「後ろを振り向いたら、オレのバンドのメンバーは、誰もおれへんね。そんなセッションしてたなあ」と、ソウル・シンガーの上田正樹が述懐した。2月9日に三重県・伊賀上野で開かれた「第2回ブルース伊賀の乱」は彼の思いを再現させんばかりのものとなったのではないか。
人口6万、名古屋と大阪の中間点にあるこの町で、アメリカのブルースをベースにしたコンサートを企画したのは、1200人が入る文化会館の企画担当者と、170年の伝統を持ち、11代目の当主を務める田楽屋の若旦那の熱意だった。
「上野いうたら芭蕉と忍者屋敷いうイメージしかなかった。それやとあんまり淋しいやんか」と田楽屋「わかや」の吉増浩志さんは話す。もっと若い人にウケルものはないか。「それは自分らが好きなブルースや」と、毎月きまった日に店を開放して、ブルース・ライブをしていた。4年前に大阪からここへ赴任した秋田智英子さんは、劇場の自主企画の担当になり、自分が好きなブルースを取り上げたかったが、演歌が強いこの地でやれるかどうか、自信がなかった。それをバックアップしたのが、吉増さんらのブルース好きだった。たまたまグループの中に、ブルース・ハープ(ハーモニカ)の名手、妹尾隆一郎の知人がいたことで、企画はトントン拍子に進んだという。
昨年に続く今年は、なんと12人の大編成のゴスペル・グループ、ホリー・トリニティ・ヘブンリー・クワイアを呼んでしまった。800人を超える観客は大いに湧いた。迫力満点の黒人ボーカルの真髄に。そしてもちろん日本のゲスト上田正樹の歌にも。
この催しは、一昨年だかにぼくが訪れた富山県福野町の「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」に似ている。およそ日本の伝統とは無縁の黒人音楽を、大胆に持ち込むあたりが。しかし上野は、それを日常的な演奏活動をベースにしているところが一枚上、というかより地についている、というか。会場での反応を見ていても、観客とコンサートの企画者や実行者とは、ほとんど仲間同士という会話がある。つまり、ただ誰かを呼んで、それを見に行くのではない、コミュニケーションが成立している。
惜しむらくは、この夜の演奏が日本人のも含めて全部英語の歌だった、ということ。なぜか急遽プログラムに入ったゴスペル・グループの曲が『スキヤキ』つまり『♪上を向いて歩こう』と日本語だっただけ。
ブルースだってもう20年も日本で演奏され、日本語の曲も多い。本場は英語でもいいだろうが、自分たちは日本語でもやったほうが、この手の音楽の観客の幅を広げる意味では大切だと思った。昨年東京で開かれたブルース・フェスティバルでは、途中で歌が日本語になって、雰囲気ががらりと変わった、という経験をしている。これからの課題のひとつではないか。
(田川 律)
●「ブルース伊賀の乱」VOL.2
[主催]上野市文化振興財団
[日程]2月9日
[会場]上野市文化会館
[出演]中本マリ(ヴォーカル)、藤井康一(ヴォーカル/サックス)、塩次伸二(ギター)、秋山一将(ギター)、金澤英明(ベース)、松本照夫(ドラム)、国分利征(ピアノ)、妹尾隆一郎(ヴォーカル/総合プロデューサー)、上田正樹(ヴォーカル)、HOLY TRINITY HEAVENLY CHOIR(ゴスペル)ほか
地域創造レター 今月のレポート
1997年3月号--No.23