一般社団法人 地域創造

石川県中島町 無名塾ロングラン公演を終えて

●2万人動員の無名塾ロングラン公演

赤坂利勝(能登中島演劇祭事務局)

 

 10月9日から11月10日まで、人口約8000人の能登中島町の中心部に、史上初めて車の渋滞ができました。もちろん、能登演劇堂で行われていた無名塾のロングラン公演『いのちぼうにふろう物語』に駆けつけたお客様の車です。町役場の職員は総出で駐車場の整理やお客様の案内に当たりましたが、連日超満員でパニック寸前の賑わいでした。

 

 初の試みとして行われたロングランは1カ月30ステージ。用意したチケットは1万9500枚。初日を迎える前までは完売というわけではなかったのですが、2日目になると初日の評判を聞きつけたお客様からの電話注文がひっきりなしにかかるようになり、公演終盤には立ち見や補助椅子を出す状態になりました。トータルで2万151人のお客様が入場してくださったことになります。

 

  公演を企画するにあたり、県内からの集客だけで2万人はクリアできないと思い、中島町から1泊2日圏内に位置する都市の旅行代理店や団体をセールスして回りました。ここは和倉温泉に隣接していますので、観劇&温泉ツアーとして企画したわけです。これも好評で、岐阜や名古屋で募集したツアーの方々が、バス10台ほどを連ねて来てくれたりしました。

 

結局、来場者は県内が7割、県外が3割。周囲の温泉地や商店街にも十分に波及効果がありましたから、経済的な意味でも成功したと思っています。

 

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 舞台には、地元町民もエキストラとして参加しました。物語のエンディングで、演劇堂自慢のホリゾントが全開となり、劇場の裏側に作られた堀に水が張られて、そこで捕物のシーンが展開するのです。「ご用、ご用」の掛け声とともにエキストラが持った提灯が激しく動き回り、クライマックスを盛り上げました。エキストラの顔つきが役者へと変わっていくようで、しめしめと思いました(笑)。

 

 舞台の袖では、舞台の転換を手伝う町役場のスタッフが連日7~8人、汗を流していました。ここの担当をこなすためには役者との息が合わないといけないので、途中で誰かと替わるわけにはいきません。結局、担当になった人は、1カ月毎日劇場に通うことになりました。もちろん、町民からも自発的に公演を手伝うボランティアが名乗りをあげてくれました。30人くらいで組織された女性グループからは、連日3~4名が会場案内に来てくれたり、外からの注目が大きかった分、町民の盛り上がりも相当なものでした。

 

  演劇堂が誕生したのも、今回のロングランが成功したのも、中島町と無名塾代表の仲代達矢さんとの約10年にわたる信頼関係によるのですが、仲代さんは舞台のカーテンコールに去年亡くなった奥様の遺影を掲げられて、その業績を偲んでおられました。この作品自体、演出家として常に二人三脚でやってこられた奥様の追悼公演であり、中島町との絆を示す作品でもあったと思います。

 

 「最初は無謀かとも思ったけれど、ここまでやれて感謝で一杯です」という言葉をいただきました。

 

  町としても、「演劇を観る町から制作する町、そして産業にする町へ」という目標にまた一歩近づいた感じです。県立中島高校では、演劇専科を作る動きも始まりました。町民劇団と裏方のボランティア組織である演劇アカデミーとの合作芝居も、来年には立ち上げようと考えています。ちょうど明日、その第1回目の集まりをもつところです(談)。

 

 

●中島町文化センター・能登演劇堂
1995年5月12日オープン
[ホール席数]651席
[設計者]浦建築研究所
[所在地]〒929-22 石川県鹿島郡中島町(なかじままち)字中島甲部130番地

 

 

●'97能登中島演劇祭
『いのちぼうにふろう物語』 原作/山本周五郎、脚本/隆巴、演出/林清人、出演/仲代達矢、山本清、山本圭ほか
[主催]'97能登中島演劇祭実行委員会
[日程]97年10月9日~11月10日

 

地域創造レター 今月のレポート
1998年1月号--No.33

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