●韮山のエッセンスが凝縮した町民オペラ
吉村正信(韮山時代劇場)
韮山時代劇場のオープニングで実施した町民オペラ『頼朝』は売り出しから1時間余りで1500枚のチケットが完売するという大変な反響を呼び、民放2局が1時間のドキュメンタリー番組を制作するなどメディアにも多数取り上げられました。実際の公演も、オペラなどほとんど未経験の町民が集まって、オーケストラから合唱、裏方まですべてやったとは思えないほどの仕上がりで、これも1年3カ月、延べ100日にわたって行った練習の成果だと思っております。
静岡県韮山町は伊豆半島の付け根に位置し、富士山と田園の景観が美しい人口1万9000人ほどの町です。以前からホールと図書館が欲しいという要望が住民から上がっており、それを受けて、自治省のリーディング・プロジェクト事業のひとつに位置づけ、町内と町外の人々が交流し、韮山でなければ学ぶことができない地域学習を行う場として韮山時代劇場がつくられました。
事業内容や運営方針は、87年(昭和62年)に町政25周年記念事業で町民が主体になって発足した「明日の韮山を考える会」のメンバーを中心に「まちづくり会議」を組織して検討しました。その結果、歌、楽器、衣裳、メイク、大道具、小道具、照明などさまざまな分野の人たちが参加できる総合芸術のオペラがいいのではということになり、町民が主体となって上演することで自分たちの施設として愛着をもってもらおうと、オープニング事業に町民オペラを実施する方針が決まりました。それを受けて、「韮山時代劇場ソフト計画検討委員会」が発足し、オープニングを含む1年間の事業内容について具体的に検討を行いました。
このように10年来、町づくりについて検討してきた町民がその基本方針"環境と歴史と文化の町づくり"を踏まえて企画づくりを行ったこと、町民オペラの題材として韮山ゆかりの源頼朝を取り上げ、地域学習的な要素を含んでいることなど、この間、韮山町で考えられてきた諸々のことが合わさって、今回のオープニング事業のかたちができあがっていきました。
キャスト、スタッフの公募では250名ほどの応募があり、みんなで地元の史跡を訪ねるところからスタートして、専門家によるワークショップを含め、月2回~10回ほどの練習を1年3カ月にわたって続けました。脚本・作曲は、音楽関係のメンバーの縁で、相模原市で市民オペラ『笠地蔵』を手掛けた経験をもつ加藤由美子、宮田早智子さん姉妹に、演出とナレーションは町内に居を構える河野洋・藤田弓子ご夫妻にお願いしました。
脚本は稽古始めからあったものの、音楽はオーディションでソリストが決まってから、またオーケストラは参加者がエントリーした楽器を見てから作曲を行ったため、全体の楽譜が完成したのは公演2カ月前という状態で、本当にはらはらしました。100人分の衣裳は照明とのバランスや曲のイメージなどを確認してから制作に入ったので揃ったのが公演直前と、現場はかなりの綱渡りでしたが、アマチュアでもこれだけやれることに本当に驚きました。
オープニングを成功裡に終えて思うのは、こうした事業や韮山時代劇場が町づくりにとって意味をもつためには、どこかで産業振興の枠をつくっていかなければならないのではないかということ。それにはまず何より劇場が活気づくことが先決ですし、時間もかかります。今後の運営については新たに実行委員会を組織して、財団法人化も含めて検討していくことになっていますが、ともかくいろんなメニューをやって活気をつくっていきたいと思っています。(談)
●韮山町(にらやまちょう)リーディング・プロジェクト事業
韮山時代劇場のほか、町中を博物館にする構想や、西洋砲兵術を学んだ伊豆韮山代官、江川太郎左衛門と彼が屋敷内につくった大砲建造のための反射炉、さらに全国から3000人もの塾生が集まった砲兵術の韮山塾の歴史資料を展示する「鉄の館-歴史交流館」計画などがある。ちなみに、太郎左衛門は「パン祖」としても知られる人物。韮山塾で兵糧としてパン(乾パンのようなもの)を用いたことに由来し、昨年、リーディング・プロジェクト事業の中でこのパンを復元して、7年間保存できる災害用スティックパンとして商品化した。
●『頼朝』ストーリー
平治の乱で敗れた義朝の子頼朝は東国へ追われる身となり、伊豆韮山に流される。若き頼朝は伊東八重姫との恋を経て、北条政子と結ばれていく。やがて源氏再興の気運が高まり旗揚げする。(写真はカーテンコールの風景)
[日程]4月12日、13日
地域創造レター 今月のレポート
1997年6月号--No.26