今年で3年目を迎えた北九州演劇祭は、10月13日の青年団『南へ』に始まり、12月8日の劇団SCOT『リア王』で打ち上げる。ほぼ2カ月の間に、演劇というひとつの長い夢のつづきを見るように、25の舞台がくりひろげられる。これを書いている今、9割方の公演は終了したが、演劇祭は終わっていない。まだ夢はつづいている。
ちなみに、残っているのは、盛岡の「架空の劇団」による『距離と仰角』、地元の北九州大学演劇研究会『カルメン夜想曲』、それに鈴木忠志演出による劇団SCOTの名舞台『リア王』である。これらに、つい先日終わった大衆演劇の片岡長次郎一座座長大会を加えてみると、九州で最初の本格的演劇祭のプログラミングの柱がおぼろげながらつかめるのではないかと思う。
ひとつは、国内各地の地域劇団が北九州で手打ち公演をするときの助成。今年は、盛岡との地域演劇交流である架空の劇団のほかに、東京のオフィス・ワンダーランド『丘の上の海』と『あざみ』、京都からパノラマ☆アワー『健さん、俺も男だ!』、大阪から在日コリアンの劇団波瀾世(バランセ)『舞天(ムーチョン)』。これからの文化は、いままでのように中央からのお余りを地方へ垂れ流すことではなく、中心をもたない柔軟なネットワークを地域間に張りめぐらすなかから生まれてくるのではないだろうか。演劇祭もまた、その試みのひとつとしてあると思う。昨年度の劇作家協会の大会開催などでもわかるとおり、すでにそうした場として北九州演劇祭は機能しはじめている。さらに、持続した地域劇団の交流の場をつくることで、それぞれの創造活動へフィードバックしていくようになれば、北九州市はまちがいなく、演劇の拠点都市になるだろう。
すでに終わった3つの地域劇団とも、東京の演劇人の真摯な芝居づくりを、関西の2劇団はよい意味で我の強さをふりまいてくれて、新鮮な驚きと刺激になった。
もうひとつの柱は、それほどレベルを問わないで、とにかく地元の劇団を演劇祭に参加させていること。地元北九州市の大御所的存在であるアマチュア劇団青春座、若手の中核的劇団「夢の工場」や「飛ぶ劇場」。さらに大学の演劇研究会から、児童演劇ボランティアサークル、演劇専科をもつ地元の高校の舞台まで組み込んでいる。個別の情宣ではどうしても限界があるが、演劇祭によって、より広く認知され、広範な観客と出会えるようになるだろう。
最後の柱は、いうまでもなくメインプログラムの招聘劇団である。今年は、演劇界の時の人、平田オリザ率いる青年団と、世界に通用する数少ない演出家のひとり鈴木忠志のSCOT。ふたりのすばらしさについて、ここで語る必要はないだろう。
注文をつけるとすれば、北九州演劇祭はいままでのところ、私のような外部の人間から見るかぎり、つくる側にとっての演劇祭という色彩が強いように思われる。5市合併によってつくられた都市なので、どうしても上演会場がちらばってしまう。観客を劇場へ引きつけ、成熟した観客層に育てていくかは、北九州市のいちばんの問題点ではないかと思う。当たり前のことだが、いい観客のいないところに、いい演劇は生まれない。
舞台とは別に、8回ものワークショップが行われ、大衆演劇のそれもあった。これは特筆すべきことだろう。6人の若手劇作家によるシンポジウムも開かれたが、テーマが北九州に新たにできる劇場をめぐってということで、内輪の話題に終始してしまったのが残念だ。シンポはもっと大きなヴィジョンを検討してほしかった。
最後に、もうひとつだけ要望を。北九州演劇祭は九州初の本格的演劇祭であり、北九州市だけにこだわらないほうがいいと思う。距離的にはそう遠くないのに心理的に遠い福岡市をはじめ、九州一円を視野におさめた演劇の場として、いいかえると、誰にとってもわれわれの、と思えるような演劇祭に成長しつづけてほしいものである。今後の九州の演劇状況は、この演劇祭が鍵を握っているといっても過言ではないのだから。
(九州大谷短期大学助教授 梁木靖弘)
●北九州演劇祭
北九州市制30周年記念事業として始まり、今回で第3回目。実行委員会には地元劇団、観劇団体、市民ボランティアスタッフなど地域の演劇関係者が一同に結集、地域に密着した運営を行っている。今回は北九州市立美術館、旧門司税関(明治45年建設)、7月オープンの大手町練習場などを含め全市を会場に展開。地元13劇団、市外公募3劇団、招聘2劇団などの公演のほか、大衆演劇のワークショップを開催。また、日本劇作家協会の協力などにより、多彩なワークショップとシンポジウムを開催した。
[期間]95年10月12日~12月8日
[主催]北九州演劇祭実行委員会
地域創造レター 今月のレポート
1996年1月号--No.9