」
5月5日の子どもの日、元気一杯の子どもの声が能楽堂に響きわたる。浅葱地や藍染に大胆な意匠を凝らした狂言装束に身を包み、小さな足には黄色い足袋が可愛らしい。ここは横浜の紅葉坂、音楽堂や図書館などの文化施設エリアに2年前にオープンした横浜能楽堂、開館当初から始められた「こども狂言ワークショップ」の第2回発表会である。
大蔵流狂言方山本東次郎氏の指導により、演じたのは横浜市内外の小学3年生から中学2年生までの26人の子どもたち。番組は小学校の教科書でもお馴染みの「附子(ぶす)」をはじめ「柿山伏(かきやまぶし)」「神鳴」「首引(くびひき)」など十番。今年から狂言の基本形である小舞も加えられた。小舞では女子は橙色、男子は緑のお揃いの紋付き袴で勢揃い。紋は五月の節句に相応しく鯉上りの飾り紋で、横浜能楽堂がこの日のために誂えた。
「古典芸能は難しい、敷居が高い」、そんな大人の先入観は子どもたちには微塵もない。家族連れや友だちで賑わう客席を前に、子どもたちは実に堂々と演じていた。同じ頃、楽屋では袴の畳み方もわからないお母さんたちがなす術もなくウロウロ。「伝統芸能なんてこれまでは遠い世界。この能楽堂へも子どもが通うことになって初めて来たくらい。単純に面白そうだなと思って応募したら、子どもがとても熱心になって、それで親のほうも能や狂言に目を向けるようになりました」。
この父兄の反応こそが、「こども狂言ワークショップ」の大きな成果だろう。横浜市文化振興財団のプロパーとして能楽堂の企画を担当している中村雅之氏は、「新しいファンの開拓、観客育成がこの事業の第一の目的です。ただ黙っていても客は来ません。子どもが参加することで家族全体を巻き込んでいく。友人など周辺への波及効果は絶大です」と言う。2年目には定員20人のところ100人近くも応募があり、昨年の発表会はマスコミにも大きく取り上げられた。「このPR効果は横浜市の"町おこし"にも繋がっています」。
こうした能楽堂の積極的な事業姿勢を支えているのが、能楽評論家として高名な館長の山崎有一郎氏である。ワークショップだけでなく、舞や鼓の教室、講演会など多彩な教育普及事業が行われ、狂言教室「附子」も解説付きでビデオ化され、無料で市内の小中学校に配布されている。
そして何といっても、山本東次郎氏の熱意が大きく、一門の協力でほとんどマンツーマンの指導を行っている。「まず真っ直ぐ立つ、真っ直ぐ座ることから始めます。次に扇の扱い、発声の仕方などをやります。子どもでも押さえ所はきちっと教えます。型は600年の伝統の中でぎりぎりに削り込まれたものですから、拠所としてしっかりしている。束縛でもありますが、型があるからこそ却って子どもたちが安心してのびのびやれる面があります」。
「狂言では人が死にません。決して最後まで追い詰めず、どんな愚かさも大らかな笑いで包んでしまう。狂言は人間に優しいですから」という東次郎氏。狂言のもつ最大の魅力がここにある。現在、日本の学校教育に「演劇」は導入されていないが、最もシンプルで本質的な演劇である「狂言」は、子どもたちの教育に最適ではなかろうかと思った。「狂言を体験して、日本の美意識や話し言葉の豊かさ、そして人間を観る温かい気持ちなどを、頭のどこかで覚えていてほしい」。
山本家から惜しげもなく提供された代々伝わる豪奢な装束、特別誂えの小道具。繊細な刺繍を施した江戸時代の小袖、重要文化財とも言うべき装束に身を包み、旧加賀藩主前田家ゆかりの能舞台に立ち、姫鬼を演じる少女--この贅沢さをわかっているのかなあ。
「とっても楽しい。一生懸命練習したので、皆にいっぱい笑ってほしいナ」と無心な返事。 この体験の素晴らしさは、子どもたちが大人になって初めてわかることなのかもしれない。
(パフォーミングアーツプロデューサー 花光潤子)
●「こども狂言ワークショップ」
子どもたちに狂言を身近に感じてもらおうと、1996年から小・中学生を対象に夏休みに開催。その際、稽古の継続を希望する声が高く、新たに春休みに10回の「卒業編」ワークショップを開催し、昨年の5月5日に発表会「横浜こども狂言会」を行った。この卒業生有志が「いろはの会」を結成。ワークショップとは別枠で昨年より月2回の稽古を行っている。今年の発表会はワークショップ二期生と「いろはの会」の子どもたちとの合同公演。講師は山本東次郎氏をはじめとする大蔵流狂言方・山本東次郎家一門の皆さん。
●横浜能楽堂
1996年開館。本舞台は1875(明治8)年東京根岸の旧加賀藩主前田斎泰邸に建築され、後に松平頼寿邸の「染井の能舞台」として65(昭和40)年まで親しまれてきたものを、復元移築した。客席数486席。別に練習用として本舞台と同じ面積の第二舞台がある。
地域創造レター 今月のレポート
1998年6月号--No.38<