一般社団法人 地域創造

山形県山形市 「山形国際ドキュメンタリー映画祭」

 今年で4回目を数える山形国際ドキュメンタリー映画祭は、過去最高の1万9千余名の観客を迎えて、10月3日~9日まで山形市内の中央公民館と4つの映画館を会場にして開催された。東京、大阪はもちろん、遠く北海道や九州からも足を運んでくれた方も多く、全国的な拡がりを実感する。

 

●充実したコンペティション部門と好評のスペシャルイベント

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 映画祭のメインとなるコンペティション部門においては、45カ国から436本の応募があり、初めて中国やイスラエルの作品がノミネートされた。また、15本のノミネート作品中6本が女性監督作品であったことから、開催期間中に市民サークルが女性監督を囲むミニ・シンポジウムを開いたり、街角やロビーでも様々なコミュニケーションの場が生まれた。一方、映画祭のもうひとつの柱であるスペシャル・イベントでは、映画生誕100年記念として東奔西走の末に集めたドキュメンタリー作品の映画史「電影七変化」が好評を博したほか、土本、小川両監督の作品群を中心として70年代の熱気を伝える「日本ドキュメンタリーの格闘 70年代」にも熱心な観客が集まった。また、アジアの若い作家たちの発表の場となっているアジア・プログラム「アジア百花繚乱」には、かつてない200本ほどの作品が集まり、そのなかの35本が上映された。今まで映画祭に参加した作家たちは、毎日深夜まで様々なことを語り合っていた。その濃縮された体験が刺激となって新しい作品の生まれるきっかけとなり、今回ひとつの臨界点を迎えたといってよいだろう。

 

●反省点と今後の課題

 大きなトラブルもなく、盛況のうちに無事映画祭は終了した。だが、その舞台裏では運営上の小さなミスや手違いが山のように発生した。行政が主催する宿命のひとつとして、人事異動により人的な継続性が絶たれることがある。膨大な書類や文書に残された記録はあっても行間に隠れている事柄も多い。1年おきという時間の経過もあって、問題が発生して元を辿ると、実は以前似たような事が起こっているということもあった。また、回を重ねるごとに増えていく諸事に実行委員会が全面的に機能できず、事務局が後手になりながらも処理の対応を迫られるということもあり、組織の見直しや専門部会の設置も次回に向けて再考すべき問題である。

(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局 宮沢啓)

 

●山形国際ドキュメンタリー映画祭
1989年、山形市の市政施行百周年にあたり記念事業のひとつとして企画された。ドキュメンタリー作品という映画の一分野を対象とした映画祭として出発することになる。開催が決定して海外の映画関係者を訪ねるとその反応は驚くほど強いものがあった。それはドキュメンタリー作品の発表や上映の機会が増えることへの期待とともに、欧米においては近年ドキュメンタリー映画に対する関心が高まっていたことが挙げられる。さらに力強い援軍として山形市に隣接する上山市で15年以上にわたって製作を続けている小川紳介監督と小川プロのスタッフの存在があった。また、山形市は人口に対して映画観客が多く、映画祭の開催を知った映画ファンを核とした市民は、行政区画を越えて連絡を取り合い、映画祭を支援するネットワークを形成した。こうして現在に到る映画祭の土台と枠組みがつくり上げられ、今年で4回目を迎えることになったのである。

 

 

地域創造レター 今月のレポート
1995年12月号--No.8<

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