阪神大震災から1年余りがたった。この災害をめぐり、さまざまな分野で膨大な量の記録や評論がまとめられている。震災が未曾有の規模であり、それを機に都市や社会のあり方に根本的な反省が起こったからだ。芸術・文化の領域でも、震災は広範な問題を浮き彫りにした。美術館や劇場の破壊をはじめ、文化施設の避難所への転用や職員の救援活動などの危機管理の課題、被災地でのチャリティやメセナ活動のあり方、さらにはアーティストの意識の覚醒といった精神面における影響まで、くっきりと目に見えてきた。ここでは震災に際し、アーティストが何を考え、どう行動したかを振り返り、その意義を明らかにしておきたい。
例えば、演劇。「私たちの表現とはいったい何なのか。何になるのか。演劇は無力であるのか」(劇作家の北村想)の声に代表されるように、多くの演劇人がぎりぎりの問いを発し、ある人々は被災地の激励公演を行った。兵庫県立ピッコロ劇団(秋浜悟史代表)は児童向けのレパートリーで避難所を巡回した。これは税金を使って運営する公立劇団の危機における活動の先例を開くものだった。消防などと同様、精神的な激励も救援活動に含まれ、公的資金の投入に値することを示したと言えよう。兵庫子ども劇場・おやこ劇場は99回の巡回公演を行い、笑いの企画集団「The News」の浅岡輝喜は神戸市役所の南側にフラワーテントをつくり、1カ月にわたりボランティア公演を行った。
地震の直後、大阪の扇町ミュージアム・スクエアでは関西演劇人会議が開かれ、被災地での演劇公演の有効性をめぐり、突っ込んだ議論がなされた。「何かしなければ」という思いをどう結実させるか、それは自身の演劇観を問いなおすことであり、日本の演劇人に最も欠けている作業であった。その上で南河内万歳一座の内藤裕敬は演劇ボランティアに疑問を投げ、「武庫川を越えない」と決意表明をした。地震で明らかになったのは演劇にも種類があり、ヒーリング・アートのようにメンタル・ケアで役立つ演劇もあるし、そうでない演劇もあるという事実である。
地震でアーティストの心に芽生えたのは、社会性の自覚であった。単なるチャリティ公演の域を越え、さまざまな試みがなされた。音楽では日本テレマン協会が避難所の慰問公演を行ったし、被災した音楽家が「リ・アンサンブル」というグループをつくり、全国からの寄付金をもとに巡回公演を行った。現代美術では、フランスの写真アーティスト、ジョルジュ・ルース、オランダの作家トン・マーテンスが被災地で制作し、具体美術協会出身の嶋本昭三、三原泰治、今井祝雄各氏がガレキを使ったアートやパフォーマンスを行い、震災の遺物の保存を意図していた。現代詩の分野では活発な創作活動がみられたが、これも花鳥諷詠を超え、時代の危機をどう描くかという問題意識に発している。
こうしたことにさらに興味のある方は、いくつかの記録集を参照していただきたい。震災であらわになったのは日本のアートの抱えるさまざまな「欠落」であり、それは現代文化一般に通じる問題提起であると改めて思う。
(日本経済新聞社大阪本社文化担当、内田洋一)
●参考資料
◎「阪神・淡路大震災 芸術文化被害状況調査」(企業メセナ協議会編)
被害の概観、危機におけるメセナ活動の意味を分析
◎「阪神大震災美術館・博物館総合調査」(全国美術館会議編)
美術館の被害、危機管理、壊れた美術品の救援活動などを記録
◎「震災と美術をめぐる20の話」(ギャラリー・ラ・フェニーチェ発行)
アーティスト、学芸員などに対するインタビュー
◎「阪神大震災は演劇を変えるか」(晩成書房)
演劇人のインタビュー、評論、被災記録などを収める
◎「音楽の友」誌95年9、10月号の特集
クラシック音楽界における影響を概説
◎「これからの芸術文化政策」(芸団協出版部)
震災と文化政策の関連を分析
地域創造レター 今月のレポート
1996年3月号--No.11