5月14日に山形県遊佐町(ゆざまち)で演劇集団MODEの演出家、松本修さんによる演劇ワークショップが催されました。
ワークショップの話をする前に、まずは、遊佐町の自己紹介をしたいと思います。遊佐町は県の最北端、鳥海山の麓、日本海に面し、人口は1万9000人。残念ながら演劇や音楽の公演を目的としたホールはありませんが、鳥海山にまつわる「杉沢比山」など民俗芸能のベースがあったためか民謡や芸事が盛んで、民間の有志による芸術文化協会も早くからありました。
2つのアマチュア劇団をはじめ、町では20あまりの団体が芸術文化活動を行っています。また、クラシック音楽愛好家による「ゆざ楽遊響会」、国立音大の学生合宿を手伝っている「ソナタアーベント」など鑑賞団体も育ちつつあります。今回の企画を実現するにあたっては、劇団関係者を中心に、女性の町づくりグループ「エキプ・ド・遊佐」、ボランティアサークル、そして助役や元わらび座の町会議員などが参加した実行委員会を組織しました。
アマチュア劇団には、20年以上活動している「ゆざ演劇研究会」と結成7年の「無人駅」があります。僕は町役場の社会教育課で働きながら「無人駅」などで劇作、演出活動をしているのですが、昨年、北九州演劇祭にでかけた時、劇作家協会が催した松本修さんのワークショップに参加してから、ぜひ、町に呼びたいと思っていました。
偶然、北海道演劇財団設立準備会の企画で、いくつかの地域が連携して演劇集団MODEの公演「わたしが子どもだったころ」を呼ぶ、それも、公演に先立ち地元住民参加のワークショップを開き、ワークショップの参加者は希望があれば地元俳優として本番に出演できると聞いて、お願いすることにしました。
とはいうものの、演劇のワークショップは町でははじめての試み。体験的演劇講座と銘打ち、参加者を募集しましたが、ワークショップの意味を尋ねられて返答に困ることもありました。結局、近隣からも含め、友達3人で応募した小学生6年生のグループや会社員、遊佐町助役など、9歳から64歳までの45名が参加しました。
会場は町の中央公民館。松本さんの指導により、皆が輪になって自己紹介をします。町内の人が多いとはいえほとんどが初対面。緊張感が張りつめるなか、人に見られながら自分の話をするという、自分であって自分でないような、半分、他人になったような、普段考えもしなかった体験にとまどい気味でした。しかし、相手の話を聞き、それに応えるというキャッチボールに慣れてくると、自然にその場の雰囲気に馴染んできます。
「人の話を聞くということは、芝居の本当に基本的なことです」と松本さん。一般に役者は与えられたセリフをいかにうまくしゃべるかが問題のように思われていますが、本当はこんなキャッチボールのような関係の中でセリフが話されていたのだと、実感しました。
ワークショップの後半、MODEの「わたしが子どもだったころ」オホーツク版から抜粋した台本で父と息子、夫婦の会話シーンを実演しました。松本さんの言ったように、流れをつかみ、台本を自分の言葉に置き換えて話すと、驚くほど豊かなバリエーションで表現できるのです。例えうまく言葉がでなくても、心のキャッチボールができているペアは不思議と芝居になっています。
僕自身、演劇をやっていて思うのですが、演劇とは「見る」ものではなく「体験する」ものではないでしょうか。そのことを実感するには、自分で芝居づくりを経験してみるのが一番です。1回しかない舞台を全身で体験できるようになるには、今回のようなワークショップがぜひとも必要だと思いました。
ちなみに、試験中の高校生を除き、ほとんど全員が7月9日に行われる本公演に出演したいそうです。そのくらい楽しかったということでしょう。
(山形県遊佐町役場 池田肇・談)
●演劇集団「MODE」
文学座から独立した演出家松本修が89年に結成。現在、先立ち演劇体験ワークショップを開き出演者とスタッフを募る公園スタイルを実践。
地域創造レター 今月のレポート
1995年7月号--No.3