9月29日から10月1日まで、秋田県小坂町の康楽館で第3回全国芝居小屋会議が開催された。この会議は、全国各地に点在する古い芝居小屋の保存と再興を考える「全国芝居小屋連絡協議会」の年に1度の交流会、つまり、芝居小屋再生に燃える人々の全国的なお祭りなのだ。今回はこのお祭りの仲間に加えていただき、芝居小屋再生に賭ける地域の人々の姿をご紹介したい。
まずは、協議会加盟の劇場名を並べてみよう。八千代座(熊本県)、嘉穂劇場(福岡県)、内子座(愛媛県)、金丸座(香川県)、翁座(広島県)、呉服座(くれはざ・愛知県)、ながめ余興場(群馬県)、共楽館(茨城県)、そして康楽館の合わせて9館。会議の資料としてこれらの劇場要覧が渡されたが、写真を見ていると明治時代にタイムトリップした気分になってくる。荒れ放題だったこれらの小屋が、町おこしの名の元に、観光資源として、また地域文化の拠点として再評価されたのは、ここ10年ほどのことだ。
今回の芝居小屋会議では「蘇る芝居小屋」というテーマで、歌舞伎評論家やブレーンを招いていくつかの研究会が催されたが、私を一番感動させたのは、揃いのハッピ姿で威勢良く情報交換をしていた各地の芝居小屋応援団(ボランティア組織)の人たちだった。
●芝居小屋応援団の声
「93年にながめ余興場を復活しようといってボランティアが立ち上がった。会員は14才から80才までの600人。その内、世話人が30人います。機関誌の発行、自主公演や町と共催の町民文化講座の開催など、企画から運営、チケット販売、当日の裏方から表方まで何でもやります。50人前の炊き出しを専門にしている主婦もいて、みんなで本当に楽しんでいます。余興場っていう名前がいいでしょ。楽しいことなら何をやってもいいんですよ。この前、ニューオリンズからジャズを呼んだら、65才のおばあちゃんが泣いてた。古きよきながめの黄金時代を思い出したんだって」(ながめ黒子の会・椎名さん・自営業)「手帳で数えたら1年で160回も黒子の会やっとった。かあちゃんに家を追い出される(笑)。町との関係はいいよ。金はだすけど口はださない。町だけでやっても人手が足りないし、僕ら商売じゃないから余ったらお金は返す。打ち上げは1000円ずつの自前。ボランティアやってお金払ってるんです!」(同・福田さん・郵便局員)
「家ではカカア殿下と言われても、社会にでて女が何かやる機会がなかった。4年前に1度きりのつもりでおかみさん会をつくってわらび座を受け入れたら、ゴミ処理場の反対運動で盛り上がって、女たちが元気になった。今は、この町を守っていくために、小鹿野歌舞伎など地元にたくさん残っている歌舞伎を、単なる観光資源としてではなく、我々の誇りとして盛り上げようとがんばってる。この会議に参加したのもその宣伝のため。今の目標は、商店街の真ん中に愛宕座(明治38年建築、昭和46年取り壊し)を復興することです」(小鹿野町女衆の会・高橋さん)
古い芝居小屋は庶民の娯楽場であり、個人、民間所有のものがほとんどで、復興する際に町に移管されることが多い。復興プロジェクトにおいて、上記のような応援団の存在意義は大きいものの、町との間に軋轢が生まれるケースもあるとか。みなさん、いつまでも今のままがんばってください。
●康楽館二代目館長、中村脩太郎さん
「小坂町における康楽館の位置づけは4つあります。1つが観光スポットとして、2つが広域文化殿堂として、3つが県の文化財として、4つが小坂町活性化の拠点としての位置づけです。なかでも十和田湖観光の目玉として年間10万人が来館する観光スポットとしての意義は計り知れないものがあります。鉱山なき後、もし、康楽館がなかったらと考えるとぞっとする。観光スポットとしては、1994年から黒字になるなど成果があがっているのですが、鉱山の慰安施設という成り立ちから、地元に芸能があったわけでもなく、町の文化拠点という性格が弱いのが課題です。今年から国と県から特別保育科目設定事業の指定を受けて、こども歌舞伎をスタートしました。小屋の仕事は、お客さんの案内をしたり、裏方をやったりと単調なものですが、直接、町づくりに参加しているところに誇りが持てるのです」
1日3回、常設の剣劇が上演され、職員が生で劇場を案内するツアーもある。町営の劇場で常設の公演をやっているのは康楽館と淡路人形浄瑠璃館だけだとか。「小屋はやっぱり使われてないと」という中村さんの小屋への愛着が、ここのもうひとつの魅力なのだ。
(坪池栄子)
●秋田県小坂町
[人口]7,852人(1995年3月現在)
[面積]178.45km2
秋田県の北東端に位置し、町の東北には国立公園十和田湖がある。大正時代には日本3大銅山の1つに数えられるなど、「鉱山の町」として発展してきた歴史をもつ。
●康楽館
1910年(明治43年)、鉱山の慰安施設として建てられた。外観は洋風建築、内部は、回り舞台、スッポン、桟敷席などを備える典型的な明治期の芝居小屋。建物の老朽化が進み、70年に一般興行はいったん中止されるが、85年、町への譲渡を機に修復に着手、翌年より町営の芝居小屋として再生した。現在、歌舞伎をはじめとした公演、「伊東元春と小坂剣誠会」による常設公演が行われている。
地域創造レター 今月のレポート
1995年11月号--No.7