毎年趣向を変えて行われるこのフェスティバル。5回目の今年は、音楽・舞踊、造形、演劇の3部門ともこの3月に廃校となった3つの小学校を会場に用いた点が大きな特徴である。今回は、そのうちの造形部門についてレポートしたい。
造形部門の舞台となったのは、京都市でも中心部に近い龍池(たついけ)小学校(元)。この小学校は、明治2年に町衆がお金を出し合って建てたという京都でも歴史のある小学校の1つである。この地域では、小学校を核とした特有の地域コミュニティがかたちづくられていて、現在もさまざまな活動がこの「学区」を中心に展開されるほど、地域と学校が深く結びついている。
制作は、企画者である関根勢之助(京都市立芸術大学名誉教授)によって選ばれた現代美術の作家たちが、実際に学校を見て自分たちが使ってみたい場所を選ぶところからスタートした。選ばれた場所は、教室、講堂、階段、校庭をはじめ、1階から3階までを貫くダスターシュートやずっと使われていなかった地下室など。今回の展示では、すべて新作であることが義務づけられていて、さらに公開制作が基本。必然的に作家たちは作品制作の段階から学校に詰めることとなった。公開制作当初は、見学者も少なかったらしいが、ボランティアや校庭に遊びに来る子どもたちから口コミで広がり、徐々に見学に訪れる人や話しかけてくる人も増えてきたという。
出品作家は全部で13組。2棟の校舎のほとんどが意欲的な現代美術で埋められた。小学校という人々の記憶が刷り込まれた場所での制作は、アーティストにとって「制約」が多い反面、場所から受ける「刺激」も多く、講堂を使って蛙のいなくなった蓮池を学芸会風に展開した藤浩志の作品烏のナキゴエ―蛙達の墓場にて―」や、金属製の椅子に座った鑑賞者に龍池小学校の卒業写真のスライドを次々と見せていく小杉美穂子+安藤泰彦の作品「Pendulum―振り子―」など、学校に刻まれた記憶を呼び覚ます作品が目に付いた。
展示期間中の土・日には、学校の主役である子どもを対象に「こどもの為のワークショップ」も催された。私は「石こうあそび」のワークショップを見学したが、これは板に塗り付けた石こうに着色したり物を貼り付けたりして造形作品をつくるというもの。ボランティアの誘導もよかったのか、飽きっぽい子どもたちが喜々として制作に熱中し、龍池小学校に久しぶりに子どもたちの笑い声の響きわたる一日となった。
このような廃校を舞台に展開する形態が、来年度以降も続くかどうかについては現時点では白紙である。また龍池小学校自体も今後どのように使われていくか、「学区」の中でもいろいろと意見が分かれていて、結論はまだ出ていない。
京都市では、今回使用した3校をはじめ、97年3月までに18校の小学校が廃校となるため、その跡地利用について現在、検討が進められている。廃校跡の利用方法の問題は、学校の統廃合が増えている現在、全国が共通に抱える悩みであろう。一方で、地価の高騰した都市部で自在に使える拠点が欲しいというアーティストが多くいるのもまた事実である。そういう意味でも、今回の「芸術祭典・京」が、廃校の芸術拠点としての活用という1つの方策を実際に示して見せたことは大変意義深かったのではないだろうか。
(松井芳和)
●芸術祭典・京について
京都市の「ふるさと創生事業」として1991年にスタートした総合的な芸術フェスティバル。「まち」全体を舞台に、新たな芸術創造と市民文化の高揚を目的に毎年開催されている。
今回は、廃校を使った総合芸術部門、四条通の地下通路を使った芸術系大学部門、琵琶湖疎水の水面上に展開された公募「京を創る」の3事業、さらに市民文化部門として「町衆文化フェスティバル」が実施された。総合芸術部門では今回紹介した造形部門以外に音楽・舞踊部門(元明倫小学校)、演劇部門(元春日小学校)でも廃校となった小学校が使われた。
[期間]95年5月18日~31日
[主催]芸術祭典・京実行委員会(運営主管:京都市)
地域創造レター 今月のレポート
1995年8月号--No.4