一般社団法人 地域創造

山口県長門市 近松祭 in 長門

 国の重要有形民俗文化財に指定されている珍しい日本版野外劇場で面白いプロデュース公演があると聞きさっそく出かけた。場所は山口県長門市の赤崎神社楽桟敷(がくさじき)。

 

 連休最中の9月21日、東京から宇部山口空港へ飛び、中国山地を縦断して日本海側に抜ける一両編成のワンマン電車、美祢線(みねせん)で1時間余り。

 

 長門市は人口約2万5000人。仙崎かまぼこと湯本・徳山温泉と青海島観光の町である。赤崎神社まで駅から車で5分。竹筒を卍に組んだ明かりに沿って石段を上ると想像していたより小さな社があった。

 

 境内もなく、どこが楽桟敷なのかといぶかっていると、案内の人が松林の方にお客さんを誘導している。あった。松林の向こうが急な傾斜地になっていて、その斜面にまるで段々畑のような桟敷席があった。

 

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 山懐に包まれた桟敷に座り、虫の合唱を聞きながら開演を待っていると何とも豊かな気持ちになれる。6時半開演。ライトが消え、見上げれば半月、天上を一群のサギが音もなく横切っていく。

 

 それから2時間余り、60名近い子供と市民が参加したサバールの演奏、パーカッショニストで今回の総合プロデューサーであるYAS-KAZ率いるバンドのジャズ演奏、『心中天網島』をモチーフにしたオリジナル舞踏『AMIJIMA』と、こうした企画がなければ市民が一生出会うことなどないだろうパフォーマンスが続く。

 石段の花道から舞踏家麿赤児が登場すると、白塗り坊主頭の異形のものに、子どもが泣くこともできず奇妙な叫び声をあげた。麿を追うスポットライトが図らずも老若男女、四世代の見物人たちの忘我の姿を映し出す。

 

 私はこれまで多くの現代舞台芸術を見てきたが、これほど豊かな客席を見たことがない。芝居を見ることが生活の一部だったころ、共同体の儀式だったころの客席はきっとこうだったのだろう。親兄弟、祖父母、友達、親族と一緒に、こういう場面で舞踏に出会えた子供たちは本当に幸せだと思った。

 

 この楽桟敷公演は、3年前から長門市が取り組んでいる芸術祭「近松 in 長門」の一環として行われているものだ。長門には近松門左衛門生誕地説があり、市政40周年を期に近松で町おこしをしようと市長、助役、近松研究家、東京のプロデューサーによる「近松懇話会」が中心となって企画を立ち上げた。

 

 「毎年のプログラムもこの懇話会で相談します。3年目を迎え、市民参加によるオリジナル作品をつくろうということになり今回のプロデュースが実現しました。新聞各紙に取り上げられたので、地元はもちろん、北九州や萩方面から来られたお客さんも多く、定着してきたかなと思っています。反響ですか? 賛否両論。途中でわかんねえやと帰った人、感動で涙を流した人、反応はまっぷたつ」(文化課文化振興係の末廣活巳さん)。

 

 「あの人、転んで腕が抜けたのに踊ってて大丈夫だったのかしら」と桟敷の声。麿赤児の異形の踊りが長門のお茶の間ではこういう思い出話になって語り継がれるのだとしたら、何と豊かなことだろう。

(坪池栄子)

 

●赤崎神社楽桟敷
 すり鉢状の地形を巧みに使った日本式の野外劇場。すり鉢の底の踊り場を見おろすように北側4段、東側12段、南側5段と、高さ1メートル程度の石組をした段々畑のような観覧席(桟敷)がある。はじまりは16世紀の疫病退散成就を祝った奉納芸能で、長い年月をかけて現在の形になったといわれている。
桟敷の広さは約三畳程度、数は全部で200戸分あり、収容人員は1500人。各桟敷は古くから所有者が決まっており、祭礼当日には一家で訪れ、酒肴持参で芝居見物をしていたようだ。江戸時代後期には歌舞伎舞台もつくられたが、1963年に老朽化により解体。以後、行事もなくなり、全く使われないまま放置されていた。現在は長門市が所有。1963年、国の重要有形民俗文化財に指定。

 

地域創造レター 今月のレポート
1996年11月号--No.19

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